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「魂の在り処をしっているのならば教えて欲しいの。脳神経の複雑な回路に絡みつくようにそれは宿るものなのか、それともこの鼓動を打つ筋肉の固まりにへばりついているものなのか、それとも私たちの細胞全てに巣くう集合体なのか。意識と魂は違うものなのでしょう?精神が魂でないのならば、私たちが魂と呼ぶものは、一体なんなのかしら。人格を司る全てを失ってそれでもなお、確かに存在するものが魂であるならば何度生まれ変わっても、私は私のまま、同じようにしか生きられないということなのかしら。それはあまりに悲しいことね。私が私のままならば生まれ変わることは途方もなく恐ろしい。魂は輪廻するからこそ魂である意味をもつのでしょう?でなければ形もないものは存在する意味がない。それともはじめから魂に意味などないのかしら」
 喪服を着た女はそういって笑う。
 葬式に似合わない化粧をして、ベールの向こうで笑っている。
 エドワードには言葉はない。
 親を亡くした子供にかけるべき言葉など、自分が吐くのはおかしいような気がしたし、何より女は楽しそうに笑っているのだから。
「ねえ鋼の錬金術師さん。魂を呼び戻した錬金術師さん。弟の魂は、どんな色を、形をしていたの。炎に似ているのかしら。形は、ないのかしら。呼び戻したところで、その弟さんは以前と同じだったのかしら。私のお父様は今どこにいると思う?」
「あんたに話すことはなんもねーよ。大佐に聞けばいいだろ」
 軍人の葬式がこんなに手間のかかるものだとは思わなかった。すでにエドワードは両足に酷い疲労を感じている。縁もゆかりもない老人の死に感慨などあろうはずもなく。
 何よりこの女の父親だと思えばなおさらだ。
 外の吹雪がまるで嘘のように熱のこもる屋敷は、けれど寒々しいほどだだっ広い。雪の降り積もる音は静かで、完全に外界から断ち切られた感覚を覚えた。敷地内につくられた真新しい墓標も今では雪にうずもれて、見る事すら叶わない。
「冷たいのね。・・・・この間、覗いていたんでしょう」
「・・・なにが」
「病室で。私と大佐がキスしていたところ。うふふふふふふふ」
「・・・・・べつに」
「べつに?別にって顔じゃなかったわ。今にも殴りかかりそうな顔をしていたもの。うふふふふふ。大佐がすきなのね?いいわねえ。すきですきでたまらないのね」
 エドワードは今更ながら、この女を押し付けたロイへの怒りに歯噛みした。なにが「彼女は今父親を失っておちこんでいるだろうから」だ。なにが「君は気に入られているようだから慰めになるだろう」だ。どう考えたって当て馬にしか過ぎない。自分の付き合ってる女ならば、自分でフォローでも何でもしてやればいいのだ。何でこんな見当違いのいやみをいわれて耐えなければいけないのか。しかも、自分の古傷まで容赦なくえぐってくれるのだ、この女は。
 魂の練成にどれだけの苦痛を伴うのかなんて、知りもせずに。
「お父様。わたしの大事なお父様。今は安らかなのかしら。私にはとても魂を呼び戻す勇気などないけれど」
 それでも。この女はたった一人の肉親である父親をなくしたばかりなのだ。そう思うことで内心の理由の定かではない苛立ちが少しはまぎれた。酷だ、自分でも思うけれど、こればかりはどうしようもない。
 たとえどんなに腹だたしくても、女相手にこんな状況でつらく当たれるはずもない。
 そうはみえなくても、内心では取り乱しているのかもしれなかった。
「よみがえらせることが出来ればどんなにいいでしょうね。どんな姿をしていても、私にはそれがお父様だとわかるでしょうに」
「・・・・・・・・・・・・・」
 ロイは、葬儀に参列したキングブラッドレイを見送りに出た。屋敷の中は葬式の手順に皆が慌しくしていた。確かに、こんなときに遺族であるたった一人の少女に付き添えるような、暇な人材といえば自分しかいないのかもしれないが。
(苦痛だー・・・)
 うんざりしたように、エドワードはため息をついた。
 確かに喋っている言語は同じなのに、この女には、一つも通じないしこの女の喋っていることの半分も理解できない。その印象ははじめから変わらないままだ。せめてここにアルフォンスでもいれば違うだろうに。あの如才ない弟は、こんな女とでも上手に会話を交わすことが出来るだろう。
