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「あ、おきた」
天井をさえぎって、アルフォンスが覗き込んだ。ぼんやりした頭で、記憶を反芻する。
「ちょっと熱があったよ。もうすこしやすんでいたら?」
「・・・・や、もーおきる。アル、今何時?」
「昼の1時。どうせ、二時までは仮眠室誰も使わないからゆっくりしていいって大佐が言ってたよ」
「・・・大佐?」
「そう。ここに顔出してくれたんだけど。起こしましょうかっていったけど、お嬢さんがまだいるから相手しなくちゃいけないらしくって。どうせあと一時間くらいは仕事にならないから、ゆっくり寝かせておけって。・・心配してたよ」
「・・・さあどーだかな。ちょっと寝すぎたな。図書館行きたかったんだけど」
立ち上がると少し目の前が眩んだ。頬が少し熱いのは熱のせいか。悪寒も、胃の辺りがまだ鈍く痛むのも、喉に何か詰まっているかのように苦くくるしいのも。
傍らのいすにかけられた赤いコートをつかむ。羽織ると、すっかり乾いていて暖かかった。ブーツに足を通していると、誰かがノックをした。
「エドワード君?」
みればリザ・ホークアイ中尉が心配そうな表情でそこに立っていた。いつもはどちらかといえば無表情の冷淡な印象を受けがちだが、エドワードとアルフォンスにとっては優しい女性である。険しかった表情を、エドワードは無意識のうちに緩ませて返事をした。
「あ。ゴメンな、中尉。つく早々に休ませてもらって」
「いいのよ。体調はどう?」
「ん、もう全然へいき。・・・・なに?どしたの?」
珍しく、言いよどんでいるふうの中尉を察してエドワードは問うた。言いにくそうに、困惑している。やがて、ためらいながらリザは、
「将軍のお嬢さんのことなんだけど」と切り出した。
「・・・・・なに?」
「それが、エドワード君のことを随分気にしてらして。できれば帰りをエドワード君とアルフォンス君に送って欲しいんですって。帰りの車の中退屈だから、話を聞かせて欲しいっていってらっしゃるの。体調がよくないので、って一応お断りしたんだけど」
「・・・俺らが?」
「そう。どうしてもって。・・お願いできないかしら」
大佐がついていけばいいじゃんか。
喉元まで、そうでかかって。
「・・・・いいよ」
「・・・兄さん大丈夫?」
「いいけど・・・俺、あんましゃべんねえよ。口うまくねえし」
リザの表情は硬いままだった。エドワードの体調を心配しているのだろう。
「俺連れてこいって、大佐だろ、いったの。中尉に迷惑かけらんねえし」
「わたしはいいのよ。・・・エドワード君、いやだったらいいのよ?」
それに首を振って見せた。
ああ、中尉は綺麗だな。
優しくて、綺麗だ。あんな女よりよっぽど綺麗なのに。
腹の底が熱かった。なんだかいらいらいらいらする。
リザが部屋を出たあと、身支度を済ませアルフォンスを促す。
「いこうぜ。・・・おじょーさんとこ」
「うん。兄さん、大丈夫?ほんと顔色悪いよ?」
「心配すんなって。・・・なあ、アル。」
「うん?」
「中尉って美人だな」
「そうだね。美人だよね。ねえねえリリスさんって、大佐と付き合ってたんだね」
「・・そーだな」
「なんでわかれたんだろうね?大佐浮気とかしたのかな?」
「・・・・そーかも」
いらいら、した。
雪は未だ止んでいない。静かに重く降り積もる。車の屋根に積もった雪を振りはらう運転手の横に、ロイマスタングが立ち尽くしていた。車内には、すでに彼女が乗り込んでいるらしい。アルフォンスと、エドワードはせかされ車に近寄った。
「失礼のないようにな。帰りはこの車で、そのままこっちに帰ってくればいいから」
ロイは無表情のまま、話しかけてきた。それが無性に腹立たしい。
「わかった」
思ったより声音が低くなった。それに、ロイが少し目を見張ったことに気がついたがそのまま車に乗り込む。アルフォンスも乗ろうとしたのだが、助手席にすら体が入らない。
「アルフォンスはのれないか。・・・どうする?リリィ」
「まあ。じゃあ、エドワード君だけ私を送ってくれるかしら。仕方がないけれど。アルフォンス君、お話したかったわ。残念ね」
少しも残念そうではなく、リリスは微笑んだ。その隣に座り、窓からエドワードはアルフォンスに話しかけた。
「アル、まってろ。すぐもどる」
「うん」
大佐の顔は見なかった。なぜか今は見たくもなかった。
車がゆっくりと動き出した。ほお杖をついて、外を眺める。エドワードはこもる香水のにおいに辟易して、今ここで窓を開けてやったらどんなにか気持ちがいいだろうと思う。
「・・・・怖い目」
