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 女は膝を抱えている。室内が明るいということが、むしろ不気味だった。まるで現実感がない。
 ここの地下室が薄暗く、汚水の滴るような陰惨な場所だったならここまでおぞましくはなかっただろうに。
「・・・・・・アンタのほかに、協力者がいるのか」
「え?」
 掠れたエドワードの呟きに女は、本当に機械仕掛けの人形のように無邪気な表情で首を傾げる。すぐにすぐ女の話を信じることができずに、エドワードは眉を寄せて問う。
 この女は本当にイカれていて、今まで話は全部妄想なんじゃないだろうか。むしろそうあってくれと願いながら、エドワードは返答を待った。女ひとりで、男を十数人拉致して人体実験を繰り返したなんて荒唐無稽だった。仮に今は亡き、リリスの父親の協力があったとしても想像することは難しい。
 父親を亡くして、錯乱しているだけ。そのほうがどれだけ真実味があるだろう。
 しかしリリスは、壁に鎖で吊るされたエドワードを見上げて、笑いもせずに今日の天気を答えるような気安さで、すぐには理解できない返答を返す。
「みんな埋めたから・・・・」
「埋めた?」
 言葉の意味が、どうしてもわからずに鈍くエドワードは重複した。ただぞくぞくと、何かを予感して皮膚があわ立つ。
「中央で私達に協力してくれていた軍人はみんな殺して埋めてしまったの。東部に来てからも協力者はいたんだけど、その人たちももうお庭に埋めたわ。外に捨てたかったけれど、この間の事件から警戒が厳しくなったでしょう?本当はいやだったの。雪が深くて大変なんだもの。ああ、それから犬もみんな処分したし・・・・」
「犬ってなんだよ・・・・」
「だから・・・犬よ。人間を調達するより、犬のほうが簡単に手に入るじゃない。人の魂を犬に。犬の魂を、人に。犬になるって、どんな気分なのかしらね。みんな反応が一緒なの。犬の声帯じゃあうまく発音できずに『うぢべがえじでー』って。先に頭が狂うのね。うふふふふふ、それでも最後には段々上手におうちへかえしてっていえるようになるものよ。その頃には、体が拒絶反応を起こして死ぬ。でももうそんなのまってもしょうがないから処分したの。うるさいし、かさばるでしょう。死体が一番厄介だわ。ゴミに出せればいいのに」
 憤りを、この女へ伝えようとしても無駄なのだろう。この女には、何かが欠けていた。命を弄ぶ罪悪、思いやりの欠如、そんなものが。着せ替え人形で遊んでいるのとなんらかわらないように行われてきた人体実験。けれど押さえきれない怒りがある。それはただの八つ当たりなのかもしれないし、純粋な偽善だったのかもしれなかった。
 それでも、汚されていく気がした。人体錬成が、今ではただの残された人間のエゴでしかなかったと知っているけれど、それでもあの時の純粋に母親を思う時の気持が。
 魂を、人間をそんなふうにもてあそんでいいはずがないのに。
「・・・・・アンタは父親を亡くして、悲しくなかったかよ?」
「悲しくなんかないわ」
 その即答に絶句する。
「だってお父様は生き返る。ロイマスタングの器を手に入れて。いったでしょう?そのための実験だったのだから」
