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『で!そこでエリシアちゃんが天使のような、鈴を転がすような愛らしい声でうたうわけよー!お、ききたい?ききたい?うちのエンジェルちゃんの天才的作詞作曲の名曲をききたいか?ならば歌ってやろう!パパのおひげはよいおひげ~♪い』
受話器を渾身の力でロイはたたき付けた。エンジェルちゃんとやらのおうたをうたう、ヒゲ面のヒューズの顔を想像しただけで、腸が煮えくり返る。
「大佐、もうすこし丁寧にあつかっていただけますか」
底冷えのする低音でホークアイが、ロイを一瞥した。やらなければならない仕事は山積みで、とにかく全員がいらいらと機嫌が悪い。ハボックの机のあたりはもうもうと煙が立ち込めて、さながらちょっとした火葬場だ。脇に座るブレダがしきりにばたばたと書類で仰いでいる。
「すいません・・」
こういうときのホークアイに逆らうことは賢くない。素直に謝り、すぐさま再び鳴り響く受話器を取り上げる。交換手の告げた名前は当然のようにヒューズだ。
『おまえなー!ほんとに切るか?普通!肝心の話が終わってねーだろうがよ』
「お前のエンジェルちゃんの惚気話が5分も10分も続けば、切らざるをえんだろうが!そんなにかわいいなら、一度私が面倒をみてやろう。夫婦で旅行でもデートでもしてきたらどうだ?そのかわり、エリシアが将来はマスタング大佐と結婚するとか言い出しても、後悔するなよ」
『・・・・・・お、お前なー・・・・!』
受話器の向こうで悲鳴のような声を上げるヒューズに気をよくして、ロイは鼻先で笑った。
ストレス解消には、やはりハボックかフュリーかヒューズに限る。
『エリシアは一生結婚なんざしねえんだぞ・・・・!パパの老後の面倒を見て、パパのオムツを替えたりパパの車椅子を押したり、パパの』
「そのうち『ちょっと、パパのパンツと私の服一緒に洗わないで!』とか『口が臭い』とか『足も臭い』とか『どっちかといえば存在が臭い』とか言い出すに決まっている」
『・・・・うぐぐ』
受話器のむこうで、おそらく喉元をかきむしって悶えているんだろう。正直気色悪いな。
「そんなことよりヒューズ。宿題は終わったのか?」
『あのなー。軍法会議所もそれなりに大変なのよ。息抜きにエリシアちゃんとグレイシアの写真にキッスをする暇もありゃしねえ。一通り、だな。まあ、お前も知ってる程度の話しかねえけど。まあまた文書で送るわ。あ!あとな、某未亡人とその子供が、夫人の実家のあるイーストシティに里帰りしたらしいぜ。住所教えてやるよ。誰か使いをやって直接話し、聞いたらいいんじゃねえの?なんか聞けるかも知れねえしきけねえかも知れねえ。無駄足覚悟で。まあ、かなりお嬢さんらしいから。いきなり軍人のいかついのがいくとびびらせるかも知れねえ。中尉あたりが適材だろうな』
「そうか。わかった。まあ引き続き頑張りたまえ」
『くっそお前、なにを偉そうに。一つ貸しだぞ』
「うむ。めでたく出世した暁にはお前の娘を嫁にもらってやろう」
ぎゃあ!という心底からの叫びに、この手はしばらく使えるなと視線を上げれば、ホークアイの冷たい視線に出会う。その顔は「このロリコンが」とでかでかと書いてある。ちがうちがうと、手を振ってみせても効果はないようだ。
『ところで面白い話を聞いたんだが。青の団の残党が東部にのこってたって?』
「ああ、そうだ。おかげさまでこっちはたいっへん!忙しい。お前の家庭自慢を聞いている暇はないのだよ」
『イーストシティの出世頭様はいそがしいねえ。あんまり頑張って働くとハゲるぞ』
いっそ壊れろという勢いで、ロイは受話器をたたきつける。はっ、と我に返れば、ホークアイが呪わしくロイをにらみつけている。すぐさま鳴り響く受話器をとれば、電話交換手もあきれ気味だ。
『おまえすぐ切るなよ!カルシウムを取れカルシウムを。嫁さんもらえ』
かろうじて受話器を二つにたたき折るのを堪えて、ロイは声をしぼりだした。
「・・・・・・私は、お前のむすめと、けっこんしてやる・・・!おとうさん!」
『ひー・・・・・!』
「話はそれだけならば、もう切るぞ」
