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「結局なんだったんだ」
たったそれだけの言葉で、全てを問うにはあまりに足らなかった。けれどほかに、彼になんと言えばいいのかエドワードにはわからず、手にした花束を少々乱暴に投げ出しながら呟いた。この足元にあの女が埋まっている。端正な墓標だ。死ねば、こうして誰もが記号に似て、生きた証を石板に残すのみ。
ロイ・マスタングはただただ背をむけ、沈黙している。
「さあ」
「なんかオレら、みっともねえのな」
エドワードはまさに満身創痍というに相応しい自分達の有様を笑った。いまだ打ち抜かれた腿は腫れあがり、切断された機械鎧の修理は、一週間たった今でも叶わず辛うじて肩からぶら下がっている状態だ。松葉杖には慣れているつもりだったが、それでも足元が覚束ない。ロイの足も完治していない。彼の銃創は、いまだ癒えず、本来ならば病室で安静にしていなければならない身のはずだった。けれど、それを押して参列した彼の胸中は察するに余りある。
「・・・・葬式バッカでやんなるよな」
「・・・・・・・そうだね」
先週行われた、彼女の父親のそれに比べれば、驚くほど参列者の少ない葬式だ。それも、この雪と寒さに、適当に花を捧げて皆がすぐに立ち去った。いまやエドワードとロイが、墓地にたたずむばかり。それが、妙に悲しいことに思えて、エドワードはイライラしている。死を悼んでいるわけじゃあない。けれど、これはあまりに残酷だ。
その死を悲しむ人間が誰もいないなんて。
「なんかひでえな」
「・・・・・・・・・・・そうだな。かわいそうだ」
「そうだな」
「君はどうおもうのかね?死んだ父親が憑依していた?それとも性的虐待の果てに彼女が生んだもう一つの人格?霊的な存在を信じる?科学者たる我々が?どう説明を、君ならつける?」
「・・・・・・・・」
揶揄する響きだけれど、妙に腹は立たなかった。ロイは顔に出しはしなかったけれど、その気配は風邪を引いている肌のように痛み、傷ついているような気がしたから。その凛とのばされた背中を見つめながら、エドワードは一つ、息をついた。
「支配されていたんだと思う。一つに無理やり統合されるみたいに・・・別の人格だったものが、支配されて一つに・・・。あの女がジーさんみたいな声でゲラゲラ笑ってるとき、すげえ鳥肌だった。とりつかれてるとか、別の人格とか、そういう感じじゃなくて・・・・なんていったらいいのか・・・トランプの裏と表みてえに、ひっくり返っただけ。深く根を下ろした支配が、あの女を父親にしたんだとおもう。父親と全く同じに、変質させた・・・・・・?」
話しながら自身を納得させるような作業だった。いいながら、けれどそのどれもが見当違いのような気がしてきて、エドワードは天を仰ぐ。
「あーなんか、やっぱよくわかんねえや」
「・・・・イシュヴァールでのことを知っていた」
「それがなんだよ。聞かされてたんだろ」
「・・・・・・そうか。そうだな」
まるで納得していないように、ロイがそれだけを答えた。そして淡々と言葉を繋ぐ。
「・・・・・彼女と父親が勤めていた、中央の研究所から32体の兵士の死体。それと、発見された凍死者の数と同じだけの犬の死骸、それから年も性別も判別のつかない12体分の死体が屋敷の庭に埋まっていた。中央での捜査結果の報告があったが、不死の研究など存在しないとのことだ。将軍の管轄だった研究所は主に医療関係で、戦時中錬金術による人体損傷に関する研究や書類が保管されているだけだとかなんとか」
「・・・・・・・・・・そんなもん、どーでもいーよ」
予想はついていた。軍にとって、死んだ老人の名誉など埃ほども意味もない。死者に罪を着せて、忌まわしい実験などさもはじめから存在しなかったように取り繕う。気の触れた大量殺人犯として、すでに手続きが始まっている。エドワードにとって、それは今更怒りをよびおこすまでもない。「当たり前」のことだ。軍の暗部など、とうの昔に知っている。
しんしんと降り積もる雪が、墓標の文字を覆い隠していく。ここもやがては雪に埋まるだろう。
何事も無かったかのように全てを真白に変えてしまうだろう。
何事も無かったかのように。
「彼女を助けたかったよ」
「まあ、もういいんじゃね?終ったことだろ。・・・・・・・オレ」
どうしてか、その続きを告げることをためらい、エドワードは一呼吸つく。
大きく息をすって、まるめていた背を凛と伸ばす。冷たい空気が腹の底まで染みた。
「もう行く」
「・・・・・次の旅か?」
