列車の遅れは、そう時刻に影響することはなかったらしい。久しく留守にしていた、なれた職場の扉をノックしながらリザホークアイは、その華奢な手首にはめられた時計の文字盤に目を走らせた。
「ただいま戻りました。遅くなりまして申し訳ありません」
 敬礼をして、すでに会議のはじまっている室内に足を踏み入れる。ロイは小さく頷きをかえし、一同に向き直った。東方所属の面々を認め、懐かしい気にすらなる。リザは端に設けられた椅子に腰をかけた。
「伝達事項は、大体そんなところだ。中尉のために簡単に繰り返す。ファルマン・フュリーは中央の諜報部と協力し、情報の収集をいそげ。ハボックとホークアイ中尉は来るべき戦闘に向けて訓練に従事、ブレダは作戦本部との連携をとれ。私にいちいちを報告しろ。大総統閣下は、この10日で結果をだせと仰せだ。反乱軍の拠地をさがしだし、一斉掃討に向けて準備を怠るな。大方の予想通り私は上のおじ様がたの機嫌取りと書類整理を主に行う。まあ、作戦が決定すれば慌しくなる。みな定時に上がれるようせいぜい努力したまえ。以上」
「・・・・・・・・・・・・・大佐が無駄話をしなかったら、こうやって一分ですむんじゃないっすか」
「ハボック、一日禁煙ではものたらんらしいな・・・?!中尉の前で不用意なことを言うんじゃない!」
 街角の花屋のあの子の泣きぼくろがかわいいんだとか、清掃員として入っていた18歳のあの子は、服装と顔のギャップがいいんだとか散々くだらない話に花を咲かせていた同士であるハボックに裏切られて、ロイはあわてている。それを蔑んだ目でにらむ、ホークアイの気持はわからないでもない。
 セントラルからここまで、車中でも一睡もせずひたすら上司のために不休で働いて帰ってみれば、くだらないバカ話に花を咲かせているとは。その花をむしりとって蜂の巣にしてやりたいとホークアイが思ったとしても仕方ないだろう。
「いや中尉。いまのはハボックの冗談で」
「大佐」
「ハイ!」
「・・・・・・・・せめて大総統が視察にいらっしゃる間くらいは真剣に働いてください。おやつも禁止。猥談も禁止。散歩も禁止。窓拭きも禁止です」
「そんな・・・・・・や、いやいや!おやつくらいいいだろう!」
 そんな日常の些細な喜びまで取り上げられては真面目に働くことも出来ない。チョコの欠片を楽しみに働く上司のために、自分は軍で体を酷使しているのかと思い、ホークアイはほんの少し目頭が熱くなった。
「・・・・・・そんなことより大佐。とりあえず、出張報告をしますから」
 さり気なく人をさげてくれと訴え、ホークアイは手元の書類に目を落とした。そこに書かれていることは、勿論公式のエドワードの配属変更にまつわる文面だ。取り寄せれば、誰でも目を通すことが出来る程度の代物だが、意味が全くないわけではない。
 情報情報情報。
 まったくと、ホークアイは内心吐息をつく。
 軍というところの特異さは充分わかっているつもりだったが、こうも身近に迫れば不気味なものなのか。隠蔽と情報操作権力の私的流用という、その陰湿さには眩暈がした。仕方のないこととはいえ。






