14
だらだらとベッドから起き上がれずにいたエドワードを見かねて、アルフォンスがシーツを思い切りひっぱった。当然小柄なエドワードは面白いほど簡単にベッドから転がり落ちて、後頭部を思い切り強打する。
「ってえな!!なにすんだ、アル!」
「なにすんだじゃないでしょ。ごろごろごろごろ。もうお昼だよ。だらしない。ほら、おなかでてる」
「いいだろべつに、やっとゆっくり休めるんだ。ちょっとぐらいごろごろしたって」
「そういって、昨日突然帰ってきて、僕に何も説明せずにごろごろごろごろして。ちょっとが聞いて呆れるよ」
ため息交じりなアルフォンスの批判は至極尤もだ。まあ、かえるなり機械鎧の右手を粉砕しているのに腹を立てたウィンリィにスパナで額をかちわられたせいでもあるのだが、こうも無気力にベッドから動かない兄は確かに鬱陶しいのかもしれない。
「せえな、ぐちぐちと」
不機嫌そうに顔をしかめて、エドワードは前髪をかきあげた。解かれた金髪が肩口で揺れるのを邪魔に思いながら、三つ編みに結わう元気すらない。
「なにがあったの?もう話してくれてもいいんじゃないの?いきなり僕だけリゼンブールにかえしたと思ったら、今度は軍を退役しただなんて。大佐は知ってるの?」
「いーんだよ。もうあんなとこいたって、大した情報ねえし。軍の狗なんか面倒くせえし。大佐にもちゃんといってきた」
「・・・・・どうせ兄さんのことだから、ひとりよがりに暴れすぎて皆に迷惑かけてすごい失敗をやらかして、いづらくなっちゃったんじゃないの?」
アルフォンスの、さして的を外していない意見には流石のエドワードも心臓が痛む。
「おっまえな・・・・・いいにくいこととかねえのか、お前には!兄弟だからって言っていいことと悪いことがあんだろ?!」
「兄弟だから遠慮ないんじゃない。なに言ってるの今更。・・・・・・・・僕を仲間はずれにしないでよ。僕と兄さんに秘密なんか、いらないでしょ」
せがむような、心細さの声音にまともに言葉に詰まる。けれど、全てを話すという選択肢ははじめからエドワードにはなかった。この弟は知らなくていいことだと思うからだ。知れば、苦しむ。
「なんもねえって」
「・・・・・・・・・・ひっかからないか」
ちぇっと舌があるなら舌打ちを続けそうな呟きを聞きとがめて、エドワードは歯をむいた。
「お前・・・お前今、なんつった?演技か、コノヤロー!いつからそんな腹黒くなったんだ、アルフォンス!」
「うるさいなあー。あーもう。さっさとウィンリィに右手つけてもらっておいでよ。下で待ってるんじゃないの?」
「腕がつくまえに、オレの頭部が胴体から離れやしねえかな・・・」
「自業自得でしょ。もういい加減おきて!邪魔!着替えてよ!」
「くっそ、安らぎはどこだよ・・・・!」
「早く着替えないと」
ふふふふふふ、とアルフォンスが意味ありげに笑う。
「・・・・・・・・・・・・なんだよ」
「大佐が来るよ」
「・・・・・・・・・・なんで?」
「呼んだから。『兄さんが落ち込んで手がつけられません。気合を入れにきてください』って」
「いつ」
「昨日兄さんが寝てから」
「・・・・・・・ばかだな、こんな田舎までアイツがくるわけ」
おりしも階下から来客を告げるベルが鳴り響いた。びくりと体を飛び上がらせてエドワードはアルフォンスの鎧の右手に縋りつく。
「・・・・・・・・・・・・・マジで?!」
「ほら、ウワサをすればだね。だから早く着替えてって・・・・兄さん?!なにやってんの!窓から出る気?ここ二階だよ死んじゃう、しんじゃうって!」
「窓から出るわけねえだろ!カモフラージュだカモフラージュ!開けとけば、オレが窓から飛び出してったみてえに見えるだろ。アル、お前んなかにいれさせろ・・・・・!」
つかみ掛かった兄を嫌そうに掌で押しながらアルフォンスは抵抗する。
「やだあ、やめてよ兄さん!意味わかんない!」
「うるせえな・・・!アイツうぜえんだよ、会ったらまたぐだぐだ言われるだろ!兄さんはどっかいきましたっていえ!」
「やだよもー・・・あー!!もうー!!ちょっと、血印には触んないでよ?!」