そろそろホークアイがキれそうだからだ。
『まあまあ。中央の諜報部を出し抜いて、青の団とその拠地を発見したらしいじゃねーか。大総統がいらっしゃると、力の入り具合が違うねえ』
「点数稼ぎでもなんでもしてやるさ。これ以上は機密なのであかせないぞ」
『いやいや。頑張れよ。エドワードは元気にしてるか?』
「・・・・・・・・そうだな」
世話焼きの親友に、実情を告げることはためらわれて不本意にも偽る。あんな酷い状態のエドワードをしれば、この男は一も二もなく駆けつけるだろう。立場も忘れて。
自分に出来ないことを、あっさりやってのけるんだろう。
けれど、じぶんにも、ヒューズには出来ないことが出来るはずだとロイは思う。
「お前は心配するな。・・・また、セントラルに帰ったときにグレイシアのアップルパイでもご馳走してやってくれ。なにせ、いいものをくってないからな。鋼のは洗濯板のようになってる」
『そうだろうー!グレイシアのつくるアップルパイはほんっとうに最高なんだよなあ!お前もさっさとよ』
今度こそ受話器をおいて、ロイは電話のコンセントを引き抜いた。
******************
体中がぎしぎしと悲鳴を上げているようだ。
エドワードは毛布を引き寄せ、獣のように体を丸める。手足を引き寄せて、シーツにももぐりこんだ。室内はベッド際の小さな明りに照らされてほんのりと闇に浮かぶ。いまが何時なのか、見当もつかない。
いろいろな夢を見たような気がする。意識が混濁としていて、何一つ鮮明には思い出せなかった。
(・・・・大佐)
(いたような気がするな)
それともあれは現実だったんだろうか。軍服の端とか、あのきれいな指先とか、そんな断片的な部分ばかりが脳裏に浮かぶ。そんなわけがないのに、妙にリアルだ。
久しぶりに深い眠りをえて、わずかに頭痛がした。脳の芯を焼く痛みだ。
体の向きをかえようとして、エドワードはソファに物言わず腰掛ける男の姿を視界にとどめる。
薄明かりに照らされた人物を、一瞬あの男かと見誤る。けれどその軍服の中心には大きな穴などなく、しっかりとした質感を伴ってそこに存在していた。
「・・・・・・・閣下」
熱のせいだろう。酷くかすれた声は自分のものではないようだった。女のようにかすかで、それにエドワードは不快感を覚える。
ブラッドレイは、エドワードの声ににこりと笑う。隻眼の瞳を線のようにして、体を起こそうとするエドワードを掌で押しとどめた。
「よい。そのままで構わぬ。熱はさがったようだな」
「・・・・・・・・・・すいません。今日はオレ、」
「うむ。何よりだ。随分と毛布をかき集めたのだな。寒かったのか」
そういわれて、はじめてエドワードは自分が寝入る前、こんなにも毛布を掛けていなかったことを思い出した。だれかが。だれかがここにいた?うろたえた視線を怪訝におもったのだろうか。ブラッドレイが「どうかしたかね」と問うのにあわてて返事を返す。
「なんでも・・・。もう大丈夫なんで。明日からはまともに働きます」
「うむ。そうしてもらおう。明日からはまた忙しくなる。反乱軍の拠地が明らかになったのでな。近いうちに戦闘になる。君にも働いてもらわねばいかんからな」
「・・・・・・戦闘ですか。実戦経験はあまりないので、お役に立てるかどうかわかりませんが」
自嘲気味に笑えば、胃がじくじくと痛んだ。体をゆっくりとおこし、毛布を剥ぎ取る。底冷えする夜気が、背筋を震わせる。
「大丈夫だ。そんなに難しいことを要求しようというのではない。簡単な仕事だ」
続けられたブラッドレイの言葉の意味を、すぐには理解できずエドワードは顔を上げた。
「・・・・・・・・え?」
「目撃者の有無は問わぬ。そんなものはどうとでもなるからな。戦闘の混乱に乗じてしまえばいい。身を挺して反乱軍と戦った、名誉の2階級特進だ。彼も本望だろう。掃討作戦の決行は、明後日未明だ。タイミングは君に任せよう」
「・・・・・・・・・すいません。よく意味が」
「聡明で知れた鋼らしくもないな。ロイマスタング大佐を暗殺しろと私は言ったのだがね」
好々爺そのものの笑みを浮かべ、穏かにブラッドレイは繰り返した。
殺せ?