ロイは振り返らない。女の墓標が雪に消えていくのをただじっと見下ろしている。花束に雪が染みて、きれいだなあとエドワードはぼんやり思う。優しい人間だから。ロイは、優しいから。
ロイが、傷ついているのがわかる。
女を助けられなかった、エドワードを危険な目に合わせた、アルフォンスを危険な目にあわせた、顔も知らない死者の数に、自分の力が及ばなかったことに、傷ついている。顔にこそ出しはしないけれど。背に触れて、頭を抱いてやりたいとエドワードは強く思う。抱いて、お互いの熱が染みて、少しでも傷がいえればいいのにと思う。
エドワードがこの男を、好きだからだ。
でもだからこそ、と思うのだ。
「傷舐めあっても、しょーがねえだろ。女子供じゃねえんだし」
「君は子供だろうに」
「・・・・傷ついてんのはオレじゃない」
むくれたように言うと、ロイは笑ったようだった。
「慰めてどうにかなるわけじゃねえし。せいぜいがんばれよ、中年」
「ははははは、そういいながら、慰めようとする君の心遣いに涙が出るよ」
「なあ」
「なんだね?」
「振り向けよ」
掌で、そっと背に触れる。温かい背中。
あの女はばかだな。
この男を信じて、縋ればよかったんだ。たすけてくれ、といえば、この男は、必ず彼女を助けただろうに。
(ああほらごらん。あれが地獄。おまえと私の。)
地獄。あの地下室はまさに地獄だった。血の匂いの、腐臭のする、おぞましい地獄。
かわいそうな女。
ここにいる。おまえの死を悼んでいる人間が、ここにいるよ。
ちゃんといたのに。
「鋼の」
「んだよ」
「抱きしめても?」
「・・・・・・・悪くねえな」
エドワードが笑うと、ロイはようやく振り向いた。振り向いて、まるで壊れ物のようにエドワードの右手をそっと引く。表情を確かめる間もなく、ロイはエドワードを抱き寄せた。松葉杖を放り出し、ロイに縋りつく。
エドワードの肩口に、唇を落として、ロイは深く息をついた。
「なんだ、ないてんのかと思った」
「言ってろ。・・・・・鋼の」
「ンダヨ」
「返事を聞いていないが」
「なんの」
「告白の」
抱き寄せる掌に力がこもる。瞬間、血が上り、エドワードは離れようと男の胸に手を突くが叶わない。
「てめえな、時と場所を選べ、罰当たり・・・!!祟られんぞ!!」
「リリィも怒らんよ。彼女は君が好きだったみたいだから」
「・・・どこをどーしたらそんな解釈できるんだ・・・・・」
「・・・・・・・・・エド?」
低い声で、ロイが耳元で囁く。ずきんと鳩尾が酷く痛み、エドワードはたまらず拳を握った。
「は、はな・・・ええと、そんなもんな、」
「言わなくてはわからない」
しれっと続きをそらんじる聡さに、腹が立つ。けれどいわなければ、ロイは許さないだろうということだけはエドワードにもわかる。ああクソ。言質とりてえだけだろが、と悪態をつきながら、それでもエドワードは口を開いた。
「・・・・・・よ」
「なんだ?大きな声でもう一度、ハイ」
「むかつくな・・・・!好きだッつってんだろが!!!」
「鋼の、声が大きい」
「てめえな・・・・・・!!!」
今度こそ殴ろうと拳を固めると、ロイは大声で笑った。
「早く帰って来い。続きをしよう」
ちゅ、と額に口づけられて、エドワードは固まる。そういえばこの男と、ものすごいキスをしたことがあったと思い出したせいだ。口付けだけで、あんなにものすごかったのに、その続きとなるともう完全にエドワードの想像の範疇を超えている。これはとんでもない男につかまったのかもしれないと漸くエドワードは気付く。
「・・・・・・・・・・・?」
ふと、遠く名をよばれたような気がして、エドワードは振り向く。視界の端に弟の姿を留めて、慌ててロイから飛びのいた。
「兄さん、そろそろ行かないと。列車の時間」
「あ、ああ。わかった。じゃ、大佐。またな」
エドワードはロイに小さく手を上げる。その頬が赤いのに気がついて、ロイは微笑んだ。アルフォンスが礼儀正しく頭を下げ、松葉杖を手渡しながら兄を急かす。
「腕はきれいについたようだね」
「あ、ええ。兄さんが。足らない部分もなかったみたい」
腕を少し回して見せる。ギッ、と関節を鳴らし、アルフォンスは柔らかい声音で答えた。
「大変な目にあわせてしまったね」
関節を全て外されて、バラバラの状態で金庫に詰められていた、アルフォンスを思い出して、エドワードは改めてぞっとする。怖かっただろう、と体が震えた。そんな兄の状態に気がついたのか、アルフォンスはわざとのんびりと、けれど気合を入れるように兄の背中を叩いた。
「こういうの、慣れてますから。ね、にいさん」
「慣れてねーよ」
「大佐こそ、足まだ治らないんですね」
「骨折しているからね。まあでも、大丈夫だ。撃たれたところはまだ少々痛むがね」