からかうような声に、リリスを振り返る。
「・・・なんだと?」
「うふふふふ。毛羽立った猫そっくり」
「・・・は?」
「先に敵意丸出しにしたのはそっちでしょうに。誰かに聞いた?私とロイのこと。・・・ほんと、ロイがいったとおりにすごく子供なのね。鋼の錬金術師さん」
ぎ、と唇をかむ。
あからさまに揶揄する響きが無性に癇に障る。
「そんなにわたしがこわい?錬金術も使えない、ただの女のわたしが怖い?あの人をとられてしまうから?」
「なにいってんだかわかんねえ。大佐?あんなもん、俺にことわらねえでも欲しけりゃもってけよ。俺、関係ねえし」
楽しそうにリリスが笑う。面白くて仕方がないようだった。白い両手で口元を覆いながら、こちらを見つめる。
「うふふふふ。私、あなたにあってみたかったの。軍では有名だもの。鋼の錬金術師さん。マスタング大佐の秘蔵っ子。あの人が今夢中になってる男の子はどんな子だろうって沢山想像したわ。綺麗な子なんだろうなって。綺麗で賢くて可愛らしいといいなって。でも、全然想像と違ったんだもの。がっかりしたわ。なんだか汚い、こんなただの子供なんだもの。でも、子供のやきもちって怖いのね。今にも殴りかかってきそうな顔してにらんでたんだもの。わかりやすいこと。・・・・大佐のこと、すきなんでしょう」
「・・・すき?」
「そう。今、ロイと付き合ってるの、あなたなんでしょ?」
「・・・なにいってんだあんた。気色わりーこというな。意味わかんねえよ」
うふふふふ、と笑う。両手で口元を覆って、楽しそうに。
「じゃあ、私がもう一度付き合ってもいいの。あなた、なんともおもわないの」
「どうでもいい。あんた、そんなことが言いたくて俺を呼んだのかよ」
「ええそう。あの有名な鋼の錬金術師さんが、ロイマスタングを好きだなんて面白くて。お話したかったのよ。・・・でも、どちらかといえば話があったのはあなたのほうじゃない?・・・もの欲しそうな顔をしてた。何かいいたそうな顔をしてた。怖い顔をしてた。うらやましそうな顔をしてた。妬ましくて悔しくて羨ましくて憎くてしょうがないって顔。うふふふふふ。私、そういう目で見られるのだあいすき」
喉で笑う、リリスの目は猫に似ていると思った。獲物をもてあそんで、いつ爪を引っ掛けてやろうかとあざ笑う捕食者の目。だが、なぜ自分がその対象なのかがエドワードには本気でわからなかった。俺が大佐を好き?妬ましいとか、羨ましいとか。
そんなくだらないものに囚われているほど、自分は暇ではない。
「俺はあんたなんかに話すことは何もねえ」
「ロイとキスもしたことないの?ロイは優しいから。ねだればキス位してくれるわよ?寝たこともないの?ほんとにただの上司と部下の関係?」
「あたりまえだろ。何で俺があんな女たらしのおっさんとそんなことしなくちゃいけねえんだよ。ヘンな想像すんな」
「ただの部下が、あんな目で私をにらむの?わたしてっきり、付き合ってるのかと思ったわ。あのロイが、お気に入りの子に手を出さないなんて信じられない。ふうん。じゃあ本当に違うんだ。あなたはそういう対象じゃないのかしらね。今更男だからとか子供だからとか、彼には大した障害でもないでしょうから」
「・・・もうおろせよ。話しそんだけなら帰るぜ。別に、送ってやんなくていーだろ」
「うふふふふ。泣きそうな顔をしてる」
「だれが。おろせ」
「帰って、魂だけの鎧の弟に慰めてもらう?」
体が、凍りつくような感覚を覚えた。エドワードは知らず、左手で右の機械鎧の腕を握り締めた。きつく。
「・・・なん、で、そんなこと」
大佐じゃない。大佐がいうわけない。大佐はそんなこと、こんな女に軽々しく言わない。
おれたちの、だいじな秘密。
いうわけないのに。
「しってるか?いやあね、だからいってるじゃないの。私、ロイと付き合ってたの。二年前。何でも教えてくれるものあの人。わたしたち、ひみつがないの」
「・・・嘘つけてめえ。大佐がそんなこと、あんたなんかに言うはずがねえ。そんな」
「でも本当だもの。だって、そうじゃなきゃ私にそんなことわかるわけないでしょう?でも、そうよね。人体練成は大罪。そんな子と付き合って、出世の足をひっぱられたらたまらないものね。大佐が相手にするわけないわよね。うふふふふふ。ねえ、でもあなた、ほんとは大佐のこと好きなんでしょう。ほら、顔が怒ってるもの。わたしにやきもち焼いてるんでしょう。きゃあ。うふふふふ。可愛い可愛い」
頭がぐらぐらした。
何から考えていいのか、わからなく、なった。
「・・・かえる。おろせ」
「・・・またね。鋼の錬金術師さん。うふふふふふ。今日はとっても楽しかったわ。うふふふふふふふ」