「究極のファザコンだなてめえは・・・。死ぬ前からそんなクソみてえな実験を繰り返してましたってか。人体錬成してみりゃいいじゃねーか。レシピは教えてやるからさ」
「あら。うふふふふ、失敗作のレシピを?いやあよ。うふふふふふふ。この腕も足も、お父様の大事な私の体なんだもの。傷の一つもつけたくないの。私はお父様の宝物だから。それにね、貴方、勘違いしている。うふふふふ。あのね、そもそもこれは中央の研究所で行われていた実験なのよ。いかにも私達が悪の手先みたいな、そんな言い方は心外だわ。私もお父様も、公式の記録には一切載っていない、そうねえいわゆる秘密の研究所で働いていたのよ。かっこいいでしょう。今はお父様が亡くなってしまったから誰かが継いでいるのかもしれないけど・・・・・」
「研究所って・・・・」
「『不死』の研究」
 うふふふふ、と女は笑う。人形のような顔で。
 何の感情も持たない、おぞましい、うつくしい虚ろな顔で。
「別に珍しい話でもないでしょう?どこの国でもしてる当たり前の研究じゃない?施政者は死を恐れる。いろんな実験をした。人体錬成も、魂の錬成も、魂の移し変えも、脳だけを生かす研究、ゾンビにおばけに呪い、魔術、バカみたいなことも沢山したけれど、魂を入れ替える方法が一番成功率が高かった。術師の腕が悪かったのもあるかもしれないけど。うふふふふ、私へたくそだから」
「・・・・そ
のわりにはリバウンドもしてねーな?」
「ほかの人に身代わりになってもらっていたから。いくら失敗してもよかったの。だって、中央には死体の処理係もいたんだもの。でも今はあの人も土の下だから、死体を処理できなくなってしまったわね。可哀想。ねえ、だから安心してね。屋敷の中に悪の手先の兵士たちも、私の言うことを何でも聞く化け物みたいな実験動物なんかもいないから。この屋敷のなかには、いまは本当に私と貴方のたった二人きり。・・・ああ、どこかに貴方の弟もいるのだけれど」
「なんでアンタ、オレになんでもかんでも話すの・・・・」
「あら」
 うふふふふ、と女は笑い、手元の銃をもてあそぶ。慣れない仕草で銃口の先を弄り、手に余る鉄の塊を撫で回している。
「だって貴方、手伝ってくれるでしょう?私のお手伝い、してくれるわよね?だったら仲間じゃない。私達、仲間になるんだから、秘密なんかないでしょう?」
「オレは、協力するなんてひとっことも・・・・っ」
「じゃあ弟を殺すの。弟を裏切ってロイをとるの。貴方があんな体にしてしまった弟を殺して、ロイをとるの。じゃあ、いいのよ。弟なんかどうでもいいと思うのならばそこから勝手に逃げだして、ロイに全てを話すといい。そのかわり弟は、弟の魂は貴方のもとには帰らない。それだけの話よ。貴方が逃げ出さないのは、弟を選んだからじゃないの?」
 違う。
 違うと、エドワードは首を振る。けれど咄嗟に声が出なかったのだ。誰への言い訳だ。誰へ言い訳をしようとした。
 誰かを選ぶとか、選ばないとか。そんな状況ではなかったはずだ。この女に騙されて、こんなところへ連れてこられて有無を言わせずに協力を強いられている。オレが選んだことじゃない。
 
