二日目(夜の部)






 ぎゅう、と軍服を握り締めて涎をたらす子供の体は、けして軽いとは言いがたい。
 それでもこんなにかたくなに自分を求める子供を、放りだすような真似は出来ずに、結局ロイは病院から自宅までの道のりを、エドワードを抱いたまま過ごした。すうすうと寝息を立てる子供を、いとおしいと思った。
「さむくないっスか」
 煙中毒であるハボックも流石にそれに火をつけるのにはためらわれたんだろうか。結局、胸元の煙草に指を伸ばすことは一度もなかった。
「大丈夫だ。おまえこそ大丈夫か、手が震えたり、幻覚が見えたり、おしっこ漏れたりしてないのか」
「アンタね・・・・人をヤク中みたいにいわんでくださいよ。なんか・・・・・あれっすよね」
「そうそうあれあれ、昼間のカツサンドのキャベツ。あれはないよな、キャベツは山のように詰まってるのが上手いのにな。あれじゃあキャベツなのかゴミなのか判らんしな」
「・・・・・・・・・それ、わざとでしょ、最後まで人の話きかないの・・・・。いや、あの外見が15歳のままでも、中身が幼児だと思えば煙草吸う気になれねえもんですね」
「上司には毎日副流煙を吸わせているのにか」
「・・・・・・・・・・・・すんません、黙ります」
「初めてまともに意思が疎通できたな。やればできるじゃないか。ハボック少尉はかちこいでちゅね」
 踏ん反り返りながら、ロイは横目で部下をにらむ。素直に「エドワードが目を覚ますから静かにしろ」と言わないあたりがいやらしい。
「なんか、そうしてると親子にみえなくもないっすね」
「・・・・・・そうか?」
「お、怒らないんスね。そんな年じゃないとかなんとか」
「いや、まあな。流石に色々思うところがある。・・・・今、親子に見えるというのなら、それはいいことなんだろう」
 穏かに笑い、ロイは子供の背中をぽんぽんとたたいた。その仕草がやりきれなく、悲しく感じられて、ハボックは自然視線をそらす。
「・・・・・・すんません」
「あやまるくらいなら言うな。それがお前の駄目なところだ」
「・・・・・・・・・もー、ほんと黙ります、オレ」