腹部を無理やり開いてエドワードが入り込むのを、結局阻止し損ねてアルフォンスががんがんと鎧をなぐる。
「わかってるよ!そんぐらい・・・・・ねこくせえ!!」
「文句があるならでていって・・・・!」
ぎゃあぎゃあとわめきたてながらもみ合ううちに、いつの間かノックが繰り返されていた。エドワードは息を詰めて、アルフォンスの鎧の中で手足を縮める。吐息すら反響するようながらんどうに、なぜか安堵を覚える。上を見上げれば、わずかに頭部から光が漏れてくる。しばらくして、幾人かの足音が室内に入ってくるのがわかった。やがて届いた聞き覚えのある男の声に、胸を突かれてエドワードは強く膝を抱えた。唇をかんで、衝動に耐える。決めたんだ。もう会わないと決めた。もう足をひっぱらないときめた。もう縋らないと決めた。もう、触れないと決めた。
もう、あんなことはオレはうんざりなんだ。
「こんにちは、大佐。すいません、こんなところまでわざわざ来てもらって」
「いや。どのみち、来るつもりだった。おい、鋼の」
ぎくりと身をこわばらせる。これは確実にばれてるなと思うけれど、返事をする気にはなれない。
「兄さん、もう諦めて出てきなよ。ばれないわけがないじゃない」
う、うらぎりものめ・・・・!
「・・・・・・・全く。アルフォンス、ちょっと失礼するよ」
「ええどうぞ」
がこ!と豪快な金属音の後、視界に光が差した。上を見上げると、アルフォンスの頭部を外して首の部分からロイが覗き込んでいる。
「・・・・・・・・・・なんとも」
「っだよ!!」
「・・・・・・・なんだか可哀想になってきたな」
「テメエは大概人をムカつかせることにかけては一流だな。なんだよ、オレを捕まえにでもきたのかよ?言っとくけど、」
「とにかくそこから出てきなさい。なんだかばかばかしすぎて話をする気にもなれん」
呆れた表情に羞恥を煽られて、エドワードは顔を赤らめながらも大人しくその言葉に従った。一日しかたっていないのに、随分久しぶりに会うような気がするのは何故だろう。ロイとロイの背後につき付き従うホークアイをまともに見れずにエドワードは下を向いた。
「・・・・・・ちょっと席を外してもらえるか?」
その言葉にアルフォンスが頷く。ひきとめたいとおもったけれど、ロイが話したいことの内容はわかっていてそれは出来ないと承知してた。アルフォンスの足音が階段をおりはじめて、ようやくロイが口を開く。
「おい小僧」
「・・・・・・・誰が小僧だよ」
「一発殴らせろ」
言い切る前に、ロイは拳を固めて金色の頭に打ち下ろした。遠慮仮借なく打ち下ろされて、鈍い音がする。
「てえな!」
「うるさい。勝手なことばかりしおって。ああすっきりした」
「どいつもこいつも人の頭をバカスカバカスカ殴りやがって・・・!」
「殴る方の手も痛い」
ロイが手の甲をエドワードに向けた。赤くなった部分を見せられて直視できずに、エドワードはふいと横を向く。
「何故逃げた」
「逃げてねえ!」
「もう一発殴られたいか?もう一度聞くぞ。何故逃げた」
今度は怒気を隠さずにロイが問うた。ホークアイはただ沈黙して背後に立つ。
「逃げてねえ・・・・・っ」
「いいや、逃げた。お前は弟のためだとか私のためだとかいいわけをして逃げたんだ。私を裏切った。私を裏切り、弟を裏切り、楽なほうへ逃げただけだ」
「・・・・・・・どいつもこいつもいいたいこといいやがって」
「ヒューズも中尉も少尉も、お前を心配している皆を裏切った。一番安易な解決方法でな。お前は子供だ。よくわかった。ただの愚かな子供だ」
「じゃあ、どーすりゃよかったんだよ。オレはどうしたらいいわけ。あのまま軍に残って、家畜みてえに飼われてりゃよかったってのか?家畜のほうがまだましかもな。餌がもらえて、寝床がもらえて、可愛がられてりゃいいんだもんな。家畜以下だ、オレは。利用されて、何でも言われたことに従うんだ。三日飼われた恩も忘れて、アンタの足ひっぱってんだもんな。そんなもんに甘んじるほど落ちぶれてねえよ」
「私をどうして信じなかった」
信じていたから、逃げたんだと。
言えば、怒るんだろうか。
怖くなったんだと。