 オレは、ロイを

「逃げ出せねーだろ、機械鎧までぶっ壊されて・・・」
 オレは何も選んでいない。
 オレは、なにも選んでいない。
「そうかしら・・・・じゃあそういうことにしておこうかしら。ああ、早くロイが来ないかしら。こうしてじっと待っているのも退屈なんだもの・・・・」
 魂を入れ替える。
 できるわけがない、そんなこと。
 異なる魂と肉体のおこす拒絶反応を押さえ込むことなど、今のエドワードの技術では到底無理な話だった。下手をすれば、肉体の死を招くだろう。
 肉体の死。
 ロイの死。
 ロイを殺すのか。
 弟の命と引き換えに、オレがロイを殺す。
 できるわけがない。今となっては。もうとっくにエドワードは気がついていた。この女の言うとおりだった。

 オレはあの男を好きなんだ。

 女のように無様に。
 あんなからかわれただけの、乱暴な口付けに、期待してしまっている。
 少しは思われているのかと、期待している。
 
 気がつかなければよかった。気がつかなければ。
 殺せただろうか。
「・・・・来た・・・・・・」
 女は内緒よ、とでも言うように唇に指を押し当てて、かくれんぼをする子供のように笑った。手元の銃を背中に隠して、座ったまま扉を凝視する。かすかな、独特の足音は確実にこの地下室へと近づいていた。息を飲み、エドワードもただ扉を見つめることしかできない。あの男でなければいいと思うけれど、どうしようもなく直感が、ロイだと告げている。
「こんばんは」
「ノックくらいしたほうがいいわよ。取り込み中だったかもしれないじゃない」
 見慣れた鎧の片腕を抱え場違いに笑い、ロイは松葉杖に寄りかかり、おどけたように肩をすくめて見せた。
「招待状にしては大きすぎないかね?うちのポストが壊れてしまった。君に請求してもいいだろうか」
 その呑気ないい様に、瞬間的に頭に血が上り、エドワードは怒鳴りつける。
「ケツの穴のちいせーことゆーんじゃねー!!てめえはノコノコきやがって・・・っ!!」
「やあ鋼の。三時間ぶりくらいか?念のために聞いておくが、まさかそういうSMプレイが好きなんじゃないだろうね?」
「えすえむ?」
「つまりそういう、吊るされたりぶたれたりするのを気持ちいいと思うほうなのかね」
「・・・・・・・・だったらどうだっつんだ」
 歯を剥いたエドワードに笑い、ロイは女に向き直る。
「けが人をこんなところまで呼び出した理由を聞きたいな。申し訳ないが、この足でここまで降りてくるのは大変だった。上の部屋ではできない話なのかな。鋼のを吊るしあげた理由も聞きたい。この乱暴な招待状の理由もね」
 アルフォンスの片腕を掲げて、ロイが問う。エドワードの位置からではよく見えなかったけれど、何事かが乱暴にその鎧の腕に書き込まれているのがわかる。どうやって、この男をたった一人でここへ呼ぶことができたのかも。
「うふふふふ、本当に一人できたの。ばかねえ。そんなにこの兄弟が大事だなんて、ほんとにバカねえ。それとも、一人でどうにかする自信があったの。私なんてお話にならなかった?」
「そうだな。その両方だ。このチビまでつかまっているとは思わなかったがね。一人で来なければアルフォンスを殺すと言われれば、来るしかないだろう?見殺しにすれば、それこそそこのチビに殺される」
「てめ調子にのってチビチビいってんじゃねーぞ!!」
「ならビチビチでどうだ」
「気持悪い擬音使うんじゃねー!!空気読め・・・!」
「あはははは、生きがいいな。まさにビチビチだ。アルフォンスはどこだ?」
「こっちが聞きてーよ!!」
 無性に泣きたい衝動を堪えて、エドワードは悪態をつく。なんだろう、この安堵は。何も終わっていない、何も解決していないというのに、顔を見ただけで、泣きたくなるなんて。
「アルフォンス君は、今この屋敷のどこかにいるわ。私に逆らえば、あの子を殺す。簡単でしょう?じゃあロイ、早速で申し訳ないのだけれど、そこへはいつくばっていただける?」
「・・・・・・・ここへ?」
 汚い床を指差したロイに、リリスは微笑を返す。のろのろと立ち上がり、レース過剰なドレスの埃を払いながら、「そう」と頷く。
「断るといったら?」
 おどけて肩をすくめて見せるロイに、返答はなかった。スカートの裾に隠していた銃を握り、掲げる動作にエドワードは叫ぼうと口を開く。開いた瞬間。まっすぐエドワードへと向いた銃口が破裂音をさせて、狭い地下室に反響した。右足を殴られたような衝撃と炎の塊をねじこまれる痛みに、けれど悲鳴は出なかった。息がつまり、呼吸をおかしくしてしまう。はじめて撃たれた衝撃に、エドワードはただ呻くことしかできなかった。
「こうなります。ね、簡単でしょう?うふふふふふ。ね」
「・・・・・・・なるほど」
 ロイは漆黒の双眸を細めて、笑った。まるでかわらない表情だ。エドワードの良く知る、ロイだったはずだ。
 けれどその気配は獰猛で残酷なものへと変化していた。見たこともない男のように。
「簡単だ」