 車はやがて、見慣れた自宅へと到着した。抱いたままゆっくりと車を降りる。
「じゃ、オレはこれで。お疲れさんっした」
「ああ。じゃあな」
 敬礼を返す部下を一瞥して、ロイは子供を抱きかかえて真っ暗な玄関をくぐる。
 エドワードが眠っているというだけで、こんなにもだだっ広く感じられるのか。
 階段を軋ませて、二階の寝室へと子供を運ぶ。このまま寝かせてやりたいのは山々だったけれど、なにせ明日も早い。朝シャワーを浴びる暇などないだろう。かわいそうだけれど、今起こして風呂に入れてやらなければならなかった。昨日もまともに風呂に入っていないのだ。こうしていてさえ、わずかに汗のにおいが鼻をかすめた。
 ベッドに横たえ、何度か額をなでる。汗で髪の毛が張り付いてしまっていた。ちいさなベッドサイドの明りに照らされて、それはまるで昔見た絵画の天使に似ている。
 少し昼間睡眠をとったからだろうか。今は驚くほど穏かな気持だ。昨日の怒りや苛立ちが嘘のように思えた。
 今は恋人ではないけれど。
 お互いがお互いを大切に思っていることにはかわりがない。少しだけいびつに歪んでいるけれど、それは以前となんらかわりないようにすら、おもえた。
「・・・・・・かならず私が記憶をお前に戻してやるからな」
 額に唇を押し付ける。昼間覚えた不穏な気配も、今は全く凪いでいる。あたりまえだ。そこまで獣ではないはずなんだから。
「・・・・・・・・んん」
「エドワード?・・・・エドワード」
「・・・・・・・・・・ん・・・・・・・んんー」
 まだ眠たいんだろうか。何度も目をこすって、ベッドの上でむずがる。かわいいな、と素直に思って、笑いながらロイは頬にキスを一つおとす。
「エドワード、私だ。今日は遅くなってすまなかったね」
「・・・・・んん・・・・・ろい?・・・・えへへへ、ろい。おれねえ、ちゃんとまってたでしょ、いいこでしょ?」
「ああ。とってもいい子だったね」
「えへへへへへ、よかったあ。だってねえ、みんなうそつくもん。うそもん。ろいはおむかえにこないとかねえ」
「・・・・・・・うん」
「おっきーいいひとがね、ろいがね、もうおれといっしょだとつかれるとかね、うそばっかりゆってね。でもねえ、おれちゃんとまってたでしょ。えらいでしょ」
 ねっころがったまま、エドワードはまだ眠そうな瞳をこすりながら、甘えるようにそういった。ベッドに腰掛けた、ロイの膝を引いた。
「なあ、エドワード?どうしてそんなに私のことがすきなんだ?おしえてくれるかい?」
「・・・・・・?おれ?どうしてって?おれねえ、ろいだーいすきよ。だってねえ、おとうさんになってくれるってゆったでしょ。おかあさんと、あるをさがしてくれるってゆったでしょ。それからねえ、おれとたくさんいっしょにいてくれるでしょ」
「・・・・そんなことで?」
「おれねえ、おにいちゃんだから・・・・おかあさん、あるにあげないといけないの。おれおにいちゃんだから、ひとりでなんでもしないと、だめでしょ」
「・・・・・・うん」
「うーん、だけどね、いまはろいがたくさんいっしょにいてくれるでしょ。だから、だいじょぶ」
「そうか。エドワードはえらいな」
「おれ、えらいー。ね」
 おそらく、この子は母親に甘えたいのも一生懸命我慢していたんだろうと思う。たった一人で子育てをする母親の苦労を充分にわかっていて。賢い子供だった。だからこそ、かわいそうだ。
「じゃあ、しばらく私はおとうさんであり、おかあさんでもあるんだな」
「ええー!ろいおかあさん?ほんとー?」
「ああそうだ。ご飯も作るし、お洗濯もするだろう?しばらく、私がお母さんで我慢してくれないだろうか」
「がまんする!おれ、がまんするよ!だからろい、」
 子供は綺麗な顔で笑う。
「おかあさんとあるはやくみつけてね?」
 胸は痛むけれど。 
 それを飲み下すことはできるのだ。大人なのだから。ロイはただ子供を安心させるために笑う。
「いい子にしていたらな。さあ、汗をたくさんかいただろう?お風呂にはいろうか、それともおなかがすいた?」
 そう聞くと、しょうしょうバツが悪そうに子供は視線をそらしながら、もどかしく返事をした。
「あのね・・・・・・ごめんなさい、はんばーぐでしょ?でもね、おれ、びょういんでごはんもらってね・・・・おなかがすいててねえ、ごはんたべた。・・・・・・・・・・・・おこる?」
「いいや。怒るわけがないよ。おなかがすいたらかわいそうだなと思って聞いただけなんだから。おなかがすいたら言いなさい。サンドイッチくらいなら、すぐに作れるからね」
 途端に、満面の笑みでだきついてくるエドワードはげんきんだ。ほお擦りするように首筋に頭を埋める。金髪に擽られて、ロイは首をすくめた。
「さあさあ。それなら、風呂に入ろうか。昨日のやけどは、だいじょうぶか?もういい?」
「だいじょうぶー。おいしゃさんがね、くすりもいりませんよって。ゆったよ」
「じゃあ、今日は私と一緒に入るかい?昨日は怖い思いをさせてしまったしね。頭を洗ってあげるから」
「ほんとー?!はいる!はいる!!」
 無邪気に興奮して、エドワードはきゃあきゃあと喜んでいる。なんだ、もっと早くこうしてやればよかったのだ。この分だと、うまくやっていけるような気がする。
「・・・・・・逃げなくて、よかった」
「なあに?」
「なんでもない。さ、支度をするよ。体をぽかぽかにしようね」






