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「その金髪。いっそ頭の上で二つにくくってはどうだ?少女に見えなくもない。かわいいじゃないか」
「はあ?うっせえな、アンタにかんけーねーだろ」
「関係あるよ。・・・・・早く大きくなってくれ」
微笑んで頭の上に掌。
「大佐に言われなくても大きくなったらぁ!!カルシウム丸かじりじゃ、アホンダラ!!」
それでも指先を、跳ね除けなかったのは。
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窓の外に見える表では、ゴミのように振り続ける雪が闇の先を明るくしている。昼間訪れたはずの女の家は人気もなく、今はただしんと静まり返るばかりだった。物音ひとつしない屋敷の中を、エドワードは女と二人歩く。なぜか、先ほど訪れた遺体安置所を思い出させ、エドワードを妙な気分にさせた。
「ほかに誰もいねえの」
「そう、大事な日だから。さあ、こっち」
女が白い指で指し示すのは、昼間気がつかなかった、地下へと続く階段だった。いかにもすぎて笑う気にもなれずにエドワードは諾々と従う。女が古めかしいランプに炎をともして、先を行く。その華奢な背中を見下ろしながら、まるで地獄へ行進するような妄想がエドワードを捉えた。
この下には、なにかいやなものが、あるような。
そんな。
「・・・・なあ」
「なあに」
「オレが、女だからあんたに手ぇださねえと思ってんの?」
「うふふふふ、違うわ。私に手を出せば弟の魂の安全が保証できないことを、貴方がようくわかってると信じているの。階段が滑りやすいから気をつけてね」
暖房は効いていないらしく、エドワードを凍えさせた。女から早々に奪い取った弟の頭を抱きしめて、イライラと唇を噛んでまっすぐ正面を向く。ただ抵抗も出来ずにつれてこられた現状にたまらなくいらいらとする。
「なあ、あんたどういうつもり」
短い問いに答えずに、女は歌を歌う。耳障りのいいソプラノで、エドワードもかつて母親にならった簡単な旋律のそれが、こんなに神経を苛立たせるものだったとは。答えない女に痺れを切らして、乱暴に壁を蹴りつけた。
「女の子相手に乱暴じゃない?」
「オンナノコは人の弟攫ったりすんのかよ」
「うふふふふふ、やあだ。むきになって」
「どうでもいいんだよ。ねえアンタどういうつもり?いい加減にしてくれねえと、オレキれそうなんですけど」
話は車にのってからにしましょう私運転するからそうね有り体に言えばこの子は人質ねあなたが逆らうなら弟は永遠に戻ってこない、と脅し以外の何者でもない言葉で誘われた。濡れたままの体が凍えて仕様がないけれどまさかこの女の前で着替えるような無防備なまねは出来なかったし、そうする猶予も女は与えなかった。けれど結局この屋敷に着くまで女にはぐらかされ続け、エドワードの忍耐ももはや限界に近い。
「ねえ、ロイとどこにいっていたの?」
「・・・・・・・・・いえるかバカ」
「えっちなところ?」
げほごほと素直に反応してしまうのは、幼さのせいだろうか。疚しいことなんざ何もねえぞと思いながらも頭を過ぎるのは、先ほどのキスだ。
「あら。図星かしら」
「んなわけあるか・・・!軍の施設だ!!」
「ふうん・・・・。デートかと思った」
「・・・・なあ、あんたほんとどういうつもり?なんで、こんなまねするわけ。オレになんのようだよ。こんなまねしなくちゃ言うことをきかせらんないような話し?あっ、オレのこと好きなんじゃねーの?」
「うふふふふ、そうだったら、よかったのかも」
女はただ闇の先を、ガラス玉のような感情のこもらない青で見つめる。
「私ね」
「んだよ」
「今みたいに、こんなにかわいくなかったのよ、昔」
「・・・・どんだけ自信過剰なんだ」
「あら、でも私、かわいいでしょう?」
「・・・・・・ニンギョーみてえで、おれは好きじゃねえ」
何気なく、嫌味のつもりで発した言葉にリリスは笑い声を漏らした。本当に楽しそうに。
「ロイと、おなじことをいうのね。・・・・・・いいじゃない。こうしてゆっくり話せるのは今だけなんだし仲良くしましょうよ。私、ほんとうに可愛くない女の子だったのよ。がりがりで男の子みたいで、背も小さくて。お家の中ばかりで遊んでいて、お友達もいなくて。お父様はいつも忙しそうにしてて遊んでくれることは少なかったし、お母様は私がちいさな頃に亡くなっていて」
妙に同調してしまいそうなプロフィールだなと、エドワードは自分を叱咤する。バカかオレは。こんなイカレタ女と同調してどうする。
「だからいつも一人で遊んでいたの。貴方たちは、兄弟二人でいいわねえ。うらやましいわ。私も妹が欲しかったわ。そうしたら・・・・・」
何かをためらうように、視線を宙に漂わせ、リリスはそこで言葉を切った。その続きの言葉は結局もたらされなかったけれど、エドワードは聞き返すつもりなどはじめからなかった。
「ついた・・・・・・」
ひんやりとした空気が足元を流れる。光源のひとつもない空間は、目を凝らしてもただ黒が続くばかりだ。リリスが壁に手を這わせてぱちんとスイッチを弾く。チ、と天井に光が走り、その室内を照らし出す。思ったよりも広いその空間に息を飲みながら、エドワードは立ち尽くす。何のためにつくられた部屋なのか、一目瞭然だったからだ。