大佐を?
「どうして」
うめくようにいったエドワードの言葉にブラッドレイは問い返した。
「どうして?」
「だって、大佐は大事なアンタの駒じゃねえのかよ。暗殺って、なんで」
「ふむ。鋼の錬金術師。君にならわかるはずだがね。彼ほど野心にあふれる危険な男はいないよ。私の地位を脅かす。扱いづらい駒だ。駒というのは従順で愚かでなければならない。彼は聡すぎるのだよ。君と違ってね」
侮蔑の言葉すら耳に入らない。
頭痛がする。
誰かがナイフで頭の中をかき回しているようだった。
ブラッドレイのソファの足元にはあの男がいる。口の端から泥のような血を零しながら虚ろな瞳でエドワードを見つめ続ける。その染みがどんどん広がって、エドワードのベッドの下まで侵食していく。
(あたまがいてえ)
ずきずきとする痛みにわずかに眉をしかめて、エドワードはわらった。
わらえ。
(笑うしかないと思った。笑う以外に、オレにできることなんか何一つない。大佐はもうオレを見捨てるだろう。ゴミでもすてるように、オレを捨てるだろう)
(笑っていて、何が悪い)
「私が何のために君を手元に置いていると思っている?まさか本当に秘書官として、排泄処理として、あんな面倒くさい手順を踏んだとでも思っているのかね。だとすれば、鋼の。本当に子供だとしかいいようがない」
「・・・・・オレはなんですか」
「年若く美しい錬金術の天才。私が自由に動かせる最強の駒だ。軍というのは同胞殺しに過敏な場所でね。なかなかに、私ほどの力をもってもやりにくいのだよ」
男がわらった。それは醜悪でグロテスクな、柔和な笑みだ。腐臭のするような。
「軍人専用の高級娼婦にでもなったと思えばいい。君ほどの美貌ならば高く売れることだろう。そしてその年齢ならば、どんな男でも油断する。男色に溺れた挙句の腹情死ならば、騒ぎ立てられることもない。手管が通用しないならば、戦闘にまぎれ夜にまぎれ、私の願いをかなえてくれるだろう?なあ、鋼の錬金術師」
「・・・・・・・・そうですか」
「マスタング大佐は相当に女好きだというから、戦闘間近でもあるし無理は言うまい。まあもっともきみが出来るというならばとめはせんがね。どうだ、あの男の寝床にもぐりこんで寝首をかくことが出来るかね」
「・・・・・・・・・・・やめときます。アイツ、ほんとに女好きだし」
「断る権限は君にはないのだよ、鋼の。弟の命に比べれば、縁もゆかりもない軍人を何人殺したところで痛む腹でもあるまい。はやく体をなおして、せいぜい私の役に立つことだ」
「そうですね」
頭が痛い。
いま、無性にアルフォンスに会いたい。
弟のまとう、キレイな空気に触れたい。
ここは臭くて臭くて、反吐が出るほど臭くて息がつまるんだ。
ブラッドレイの足元で、エドワードが殺した男が初めて笑った。
肉をナイフで切り裂いたような笑みだった。そこから覗く、血の赤。
「アイツぶっころすのなんか、簡単だ。寝るまでもねえ。アンタから手えつけてみれば?オレ初めてですから。いまなら病み上がりで、力はいんねえしね」
首を傾げて誘うように笑ってみせれば、ブラッドレイは鷹揚に首を横に振った。
「折角の誘いだが、残念だ。私にはそんな下賤の趣味は持ち合わせがないのでね」
「オレも残念。・・・こんな便所みてえなクソガキとはやれねえ?」
夜の帳。
早く塗りつぶせ。
心が黒く干からびる前に。
「まあ、閨房術に関してはいずれまた、別の者に仕込ませよう。いまは暗殺術を学ぶことだ。実地訓練は何よりの成長の糧となるだろう」
「・・・・いっぺんいいたかったんだけどさ。アンタ、最悪だな」
夜の帳。
オレを覆いつくせ。