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「ぎゃははははははははは!」
 開口一番に馬鹿笑いをする部下を、憮然とロイは見下ろした。
 昨夜飲んだアルコールは思い切りまだ胃の辺りに残っている。しかも寝不足で、低血圧で、とにかく機嫌の悪いロイは、罵声を張り上げる気力もない。話しかける代わりに、手にした軍服の上着を階段下でいまだに笑い続ける部下に向かってほおり投げた。
「やかましい。頭に響く」
「いやー・・・・もう、あんま笑わせんで下さいよ、大佐。オレもあんま朝は得意じゃないんで」
「なにがそんなにおかしい。お前不敬罪で、さらに東の片田舎に飛ばすぞ」
 怨念すらこもった声に、ハボックは笑いを収めて、敬礼をしてみせる。その仕草すら、自分をバカにしているように見えるのは気のせいだろうか。
 こうして朝はハボックがロイを迎えに来て、車で軍まで通勤する。この律儀で忠実な大型犬は、便利ななのだが、そのわりに態度が不遜なのが玉に瑕だ。
「遅刻するんで、早く乗ってください。ヒゲもそってないじゃないっスか。まあ、軍部に着いたら一番最初にトイレいって鏡見てくださいよ。オレが笑ったわけはすぐわかると思うんで・・・・・・・っ!はははははは」
「うるさい」
 結局、明け方まで書類と格闘した挙句今度は目が冴えて寝付けず、値段のはるワインを無駄にあけてしまった。あんなふうに飲むために買ったわけではないと言うのに。もったいない。
「いや、しかし、びっくりしましたね」
「なにがだ」
 通学途中なのだろうか、少年たちは傘を振り回しながら大声を上げて歩道を走ってゆく。追い抜きざまに目をやって、ロイは鋼のと同じ位の子供たちなんだろうかと考えをめぐらせた。まるで何もかもが幸せでみちていて、遊ぶことが仕事とでもいいたげな子供たちと、やはりあの子供は全く違う生き物だなと思う。
「大将っスよ。軍服なんか絶対に合わないと思ってましたけど。意外に映えるもんですね?」
「そうか?私はてっきりいま幼児の間で流行中の、着せ替え人形が歩いてきたのかと思ったが」
「まあ、よくあのサイズありましたよねー。やっぱちいせえちいせえ。大総統の後ろに隠れて、みえなかったっすもん」
「まさに腰ぎんちゃくだ」
 そのロイの声音に尖ったものを感じて、ハボックはちらりと視線を、真横の上司に向けた。ロイは窓の外を頬杖ついて眺めている。
「元気なかったスね」
「そうか?」
「そうですよ。なんか、着いてすぐ、むちゃくちゃうつむいてるし。なくかと思ってなんか、はらはらしました」
「なくような可愛げでもあればな。完全シカトとはほんとにあのくそがき、いい度胸だ」
「ああーそれで大佐は昨日から機嫌が悪いと」
「・・・・・・・・おまえどうしても私をあのドチビに恋焦がれる変態にしたいらしいな?」
「ちがいますって誤解です誤解!・・・だって・やっぱ絶対変ですって。あんな大将見たことないっスもん」
「しつこいなお前も。いいじゃないか、イヤイヤしたがってるんだとしても昇進できたんだ。鋼のも本望だろうよ」
「大佐と一緒にしないで下さいよ」
「私はそんなに優しくないんだ。あのチビがどんなに困っていようとひざまづいて忠誠を誓うのならば別だが、部署が代わった以上、無償で何かをしてやるつもりは一切ない」
「またまた。なんもいわれなくても、大将が困ってたら、いろいろと世話を焼きたいくせに」
 にやにやと笑う部下の加えたタバコをもぎ取り、窓の外へほおり投げる。抗議の声をさえぎり、ロイはいった。
