一日目








 上司の送り迎えはハボックの日課である。この家の前でコーヒーを飲んだり煙草をすったりと、待ち時間を潰すことが、一日のはじまりといって差し支えない。煙草をくわえて、玄関で待つこと数分。その端正な美貌に引っかき傷をありありとつけて、寝不足ですといわんばかりのクマをひっさげ、ロイマスタングはにこやかに笑った。
「おはようハボック少尉」
「イタタタタタタタタタ」
 おなかを抱えてしゃがみこんだハボックの不自然な仮病は、ばれないほうがおかしかった。ロイは容赦なくローキックを叩き込み、ドスのきいた低い声で唸る。
「お前事情くらい聞いたらどうだ」
「もー・・・・・・やだなー・・・・・。聞きたくねー・・・・」
「まあいいから聞きたまえ。な?とても面白い事態だ。緊急事態だ」
「なんで面白いと緊急を同義に扱うんですか。アタマおかしーんじゃないですか?アンタ」
「うるさい。さあこい、いいから来い」
 嫌がるハボックの腕をつかんで、ロイは室内へ引きずり込んだ。ハボック自身この家に入るのは初めてで、思ったよりも整頓されている室内にきょろきょろと視線を動かす。
「こっちだ」
 突き飛ばされた先はリビングで、そこではよく見知った顔が朝食をとっているところだった。
「ちょっと・・・・もう確かに暗黙の了解とはいえ、こういうのオレにばらすのやめてくださいよー・・・」
 エドワードこと鋼の錬金術師15歳と、この29歳にして軍の重要ポストにある男がけして慎ましやかでないお付き合いをしていることは、公然の秘密であった。またの名を、みて見ぬふりという。この二人の関係に気がついていないのは今のところ某ガンマニアの中尉のみというウワサである。それも時間の問題ではあったのだが。不自然なアイコンタクトや仕草や不自然なトイレ清掃中の札も触らぬ神にタタリなしとばかり、無視してきたというのに。
「オレ人の趣味に口出すつもりはねえんですけど。知っちまったらいわずにはおれんでしょーが・・・・・」
 『淫行罪』の文字が踊るアタマを抱えて、ハボックが蹲る。
「アホか。それどころじゃない。お前、ちょっとなにか話しかけてみろ」
 意図不明な上司の言葉に、最早考える余裕すらなく機械的にハボックは「大将」と呼びかけた。テーブルについて、パンを一生懸命にかじっていたエドワードはふと視線を床で蹲るハボックへとさまよわせる。首をかわいらしく傾げながら、