「珍しいかしら。古い、大きなお屋敷にはいまもつかっていないこういうお部屋は、どこにでもあるものだと思っていたけれど」
「んだ、この趣味のわりい部屋・・・・」
壁にぶら下がる錆びた鎖や、部屋の一角には鉄格子、敷き詰められた石の間にどす黒くこびりつく汚れの正体は、たとえただカビだったとしても、否応もなく血液を喚起させざるをえない。
「拷問だとか、おしおきだとか。まあ、そういうお部屋。さあ、かわいこちゃん、あの壁にぶら下がる鎖のついた手錠が見えるでしょう?」
「・・・・・・・・・・・・・」
「ぶら下がっていてくれる?抵抗できないように」
にこりと笑い指差された先の、錆びた鉄の環を視界にとどめてエドワードがため息をつく。
「・・・・・あのな。もー付き合いきれねえぞ、オレは」
「そうかもしれないけれど、貴方は私の言うことをきいたほうがいい。でなければ弟は本当にあなたのところには帰ってこない。そして貴方もこの屋敷から出て行くことが出来なくなる。お願いだから言うことを聞いて頂戴。これが何かわかる?」
「・・・・・んだそれ」
もたもたと女が懐から取り出した鉄の塊の不恰好さに笑ってしまう。
「マジで?」
「そう。マジなの。さあ早く。そこに小さな脚立があるから、それに上って手錠を右手首にはめて。本当は両側からぶら下がるように作られていたんだけど、片方は壊れてしまったの」
冗談のように、腹部に銃口を押し当てられながらエドワードは脚立を上った。けれど、エドワードは信じていなかったように思う。この状況はまるで、下手な芝居のように緊張も緊迫もなく、女のおままごとに付き合っているような感覚しかエドワードに与えなかったのだ。いつでも逃げ出せる自信があったから。いざとなれば、この女一人くらい、どうとでもなると。
「ああ、まって。右腕の機械鎧の接続を切らせてね」
何かをいう間もなかった。ナイフを右肩の関節に差し込まれ、中の接続神経を綺麗に二、三本断ち切る。
「んな・・・・・・・・っ・・・っ・・!!」
直接神経を絶たれるその衝撃に、エドワードは咄嗟に声も出ない。足元の脚立を女が引く。全体重の負荷はすべて右手首に掛かる。ごきり、といやな音がどこかでした。
「だって、機械鎧って、なんだか強そうじゃない。うふふふふ、こうしておけば安心でしょう?虫の標本みたいだわ、うふふふふふふ」
「・・・・・ババア・・・・ッ、てめ、ふざけんなよ・・・・!弁償してもらうかんな・・・・!」
「うふふふふふ、あははははは、貴方ほんとにおかしい」
「うちの整備士はマジでスパナで頭殴る女なんだぞ。また機械鎧壊したなんて言ったら・・・・」
「ちょっと辛いでしょうけど我慢していてね、そんなに長くはかからないはずだから。すぐにロイが来てくれるわ」
「大佐・・・?なんで・・・・」
女は答えず、そのまま地に腰を下ろして両足を抱えた。無造作に手にしていた拳銃を放り出す。飽きたおもちゃを投げ出すように。その仕草は、ほんとうにただ幼い少女のようだ。何のてらいもなく、綺麗なレースのドレスのまま泥の上がった床に座り込む。その仕草に、エドワードはぞっと背筋をふるわせた。
どこかが。
なにかが異様だ。
この女は。
「右手、大丈夫?」
唐突な問いに顔を上げて、エドワードはすぐには返答できなかった。何故そんなことをきくのか。
「私、この間の夜貴方の右手、車のドアに挟んだでしょう?」
ね、と微笑んで、女は小首を傾げる。
「・・・・・・アンタ」
背筋の毛が逆立つ。あの夜のことを言っているのか。
死体をみつけた、あの夜。
高級車。小柄な黒いコート。しわがれた声。
あの夜、見えなかった黒いフードの下の顔は。
「貴方がぶら下がっている手錠の片方ね、私が壊してしまったの」
「・・・・・・・」
「鍵をなくしてしまって。でももう、腐っていて臭かったから捨てたくて」
なにを、と聞くほど愚かではない。
けれど、聞かずにはいられなかったのだ。信じたくなかったといってもいい。
「なにを・・・」
「斧で腕を落とそうと思ったんだけど、ばかねえ、私あまりに重くて手元が狂ってしまって。手錠ごとぐちゃぐちゃに」
「・・・・・・・・なんで?」
「実験に失敗したの」
「・・・・なんの」
干からびた声で、愚かにエドワードは問いを繰り返す。
自分が途方もなく恐ろしいところへつれてこられたのだと気がついた。けれどもう遅かったのだ。
「魂の錬成に」
「いれものに移し変えるだけなのに」
「どうしてもうまくいかなくて」
「たくさん失敗してしまって」
「魂は他人の体ではどうしてもなじまない」
「私はへたくそだから」
「たくさんたくさん練習したのに」
「だから」
「貴方にお願いしようと思って」
「あなたなら、他人の器だろうと、魂を錬成できるんじゃなくて?」
「失敗してもいいのよ」
「何度だって、やりなおせばいいんだから」
「貴方の手足で足りなくなったら、私のをあげてもいいし、それでも足りなかったら、誰かに提供してもらえばいい」
リリスは表情一つ変えずに、揺らぎもない声で
「だからわたしにロイの体をちょうだいね」
あの器を手に入れるために、実験を繰り返してきたんだから。
「お父様のために」