「・・・・・・・ホークアイ中尉に、みつからねえようにここまで出てきたくせに」
「うん、もうすこし入院してかえるよ。休暇がてらね」
ははは、と笑うロイにあわせるようにアルフォンスが笑う。
「じゃあまた。大佐、無理しないでくださいね」
「ああ。君たちも」
会釈をして、アルフォンスは兄を急かす。ロイを置いて、エドワードとアルフォンスは先を急いだ。墓地を抜けて、雪道に足を取られながら歩いていく。歩きながら、アルフォンスがぽつりと問うた。
「ねえ。さっき、なにはなしてたの?」
「は?べべべべつにいい???なんかはなしてたか?なんか聞こえた??」
アルフォンスが声を低くして、エドワードによりそうように歩調をあわせる。
「抱き合ってた」
「ブッ」
エドワードは思わず噴出して、アルフォンスを仰ぎ見る。やべえやべえ血が上る、顔がぜってえ赤い!とわかるけれど、そんなもの止めようがない。なんと言い訳しようと、口ごもるうちに、アルフォンスが囁くように声を潜め、言った。
「大佐、笑ってた」
「へ?あははははは、そうかあ?あははははははは」
「・・・・・・凄く、怖い顔で」
「え?」
「・・・・・・・・・・・怖かったよ。僕。いやな顔してた。笑ってた。カエルを握りつぶす、子供みたいな顔。・・・・・・・・リリスに似てた」
「あーもーやめろよ変なこというの」
リリスに似ていた?
それはぞっとするような想像だった。これから吹雪くだろう。身を切るような風に、エドワードは眉を寄せる。
「ねえ兄さん。気をつけてね。大佐に気をつけて。僕は、兄さんのように大佐に気を許したり出来ないよ。・・・・・あの人、とても怖い人だ。・・・・・リリスなんかよりずっと。僕は大佐が怖いよ。さっき、本当に酷い顔をしてたんだ。笑ってて、亀裂みたいに笑ってて、ぞっとした。体のない僕だけどぞっとしたんだ」
バカだな、なにいってんだ。大佐がオレらになんかする理由なんかないだろとわずかに強い口調で、アルフォンスの言葉をさえぎり、エドワードは行くぞ、と歩みを速める。アイツのことなんかなんもしらねえだろ、とイライラと唇を噛む。優しい男だ。それを捕まえて、カエルを握りつぶす、子供だと?アイツが?
「まあいいけど。お前、あんま大佐のことなんかしらねえのに変なこと言うなよ」
「兄さんだって、大佐のなにを知ってるの?」
なにを?
一抹の不安が過ぎる。それに気付かないふりをして、エドワードはわざと声を明るくして見せた。
「なにをって。だから、適当なこというんじゃねえよって、」
「気をつけて兄さん。・・・・・僕は大佐が怖い。怖い人だと思う。いつか酷いことがおこりそうでイヤなんだ」
「・・・・・うるせえぞ」
「まるで、全てがウソみたいに」
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みられただろうか、と思う。
あの魂だけの弟は、それゆえに感情や嘘や悪意に敏感だ。
手に落ちた、と確信してこらえきれずに笑ってしまった。あの聡い弟のことだ、今頃エドワードに釘でも刺しているだろう。だが、もう遅い。あれは私の手の内にある。そんなものは刺さりはしない。
ははははは、リリス、みたか。あれは私のものだ。オマエには生涯手に入らなかったもの。あのきれいな魂が私のものだ。
歌を歌うように仮面をかぶることが出来る。
あの子のために、優しい男であり続けることが出来る。邪魔をするなら、あの弟の魂だろうが処分してしまえばいい。錬成陣を爪で掻けばそれで終りなのだ。
あの子が手に入る術はもうとうの昔にわかっている。
ああたのしなあ。たのしいなあ。
あの子が好きだなあ。新しいおもちゃ。嬉しいなあ。どうやって遊ぼう。遊ぼうと壊そうと、この胸三寸で自由なのだ。これ以上の悦びがあるだろうか。掌に命を握る、この感覚。ずっと焦がれていた、きれいな魂。
爪先の花束を踏みにじり、ロイは笑った。
人形女、せいぜい土の下で歯軋りしていろ。死ねば負けだ。おまえ達は所詮私があの子を手に入れるための、この国でのし上がっていくための、踏み台でしかなかった。
おまえ達の不死の研究、せいぜい有効に使わせてもらう。
中央の研究所から押収した、吐き気のするような錬金術実験の結果は、すでにヒューズからホークアイの手に渡っている。まったく、おまえ達はそれなりに役に立ったというわけだ。
この国でのし上がるためなら、何でもできる。
死すらもゲームでしかないのだ。
ロイは胸の高揚を冷ますように、墓標を前に立ち続けた。
雪が、女の生きた証を埋め尽くしてしまうまで。
何事も、なかったかのように。
終