 そもそも不器用で幼いころから錬金術しか趣味のない自分には、こんなイカれた女と上手に会話など、できるはずもない。アルフォンスは今頃宿で一人野良猫でも引きずり込んで遊んでいるんだろう。今日ばかりは、それが恨めしい。自分だって、こんな他人の葬式に出るより野良猫と遊んでいたほうが、いくらか有意義だ。
「あなたはどうして弟の魂を練成しようと思ったの。あきらめようとは思わなかったの」
「・・・・・・・大佐に聞け」
「冷たいのね。ロイに似ているわ。そんなところが」
「・・・・・・大佐が?」
 あの意外にぼんやりした、無駄な善意を振りまく男が?なによりこの女はその恩恵に一番あずかっているんだろうに。
「あら、しらないのね。あの人は本当は冷たくて酷い人よ。あなたが思うような人じゃないのよ。うふふふふふ。やあだ、あなた本当に何にも知らないの。ロイのことを何にも知らないのねえ」
「・・・・・・てめえのオヤジが死んだばっかでよくそういう話できんな」
 口に出してから失言だったと、初めてリリスをまともに見た。けれど想像と違って女は人形のような笑みを貼り付けたままだ。
「ひどいことをいうのねえ。私の言うことを何一つ信用しないで。私、お父様のなくなられたこと、これでも本当に悲しいと思っているのよ」
「・・・・そーかよ」
「そうよ。・・・・・・・・・・だってこの手で葬ることは結局出来なかったのですもの」
 聞き間違えたのかと。
 エドワードは視線を上げる。
 リリスは笑っていた。
「最高の愛情表現だとは思わない?最愛の人の首を両手で絞めることは」
 イカレてら。そう詰ることを最後の理性で押し止め、エドワードは傍らのソファに体を投げ出した。
 だれでもいいから助けてくれ。







 控えめなノックがしたのはそのときだ。
「すいません。兄さんがこっちにいるって、お伺いしたんですけど」
 それはエドワードがいま、世界で一番会いたかった愛しの弟の声だ。巨体を重厚なつくりの扉からちょこんと覗かせている。がばりと体をソファから起こして、エドワードは目を見張った。
「アル!どーしたんだよお前」
 声があからさまに嬉々としてしまうけれど、押さえようがない。アルフォンスは兄の姿を見とどめてから、リリスに小さく頭を下げた。
「あの、本当に残念ですね。なんていったらいいか・・・僕、わからないんですけど」
 弟らしい優しい言葉が、殺伐としていた室内の雰囲気を和らげる。
「ありがとう。やさしいのね」
 リリスは微笑み、アルフォンスの鉄の指先をそっと握った。
 テメエ勝手にオレの弟にさわんじゃねーぞといいたいのをすんでのところでこらえる。
 駄目だ。ここにいると無駄なストレスが異常にたまる。
 ただでさえ、最近はもやもやぐじゃぐじゃとめんどくさいことばっかだっつうのに。
 けれど、やはりこういうことにむいてるのは自分よりこの弟だと再認識して、エドワードは一人頷く。この女をオレに押し付けるつもりならはじめっから言えばいいんだあのくそ大佐め。それならオレだって、アルフォンスをつれてきたのに。
 あ。
「で、なんでお前ここにいるんだ?」
「だって、凄い雪でしょ?兄さん帰りは歩いて帰るって言ってたじゃない」
「おう。それが?」
「いや、兄さんの身長じゃあ雪に埋まるんじゃないかと心配して」
「・・・・・・・・お前、あとで覚えてろよ」
 流石に葬式のあとで暴れるほど非常識にもなれず、エドワード拳をぎしぎし言うほど握り締めた。
「何でだよ、優しさでしょ、僕の」
「うふふふふふふっ、仲がいいのねえ、うらやましいわ。私にも兄弟がいればよかったのだけど。そうしたら、寂しくないのだけれど」
 そういえば、今日からこのだだっ広い屋敷にこの女は一人なのかと急に思い当たる。だからといって一緒にいてやる義理もないが。
「ええー。寂しいですよね?大丈夫ですか?僕たちでよかったら、」
「わー!!そうだそうだ!思い出した!!俺、軍部に帰って書類を提出しなくちゃいけないんだった!!」
 わざとらしい大声はあからさますぎて、弟の不況を買ったらしい。一瞬しらけたようににらまれてエドワードはひきつったような苦笑いを返した。
 しかし、これだけは譲れない。
 これ以上この家にいたらオレは気が狂う!とまるなんて問題外だ。