「お前の考えていることくらいわかる。だが、信じて欲しかった。足をひっぱるのがこわいだとか、迷惑をかけているんだとか、そういうことを気にするなというのは無理かも知れないが。だがそれでも私はお前に信じて欲しかったんだ。なにもかも話して欲しかった。鋼の、私達の間にはまだ壁があるんだろうか。遠慮をしあうような、そんな壁があったんだろうか。私は、もうとうにそんなものは取り払われていると思っていた。私の勘違いだったか?」
ロイはずるい。
ずるいと思う。
いつもの棘を取り払い、誠実に言葉を、このタイミングで渡すのはずるいことだ。
情にうったえるあざとい手段だ。嘘がないと感じるぶん、それは余計にエドワードに響く。
「・・・・・・・・どうしたら、いいわけ?」
ぽつりと、言葉をなくしてそれだけをエドワードは呟く。他に方法がないとおもった。だから、そうした。それだけなのに。
「今度から、何かがおきたら私に相談しろ。私を信頼しろ。疑うな。迷うな。なにがあっても、私はお前を見捨てたりしない」
「アンタは、それでいいかもしれねえけど・・・オレはどうなるんだよ。大佐に迷惑かけたくねえって、役にたちてえって、思ってるオレの気持は?そういうの無視すんなよ。オレだって話したかった。大佐に助けてほしいって、何回も思ったよ。でも出来なかった。アンタはオレのために、身内のためならなんだってやる。それがわかってて、なんで助けてくれっていえるんだよ。オレがアンタを思うのはいけないこと?アンタが思うみたいに、オレが思うのがそんなにわるいことかよ?」
淡々と口から言葉がこぼれて止まらなくなる。言うまいと思っていた本音がこぼれて、後はもう止まらなかった。
「やっと、諦めたとこだったのに、なんでそうやって・・・・めちゃくちゃにしてくんだよ。冗談じゃねえよ」
「・・・・・・・・・・中尉」
「はい」
「ちょっと外で待っていてくれるか」
「はい」
ため息をまじえながらロイはホークアイを促した。俯いたままエドワードは足音が遠ざかるのを感じる。ロイは微動だにせずに、ただ立ち尽くす。二人きりになり、耳鳴りがするほど沈黙が室内に落ちた。
眩暈を覚えて、視界が揺らぐ。
「・・・・・・・・・・大総統にお前、嘔吐引っ掛けただろう」
「・・・・・・・・・・・やられっぱなしじゃおもしろくねーだろ」
「まあ、笑った。お前らしいと思って」
空気を和らげて、ロイが笑う。
「・・・・・パン屋に行って。ゲロぶっかけたときに、なにが一番キッついかなと思ってチキンパイとオレンジジュース選んだ。胆汁まで出た」
「はははははは、笑った。あれはよかった。・・・・・・お前を手放せないと思った」
「・・・・・・・・・・・・・」
「違うな。私の誤解だったな。まだ、私とお前の間には壁がある。皮膚一枚分ほどの厚さだが。帰ってこい。話はそれからにしよう。このままでは、私とお前は永久に分かり合えないままだ」
「・・・・・・・・・・・・・かえってって」
「違うのか?帰る場所には、ならないか?」
そっとロイの指先がエドワードの生身の指に繋がれる。熱をもった指先を、どうしても振り払えずにいる。
「私のところに帰ってこい」
そういえば、体を繋げたのだと今更のように思いだす。皮膚を這う男の骨ばった指や、低く囁く欲情した声や、切羽詰った表情や、体の奥深くに埋められた肉塊のことを。ずくずくと、繋いだ指先が熱く疼いた。
「・・・・・・・・・・・・ア、アンタさー、オレのこと好きなんじゃねえの?!」
恥ずかしさをごまかすように、早口でそう告げると、ロイが馬鹿にしたように答える。
「あーすきだすきすき大好きだ。どうだこれで満足か」
「なんだよ、その言い草・・・!あん時大佐、確かにオレに向けて愛してるとか何とか言わなかったか?!」
「お前みたいなちんくしゃに誰が言うかバカ!」
「あーあー!そのちんくしゃにハァハァいってた変態はどこの誰ですかねえ?!ああ?!」
「はん、お前のほうが顔ぐちゃぐちゃにして大佐もうオレ駄目だとか何とか言って、」
この勝負は完全に自分のほうが分が悪い。慌てて口を塞ぎにかかるエドワードをなんなくかわし、ロイは手首を押さえつけた。
「大体お前は」
「だからアンタは」