「もうお前うるさい。しつこい。黙って運転しろ。前を見ろ。いくら私が美貌だからといってじろじろみるな。減る。変態め。いやらしい。ひよこ頭。たばこくさい。歯にヤニがついている。頭が悪い。足が臭そう。汗を沢山かきそう。お前みたいな筋肉質で単純バカで田舎ものとは、たとえ世界が滅亡してたった二人きりになったとしても付き合わん」
「・・・・・こっちだっておことわりっす」
「男わり?やらしいなお前はほんとに。今日から半径1メートル以内に近づくなよ。私の体が目当てなんだろう。アー怖い怖い。美貌は罪だな、部下に体を狙われるなんて私はかわいそうな上司だ。不幸の塊だ」
 上司のでたらめな反撃は、ハボックの口をつぐませるのに充分な効果があった。朝で機嫌が悪い分容赦も遠慮も上品さもない。
「どうだ、変態扱いされる私のきもちが少しはわかったか」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・どう考えても論点がずれてんですけど。ところで大佐、結局今回こんなにものものしい視察なのは何でなんすか?その、例の反乱軍の情報の精度はどのくらいで?」
「まあ、中央の諜報部がいうならそうなんだろう。人の領分をこそこそこそこそかぎまわった挙句、どうやらとっつかまって行方知れずだと?ふん、知ったことか」
 思いだすだに腹立たしい、話を持ち出されてロイは唇をゆがめた。面倒くさい話を持ち込んだ上に、大総統自ら討伐に乗りだされては、正直ロイの気苦労は一方的に増えるばかりである。上との折り合いをつけつつ、作戦会議、機嫌取り、作戦会議、機嫌取り、遠慮しながらの作戦指揮。考えるだけで胃が流血しそうだ。
「・・・・・めんどくさいな、いろいろ。過労死しそうだ」
「またまた。そんな可愛げのあるタマじゃないでしょ」
「・・・・・お前、ほんと一回その不遜な性格を洗脳かなにかで変えてやろうか」
「・・・・・・・いえいえいえいえ。冗談ですって。で、俺らはなにすりゃいいんです?」
「それは今日の会議で言う。全く、情報だけよこして私たちに任せておけばいいものを。なんだって13師団まで連れてくるんだ。そんなに頼りないのか」
「まあ、人質救出が前提なら仕方ないんじゃないっすか?白兵戦となれば、俺らよりよほど慣れてるでしょ」
「生きてればだがな。消息を絶って一週間が経過してるらしい。まあ、まず生きてないと思うが。生きていれば、向こうから仰々しい声明文なりとどくだろう」
「ナンカ、他に目的があったりして」
「なんかってなんだ」
「わかんないっすけど・・・・。大総統自ら東方に出征なんて。まあ、それを考えるのはオレの仕事じゃないんで。せいぜい大佐が考えてください」
 いっそ楽しそうなハボックの表情は、先ほどの仕返しと取れなくもない。ロイは低血圧も手伝って、思い切り眉を寄せて正面をにらんだ。
「俺らは、なんであれ邪魔する奴をぶっ殺して、大佐を守るだけっスから」
 その気安い風情に似合わない物騒な言葉を吐いて、ハボックはハンドルを切った。








「私はそんなに優しくないんだ。あのチビがどんなに困っていようとひざまづいて忠誠を誓うのならば別だが、部署が代わった以上、無償で何かをしてやるつもりは一切ない」と言った舌の根が乾かないうちに、ロイはエドワードの、軍服に着られているような小さな背中を見つけて嘆息した。何はともあれ、ハボックの言うとおりヒゲもそってないので、トイレに向かう途中だった。廊下の端を、よろよろと躓きながら早足で歩いていくエドワードは誰がどう見ても調子が悪そうで、放っておくには忍びない。それに何より、どうやら行き先は一緒らしかった。数メートル先のトイレのドアに、その小さな体が飛び込んだのを確認して、ロイはあとに続いた。