 つたわれ〜つたわれ〜と、念力を送っていた最中だ。また新たなノックに、視線がいっせいに扉に集中した。
「おや、アルフォンスも来ていたのか」
 顔を覗かせたのは、エドワードに不適切な役割を押し付けた上司だ。正装の軍服の肩が変色して濡れているのは、見送りから帰ってきたばかりだからだろう。雫を滴らせながら、ギプスにかためられた右足を引きずり室内に歩みを進める。
「大佐。こんにちは。兄さんを迎えにきたんですけど」
「そうか。・・・・リリィ、大丈夫か?」
 今日ばかりは取り澄ましたスカした表情をひそめて、神妙にロイはリリスを見た。
「ええ、だいじょうぶ。来てくれてありがとう、ロイ。お父様も多分今頃よろこんでいると思うわ」
「将軍にはお世話になったからね。かの戦いの折には何度も命を助けられた。全く惜しい人物をなくしたものだと思うよ。君も、そう肩を落とさずに。将軍閣下に、なくなられてまで心配をかけてはいけないからね」
「ありがとう、ロイ。あなたはほんとにやさしいのね」
 さっきといってることが違うじゃねえかよと心の中で毒づき、エドワードはロイを見上げた。
 おやさしいことで。
「リリス、君についていてあげたいのは山々なのだが、急な仕事があって。すまないな。また改めてよらせてもらうよ」
「ええ。私は大丈夫よ。鋼の錬金術師さんや、アルフォンス君が一緒にいてくださるみたいなの」
「・・・・・・は?!」
 ちらりと視線を落とされて、エドワードは自分を指差して思わず大声で問いかえした。
「・・・そうなのか?いや、それが鋼のにも来て貰いたいのだが」
「あああ!いくいくいきます!仕事だからしょうがねえよ。な!大佐。アルフォンスも」
「じゃあ、僕が一緒にいますよ。どうせ遅くなるでしょう?兄さん。夜には宿に帰るから、それまでここにいます、僕」
「は?!マジで?!」
「なんだよ、兄さん。文句あるの?」
 もう14年一緒にいるのだ。弟の考えていることは手に取るようにエドワードにはわかった。
 たった一人の肉親をなくした女の人に、兄さんはどうしてそんなに冷たく当たるんだろう。しんじられないよ。そもそも兄さんは、女の人に対して、遠慮がないところがあるよ。もうほんとに子供なんだから。
「・・・・・・・誰が子供だ・・・・!」
「はあ?なにいってるの兄さん。誰もそんなこと言ってないでしょ。とにかく、僕はリリスさんと一緒にいますから。大佐、兄さんのことよろしくお願いします」
「うん、そうだな。アルフォンス、よろしく頼む」
「って、だって、おい!アル!」
「うれしいわ。私本当は凄く寂しかったの。アルフォンス君、私とお友達になっていただけるからしら」
 リリスはエドワードから見れば、どう考えても演技じゃねえかというしぐさで両手を胸の前でくみ、アルフォンスを見上げて、青い双眸をうるませている。もともと美しい女なので、そうして大きな瞳を潤ませて、金の睫に涙を溜めて見せれば、従わない男などいないだろう。
「ええ、よろこんで。僕も、友達なんていないから、嬉しいです」
 そして案の定、アルフォンスも感極まったような声を聞かせて、リリスの手をとってみせる。
(一生やってろ・・・!)
 大体、この弟はきれいな女に弱いところがあった。邪推にまみれたエドワードからすれば、リリスはそれをも計算づくでやってるとしか思えない。
「鋼の、ちょっと」
「んだよ、話はおわってね」
 ぐい、と頭をもがれるかのような勢いで抱き込まれエドワードは抗議の声を上げる。けれど耳打ちされた言葉に、抵抗をやめた。
「死んだ男の解剖が今日の午後4時からおこなわれる。見ておくことは有意義だと思うが?」
「・・・・・・おう」
 たしかに内容が内容だけに、民間人二人には聞かせにくい。
「では、我々はこれで。アルフォンス、エドワードは無事に宿まで送るから心配するな」
 私犬を沢山かっているのよあとで見せてあげるわ、わあほんとですか?僕猫が好きなんですけど犬も大好きですうれしいなあ抱っこしたりできるなんて。ええ、是非かわいがってやって頂戴ね、と、犬猫談義に花が咲いた異色の二人の耳にはそんなロイの言葉も聞こえないほど意気投合している。
「うう・・・アルフォンス、お、オレいってくるからな」
 いまだ不本意ではあるものの、4時まで、そう余裕もない。
 後ろ髪をひかれるような思いで、エドワードはリリスの屋敷をあとにした。