同時に詰ろうとして、思わず顔を見合わせる。どちらからともなく笑い出せば、止まらなくなった。
ようやく笑いを収めて、ロイは切り出す。
「・・・・・・・・・お前が殺したのは、ただの連続殺人犯で。正当防衛が認められる。罪には問われない。何の問題もないんだ、鋼の」
「・・・・・・・・・・・知ってる」
「しってる?」
「こっち帰ってくる前・・・・住所調べて謝りにいった。オレ。覚悟していったんだ。仕返しされてもしょうがねえとか、この人がオレのこと軍に突き出すんなら、それに従おうと思って。かっこわりいかな。自分で結局決めれねえで。あの人に、判断してもらおうとした。・・・・やっぱかっこわりいな」
ホークアイがロイに届けた書類のなかに、死んだ男の妻だという女の顔写真があったことをおもいだす。幼い容貌の、どこか陰鬱とした女の顔をそのときは、何も思わずに見ていた。
「あの人、泣いてた。ごめんなさいって、謝らせたいわけじゃねえのに。わるいことしたな。そのときにあの男が今までなにしてきたかとかも全部聞いて」
けれど今は確かな肉の実体を持って、女が謝る姿が脳裏に浮かぶ。ホークアイは強い女性だといっていた。確かにそうなのだろうと、ロイも思う。
「でもだからって、オレが人を殺した事実は消えねえよな?悪い奴だったから殺していいってことにはならねえ。オレは、アイツから償う機会を奪ったし、殺された人達の残された家族から敵を討つ機会を奪ったんだもんな。・・・・・・・それがいまならわかる」
「鋼の」
「・・・・・・・・・・・・オレ怖くて。ただずっと怖かったんだ。自分のことしか考えてなかった。人を殺したことが、怖くて怖くて、しょうがなかった。変なもんも、いっぱいみた。いっつもオレが殺した男に見張られてるような夢とか、そういうの。でも、ちがうよな。オレがしなくちゃいけないのは・・・なんか償うこと。償うために、考えること」
今まで眼が眩んで、自分しか見えてなかったのだとエドワードは思う。一人、いつまでも明けない夜の中にたたずんでいるようだった。一筋の光もないなか、怯えて膝を抱えていた。その手を引いてくれたのは、紛れもなく目の前にいるこの男だ。
「オレまた多分、失敗する。大佐に迷惑もかける」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・でもオレが、大佐にとってまだ役に立つって言うんなら」
逃げてばかりいたように思う。こうしてリゼンブールへ帰ってきたことは、間違いだったとは今でも思っていないけれど、やはりそれでも逃げていただけだったんだろうか。
「帰るよ。アンタんとこ」
笑うと、腕が伸びてきてエドワードを抱きしめた。きつく抱かれて、息苦しさに戸惑いながらも抵抗できずに男の軍服の胸元に頭を預ける。
「役に立つとか、立たないとかじゃない。役に立たなくてもいい」
帰っておいでと囁かれて、ようやくエドワードは息をついた。
郷愁が、時折心臓を握りつぶす。
けれど、昔ほどの痛みはもうない。
この男が痛みを和らげる。
手を引く。
だからいいのだ。帰る場所はひとつではないのだから。
「オレ」
「うん?」
「大佐が好きだ」
正面からそういった途端に、苦虫を噛み潰したようにロイが顔を背けた。
照れているのだとわかって、エドワードは笑って頭を強く男に押し付けた。
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「まだですかねー」
「そうね・・・・・。鍵穴から覗いてみようかしら」
「中尉、だめですよ・・・!だって、もし、いま、」
「どのみちキスくらいはしてると思うけれど。中で何はなしてるのか、ちっとも聞こえないんだもの。入りにくいわ」
「そうですねえ・・・・兄さん、大佐のこと大好きだからなあ」
「大佐もよ。ああでももう列車がないわ。もう出ないと間に合わないのに・・・・・」
「もう今日は諦めて、泊まって行けばいいんじゃないですか。兄さんも支度してないし。明日朝一番で一緒に東方に帰りましょ」
「・・・・・・・それもそうね」
ホークアイは笑って、扉に縋って膝を抱えた。
「たまには、いいわね」
戻/終