 行先が一緒なだけだ。
 何も、鋼のが気になるから、あとをつけているわけではないのだ。
 誰にともなく言い訳しながら、ロイはトイレのドアを押した。
 ロイに背中を向け、エドワードが手洗い場に頭を突っ込んでいる。
 必死にえづきながら、体を屈めている。
・・・・・・ほんとに。
 子供というのは吐き方も知らんのか。
 いらいらしながら、背後に近づき右手で金色の頭を押さえつける。エドワードが驚いたように体を起こそうとするのを一喝し、その子供の口の中に左手の指を突っ込んだ。
「大人しくしてろ。吐かせてやるから」
「ひゃ、ひゃいさ!・・・な、なにすんら・・・・!」
「気分が悪いんだろうが。屈め」
 無愛想にそれだけを告げ、ロイはいっそう深く、指を子供の舌の奥に差し込んだ。途端に、嫌な音をさせてエドワードからぼたぼたと嘔吐が排水溝に飲まれてゆく。ふとそれが、緑に近い黄色であるのに気がついて、ロイはいっそう顔を顰めた。
「・・・・・・・っぐ、・・・・・はっ」
「水で口を漱げ。あとに残ればつらいぞ。水を飲めよ。脱水になるからな」
「余計な・・・・!」
 言おうとしてけれどまた嘔吐に誘われたのか、エドワードは体をかがめる。
 言うまいとして、けれどロイは失敗する。
「何も食べずに吐くな。胃液しか出てない。ばかもの」
「・・・・・・かんけいねえだろ・・・・」
 背中を摩ってやれば、エドワードは言葉につまり、大人しくなった。ロイの言うとおり口を漱ぎ水を飲んでいる。振り返らない背中を、ロイは黙って何度も摩る。
「・・・・・・・・・・・調子が悪ければ言え。いわないのならばしゃんとしてみせろ」
「ウルせ・・・・・・・って・・・・・・・・」
 ようやく振り返ったエドワードが、呆然と目を見張った。険しくゆがめられた、涙目の真っ赤な顔を一瞬でぽかんと飽和させる。
「・・・・・?なんだ?」
 そういえばと思い出したのはそのときだ。そういえば、朝ハボックが大爆笑していたような。
 顔に何かついていたのだろうか。
 ロイはエドワードの真正面の鏡に視線をやって、
「わー!!」
 絶叫した。
 エドワードは同時に吹いた。
「わははははははは!なにそれ!なに、あんたのその顔っ・・・・!瞼腫れすぎなんですけど!!」
 いつもは端正な美貌が、はっきり言って淀んで綻びで悲惨な有様だ。両の瞼は晴れ上がり、いつものすっきりとした目元は見る影もない。殴られてもこうは腫れまい。そうか、ハボックのやつめこれだったのか・・・!早く言えばいいものを。そういえばすれ違う女性下士官たちが微妙な表情をしていた。笑うわけにもいかず、必死でこらえたのだろうか。
 しかしこの場合、教えるのが普通親切というものだろう。
「ど、道理で今日は視界が狭いと思った・・・・」
「せまいどころじゃねえよ!ハチにでも刺されたのか?それとも失恋でもして、一晩中泣きはらしたのか?ありえねえー!!ぶっさいく!!」
 毒舌ばかりは舌鋒に余念がない。エドワードは嘔吐の余韻も手伝って、腹を抱えて、口の端からは涎をたらしている。
「ほ、ほんとアンタは、よめねえわー・・・・・ほんとはらいてえ・・・・・。空気読めよ・・・・そういう状況じゃねーだろ」
「ううむ。気づかなかったな。そういえば昨日夜寝る前にワインを一本あけたからな」
「飲みすぎだろ、どう考えても。寝酒って量かよ」
「眠れなかったからな。仕方がない」
「眠れなかったって」
「お前が心配掛けるからだろうが。鋼の。バカたれ」
 ふと。
 素直になりたい衝動に駆られて、ロイはその言葉をエドワードに渡した。心配、という言葉の生ぬるさには少々恥ずかしかったけれど。伝えるのは今以外にないような気がして。