「要約すれば、こういうことか。セントラルに出向した鋼のを大総統御自ら見初めて、その瞬間から秘書官に任命したと。横暴なやり口だが、ぐうの音もでんな」
「そうですね。命令されれば従うのが我々軍人ですが、ただあの子は軍人といってもそこまで軍に忠誠を誓っているわけではありません。普通に考えれば、大総統という、軍事最高責任者が信頼できないもの、しかもまだ10代の少年をある日いきなりそばに置くなど、ありえないことなのですが」
「で?お土産はこれだけではないだろう?」
 ロイは壁にもたれ、腕を組みながら笑う。人差し指で、何の面白みもない書類をつついてみせる。勿論、と、どこに出しても恥ずかしくない有能な副官は、めったに見せない笑みを浮かべて、言葉をつむぐ。
「・・・・・・・実は先月、大総統府にてルーカス将軍がお亡くなりに」
「・・・・・・・・・聞いてないぞ」
 ロイは途端に眉を険しく寄せた。その名前には覚えがある。将軍職が一つあいたとばかりよろこんでばかりもいられなかった。
「それが、公式に発表されなかったのは、どうやら自殺されたからのようです。そのうち、伝達されるとは思いますが。葬儀も内々にすませたらしく」
「自殺?あの男が?」
「・・・・ご存知で?」
「臆病で狡猾で弱いものいじめと関節技をきめるのが三度の飯より好きなホモの変態だ。間違っても自殺なんぞするような男じゃない。私はみてのとおり顔がかわいいからな。仕官学校時代は、よく狙われた。まあ返り討ちにしてやったが」
「大佐の武勇伝のお話はけっこうです。・・・とにかく、ルーカス将軍はお亡くなりになった。期日はいつだと思います?」
「・・・おもしろくないな」
「は?」
「あまりに作為的な展開で、ひじょうに面白くない」
 ホークアイの手元の書類に書き込まれた日付を確認して、ロイは物騒に笑う。
 エドワードの中央出向のまさにその日、将軍職にあるど変態が自殺。ねえ。
「まあいい。ヒューズとは連絡を取ったか」
「いいえ。まだです。私もまだ調べることがありますので」
「閣下にばれんようにな」
「・・・・・・・・・・あなどってらっしゃる?」
「そうみえるか」
 全幅の信頼を寄せる、副官に向けてロイは笑い、背中を壁から離した。
「どちらへ?」
「親指姫に会いに」
 別にうまくもない比喩だなとホークアイは思いながらも、上司のかの子供への心遣いに安堵する。
「・・・・・・彼はどうですか?」
「朝、トイレでげえげえはいていた。関係ないから心配するなだと。子供の言い分はいつも自分勝手だ」
「おっしゃるとおりで。それでは私は今日の午後は腹痛で早退させていただきすので」
 すました顔で優雅に笑い、ホークアイは頭を下げてみせた。
「ああ。気をつけたまえ」
 無論ホークアイは腹痛などではない。
 ロイは背をむけ、給湯室をでた。
・・・・・・不倫でもしてるみたいだなと、ふと思いながら。








 アルフォンスはどうしているんだろうかと、ロイはあの礼儀正しい几帳面な弟を思いだす。無表情な鎧の面だろうと、にじみ出るような穏かと優しさを兼ね備えた子供だった。内側から籠るように響く幼い声音が、何故だか懐かしいと思う。おそらく、エドワードにとってあの子の存在は大きな救いだったのではないだろうか。
 そのおこぼれに預かっただけの、この自分でも癒されていたのだから。
 いつか本当の肉を持ったアルフォンスを見ることが出来るんだろうか。
 あの子供に似ているんだろうか。
 そのためにも寄り道をしている暇はないはずなのに。
 あの弟の手を離して、何時まで正気でいられるだろう。まだたった15の癖して虚勢を張ることばかり上手になって。くそばかめ。
 あの調子では、体調は未だに万全ではないだろう。
 嫌がるだろうが、作戦に協力しろとのことだし少々無理やりにでも息抜きをさせてやろう。素直じゃない子供だが、ハボックやブレダに小突き回されているのは少なくとも嫌ではない筈だ。
「失礼します」
 いつも自分が使っている執務室にノックをするのは、妙な感覚だ。
 おのれ。この東方には将軍の使っている部屋や出張の上官用につくられた上等のつくりの部屋はいくらでもあるというのに。この部屋の日当たりのよさを、即座に判断するとは。流石大総統だな。
 くぐもった返事がかえり、ロイは背筋を伸ばし、扉を押した。
 日がまぶしいほど差し込んで、床を照らしている。影が長く、ロイの足元まで落ちていた。
 金色の頭が青の軍服の、だらしなく寛げられた下腹部に強く押し付けられ、何度かゆすりたてられた。つまったような喘ぎが、子供の喉から漏れている。じゅぷじゅぷと濡れた水音が聞こえ、ロイは一瞬体を固めた。
「やあ。マスタング大佐」
 柔和な笑みを浮かべ、ブラッドレイが顔を上げた。その声に顕著に反応し、金色の子供は頭を起こそうとして、男の手に押さえつけられた。動揺は痛いほどロイに伝わる。
 体の底に、黒くうねる熱の塊がわきあがり鳩尾に凝る。ちり、と首筋の毛が逆立つのを感じて、ロイは必死に感情を押し殺す。
 顔に出すなと自身に命じ、声が上ずるのを押さえつける。
「ご報告に上がりました。とりあえずの対策会議が終わりましたので、」
「ああ。うむ。まかせる」
「は。少なくとも、明日明後日には、事実確認が終了いたしますので、具体的な作戦会議はその後になるかと。閣下、エルリック少佐も作戦に参加するとのことですが、まだ有効でしょうか?」
「ああ、勿論だ。彼は非常に従順で、優秀だ。そしてもと直属の上官の君の下で、さぞ活躍することだろう。期待しておる」
 従順の言葉の意味を、真に理解して、ロイは拳を握る。
「光栄に存じます。つきましては、今しばらくエルリック少佐をお借りしても?具体的な打ち合わせを行いたいと思っておりますので」
 息も乱さずブラッドレイは、もう一度強くエドワードの頭を揺さぶった。エドワードはわずかに抵抗し、両手で男の足を突っぱねながらも、されるがままだった。