 今なら雨にうたれるかわいそうな泥だらけの子犬をそっと笑顔で抱き上げることができるというくらい清らかな気持だったロイマスタングの、幸福な気持は長くは続かなかった。
 仲良く風呂に入り、さてでは頭なり洗ってやろうかとエドワードを抱えてバスタブから引きずりだし、風呂場のタイルに座らせる、その瞬間まではよかったのだ。いや、正確にはロイマスタングの腰部を覆っていたタオルがはらりと落っこちた瞬間だ。
 エドワードはそのとき、面白いほど目を丸くしてロイの股間をまじまじと、見たこともないような熱心さで見つめ、ゆっくりと視線を自分の正直年齢のわりに小ぶりな、それへと落とした。
 右手の人差し指で、自らの果実(直接的な表現を避けて描写しております)を摘み上げてしげしげとあらゆる角度から眺めるエドワードの次に言いたい言葉は、ロイには痛いほどわかっていた。もういっそくちにするなわかっているといいたいほどだ。
「おれのとちがう」
 ひょい、と指を伸ばしロイの体の中心でゆれているそれを左手でぎゅうと掴む。
「なんでえ?」
 湯気のたつようなぴかぴかの頬は薔薇色にそまり、唇からは湯が滴る。今まで改めて意識をしなかった桃色の乳首も濡れて光っている。へたり込んだ両足の間には、ロイがいままでなんども舐めたり吸ったり撫でたりもんだりした、同性のそれとは思えないような扇情的な器官がエドワードの手の中で、やはり桃色に染まっている。
 小さく首を傾げて、薄く唇を開いて。

「ろい?」

 くく・・・・と耐えしのぶ、このときのロイマスタングの精神力はさすが、佐官にふさわしい。
「あ。・・・・・・・・おっきくなった」
 にこりと笑って、エドワードは指先を何気なく動かした。いやこれおまえ本当に記憶がないのか私をからかってるんじゃないのかと理性と性欲の間とで戦いながらロイマスタングの脳裏にはそのときただ一言が浮かぶ。


 幼児プレイって。

 いうんじゃないのか、こういうの。



 今まで事態に飲まれて嵐のように巻き込まれて、ただただ子育ての妙を味わうばかりだったけれど。よく考えれば、乱暴で口汚く素直じゃない見目麗しいこの恋人がこんなに従順で幼い口調で、全裸で自分の股間をなでてくれたことなどあっただろうか。骨の一、二本を提供する覚悟がなければ到底無理だったはずだ。かつては一、二本で手でしてくれるならと考えたこともあったけれど、結局今までそれは叶わずじまいだったのだ。
 ごく、と我知らず唾液を飲み込む。それは恐ろしいほど大きくバスルームに響いた。
「エドワー・・・」
「おとーさんて、みんなこんなのついてるの?」
 完全に立ち上がったそれに感心しながらエドワードが、無邪気な声を聞かせた。
「・・・・・・っ」
 ぱしん、と思わずロイは伸ばされたエドワードの手の甲を叩いた。強張った掌がじんじんと痛んだ。エドワードは一瞬呆然として、叩かれ赤くなった左手を抱えて、顔をゆがめ、唇を噛んだ。
「・・・・・・・・・っひ・・・・・っぐ・・・・・・・・えっ」
「エドワード、・・・・・・・私は・・・・・・・・え?・・・・」
「ろいが・・・・・・・たたいたああああああっ、うわああぁん・・・・・!!!」
 びえーと泣き出したエドワードはなにをしてもしばらく駄目だということは、すでに学習済みだ。
 なす術もなくロイは、ただ絶望するしかない。



 私は


 絶対にこの子の父親にはなれないのだ。
 子供に欲情する父親などどこの世界にいるというのだ。
 そんなものは、父親ではない。



 ただの変態だ。


「そうか・・・・わたしは変態だったのか・・・」
 今、初めてそれに気がついたロイマスタング、29歳。
 混迷はさらに度を深め、底がみえない。