 心配していた。
 ハボックにいわれるまでもない。この子供がらしくないことで、誰よりも心を乱されているのはおそらく自分なのではないだろうか。
 自分が軍に誘った責任というのも勿論だが。
 けれど、誰に告げたこともないが、ロイはこの子供が好きだった。諦めず前を向いて強くあることを、たった十二歳で選んだこの子供が好きだったのだ。何者にも惑わされず従わず、目的のために手段を選ばない狡猾さも、普段はその背負う重荷を感じさせない軽い足取りや、憎まれ口や奔放さを。
 それを脇からいきなりぶんどられて、気分がいいはずもない。
 そして、一言もこの自分に相談しない子供にも腹が立っていたのだ。
 そんなに、お前と私の間には情に似たナニカは介在する余地もなかっただろうか。
 ハボックがいったように、なにも自分がすかれているとは思わない。けれど、信頼が確かにあったと思うのは。
 間違いだろうか。
 それをいまききたい気がした。
「・・・・・・・・・アンタは、怒ってるかと」
 笑顔を、なきそうにゆがめて、それでもエドワードは笑ってみせた。背後の洗面台に掌をつき、だるそうな姿勢でロイを見つめる。
「怒る?どうしてだ」
「・・・・・うら、ぎったから。なんもいわずに、出て行って。昇進したりして」
「怒ってはいるが裏切ったなどとは思っていない」
「・・・・・・・・・・・・だって」
「昇進してどこがわるい。けれど、お前は心配をかけている。私にも、少尉や中尉や、お前たちにかかわったものは皆。アルフォンスまでおいて。おまえになにかあったのじゃないかと、心配している」
「・・・・・・・・・別に、何もねえけど」
「なにがあった?」
「だから、なにも」
「・・・・・・問い詰めて白状させてもいいが、何せこの顔じゃあ迫力が足らんな。ううむ。どうしよう」
「・・・・・ぷっ」
「笑うな。バカたれめ」
 ごつんと金色の小さな頭を拳で殴る。痛くもなさげに、エドワードは首をすくめた。こうしていると、ああ15歳の年相応だなとロイは思った。
「・・・・・ほんとに、べつに、なんでもねえから。ほんとに昇進したほうがアルを元に戻す可能性があるかなって。そんだけ。大総統付きのほうが情報入ってくると思って。そんだけ、だからさ」
「そうか」
「うん。そう。・・・・アンタについてても目処たたねえから。権力争いに巻き込まれるのもゴメンだし」
 エドワードは視線をそらす。どこを見ているのかわからない目をしながら言葉をつむぐ。
「オレ、あんたのこと嫌いだし東方の軍人って、なんかみんなうざいし」
 その言葉に説得力がないことに、本人は気づいているのだろうか。
 痛ましく、ロイは眉を寄せる。
「出世しとけば、アルを戻した後もくいっぱぐれなくてすむしさ。だから」
「そうか」
「うん。ほっといてくれる?オレのことはもう。配属違うし。アンタは上司だし。馴れ馴れしくされるいわれはねえし」
「そうか」
「うん・・・。俺、もう行くな。アリガト、大佐」
「わかった。・・・・体調が悪いなら無理するなよ」
「・・・・・だから、そういうのがいいって。オレ低血圧で。ちょっと気持わるくなっただけだから。もう、気持わりーよアンタ。」
 どっちがだ。
 お前のほうがよほど気もちわるい。
  ゆがめられて、いいように操られて、虚勢をはり、力をなくし、こんなところで胃液をはいているお前のほうがよほど。
 



 気持わるい。





 エドワードがでていったあと、ロイは腹立たしげに鏡に拳をたたきつけた。
「いたいぞ、バカたれが」
 とりあえず、ハボックには禁煙の刑だ。