 今朝、激しく嘔吐を繰り返したエドワードの姿を、ロイは思いだす。
 そうかと合点し、同時に憎悪にもにた怒りが湧き上がる。
 これ以上ここにいれば。
 何をするかわからない。


「エルリック少佐、あとで私のところに来るように」
「いまは返事が出来ないようでな?すまないな、マスタング大佐」
 キングブラッドレイは、そういって笑う。
「は。それでは、失礼いたします」
 敬礼を返し、背中を向けた。執務室を退出し、足早になることを止められず、ロイは冷たく明りを反射する白い廊下を一人、ただ怒りに囚われ歩く。
 怒りだ。
 ただ怒り。
 乱暴な破壊衝動に駆られて、懐の発火布を握り締めるように軍服を硬く掴む。どくどくと心臓が早鐘のように鼓動を繰り返す。熱が掌にこもる。頭痛すら覚える。
 落ち着け冷静になれ怒りを散らせ目的を忘れるな甘やかすな関係ないことだ関係ない私には、関係がない。
「大佐・・・・・・っ」
 突然腕をつかまれ、ロイは咄嗟に拳を打ち下ろそうとし、すんでのところでそれを堪える。
 はあはあと息を乱し、金髪をぐしゃぐしゃにして、エドワードがそこに立っていた。
 怯えたような表情で、口元を濡らしている。それが酷く淫猥にみえて、ロイはどうしようもない怒りに駆られた。
「・・・・・大佐・・・・・・っ」
 他に言葉を忘れたように、エドワードはただ大佐、と繰り返す。ロイの軍服の肘を掴む、その指が頼りなく震えていた。
「オレ、」
「私には関係ない」
 ロイの底冷えのするような、低い声音にエドワードはびくりと、掴んだ裾を離した。
「君が言った言葉ではなかったか?鋼の」
「オレ、・・・・」
「いい心がけだな?鋼の。そこまで尽くせば大総統閣下も、さぞや感激していらっしゃるだろう。褒めてやる」
「大佐」
「よくやったな。これからも、頑張りたまえ?」
 怒りをぶつける対象が、間違っているのだと思っても止まらなかった。怒りのままに吐き散らし、ロイは言い置いて背を向ける。
 顔は見なかった。
 いままともに目を合わせれば、殴りかかる自分をとめることが、出来ない。
 絶対に。





「よくやったな。これからも、頑張りたまえ?」
 漆黒の双眸は何の感情の片鱗も見せず、エドワードを無慈悲に見下ろしていた。
 いいたい言葉は山のようにあるのに、何一つまともにでない。
 ただ、大佐としか、無様に繰り返すことしか出来ない。
 絶望という言葉の意味を、知っていたはずだった。
 けれど、じゃあこれは、この気持は。
 この心を、なんて表現すれば。
 胃が、酷く鈍く痛む。きりきりと刺し貫かれるような激痛に、おさまったはずの吐き気がぶり返す。
 誰かにピンで押さえつけられているようだ。動くことも、喋ることも、自由に笑うことも制限されてがんじがらめに縛られて、まともに喋ることすら出来ない。
 後姿は、一度も振り返らなかった。
 エドワードが体中で、帰ってきてと叫んでも、たったの一度も、ロイは振り返らない。
 嘔吐感に襲われ、たまらずエドワードはしゃがみこんだ。
 口もとを手で覆えば、吐き出された精液のおぞましい匂いが鼻を突く。
 ああそっか。
 忘れそうになった。
 いまのオレは、奴隷で薄汚い淫売だってこと。 
 でも。
「・・・・・・あんたにだけは、言われたくなかったなあ」
 涙はでない。
 当の昔にかれてしまったからだ。