「たいしょうってなあに?」

 といった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・アンタ」
 呆然としたハボックが背後のロイを振り返ると同時に、頭を思い切りはたかれた。
「違うわ!ばかもの!誰がアタマがラリるまで薬仕込んで恋人を無理やり犯した、SMロリコン趣味のド変態のペドフィリアだ!」
「ゆってないでしょ!そんなこと!でもそういうことなんでしょーが・・・!」
 唸りながらハボックは立ち上がり、エドワードへ歩み寄る。
「大丈夫か?大将、なにされた?ほら言ってみろ。ことと次第によったら、中尉に報告して大佐をぶっころしてもらおうな?」
「お前それ、冗談になってないぞ・・・・」
 ぞっとしたのか、両腕を自ら抱いてロイが声を震わせた。エドワードの顔を覗き込めば、やはり不思議そうに首を傾げている。その瞳に、薬物中毒者特有の淀みや虚ろなものは一切のぞかない。いつにもまして、無垢に輝くばかりで、ようやくハボックもことの異常さに気がつきはじめた。
「このおじさん、だれ?ろい」
「うーん?この人はね、私のわんこだよー」
「わんこ?!わんこねえ、おれわんこだいすき!わんっていうの?」
 はっはっはと上司が呆けたように笑っている。
「わんっていう?」
 その眩しい輝かんばかりの無垢な瞳の圧力に負けて、ハボックは一声鳴いた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・わん」
 きゃっきゃっとエドワードは口からパンの欠片を飛散らせながら笑う。
「どういうことですか、これ」
「昨日、久しぶりの逢瀬で興奮していて、エドワードを開脚させて後背位での性行為の途中に」
「誰がプレイの内容までいえっつったんですか・・・・!要約するってことがアンタ出来ないんスか!!!」
「要するに、後頭部から落ちた。鋼のは、次に目が覚めたときには幼児退行していて」
「・・・・・・幼児退行・・・・・・・?」
「ここ何年かの記憶がさっぱりないらしい」
 重々しく告げた上司を無視して、ハボックはエドワードへと向き直る。
「ええと。エドワード?」
「はあい!」
「おまえ、年はいくつだ?」
 15、15、15といってくれたのむと、馬券を買う熱心さを上回るハボックの切実な願いはあっさりと無視された。
「よんさい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・冗談だろう?」
「おれ、よんさいになったんだー。おとうとのあるは、みっつだから、おれおにいちゃんだから」
 子供特有の破壊的な文法に、もはやハボックには笑うことしか残されていなかった。エドワードは口の周りをジャムで汚しながら、指を四本突き出して威張る。
「すごいでしょ!!」
 元来ハボックは子供好きだった。これをいったのが、ほんとうに4歳や5歳の幼い、ぷくぷくの手足の子供だったならば「賢いなあー。自分の年がいえるなんてえらいなあー」と頭の一つもなでてやるところだが、如何せん相手は齢15歳にして国家資格を取得した天才錬金術師エドワードエルリック15歳である。卑猥なけしからん単語がいくつもハボックの脳裏を横切っては消えていく。赤ちゃんプレイだとか、まあとにかくそういう。無性に切なくなって言葉をなくしたハボックは、ただただ意味のない発声が喉から漏れるのをとめる術がない。
「あー・・・・・・・・」
「ハボック」
 上司の呼びかけに、何か策があるのかと藁にも縋る思いでハボックは振り返った。
「どうしたらいいと思う?」
 ぷるぷると震えながら、ああやっぱり無茶な仮病でも何でも押し通して引き返せばよかったと肩を落とすハボックに同情してくれる、同僚達はここにはいなかった。






*************





 
 ひとしきり拳銃を乱射して、怒りを押さえ込んだらしい、リザホークアイは肩で息をしながら熱を持った鉄の塊をホルスターにしまった。エドワードは顔面を蒼白にして、パクパクと喘ぎながらロイの背中にしがみついている。
「どうしてすぐに、病院へ連れて行かなかったんですか」
 至極当たり前の意見に、がちがちと歯を鳴らしながらロイはお得意の薄ら笑いを浮かべた。
「ははは、いやあ、咄嗟のことでな、どうしたらいいのかわからなくて」
「伊達に年齢を重ねるというのは罪ですね、今後法律で取り締まれないんでしょうか。大総統になられた暁にはそういう条文を盛り込んでいただけません?」
 それと、「未成年との性交渉は終身刑にする」という一文もくわえてくださいと唇を吊り上げるホークアイは本気だ。もちろん司令部のほかの面々にホークアイを止める度胸のある人間など一人もいなかった。フュリーはブレダと手をとりあってがたがたと震えているし、ハボックは頭痛に顔をゆがめて机に突っ伏している。ファルマンはいち早く不穏な空気を察したらしく、先ほどから姿が見えなかった。
「・・・・アルフォンス君に、なんと言うつもりですか?」
 ロイが尤も畏れていたことを何のごまかしもなく、正面から突きつける。ホークアイらしいとロイは思うけれど、やはり少々耳が、心臓が痛い。この兄弟の絆の強さはもっともよくしっていたので。
「あー・・・うー・・・・・・・その」
「こんにちはー」
 いつもは朗らかでやさしいその声が、今では能天気としか聞こえずにロイは痛む胃を押さえて蹲った。エドワードは体勢を崩し、床にしりもちをつきながらも聞き覚えのあるその声に、何事かを感じたらしい。きょろきょろとあたりを見回している。
「通りまできこえてきましたよ、銃声。大佐、またなにかしたんでしょ?」
 魂を鎧に定着させた、エドワードエルリック実の弟アルフォンスは、かわいらしく首を傾げてみせた。その仕草は、確かに今現在のエドワードのそれとよく似ていて、ああやはり兄弟だなと場違いなことをロイは考えた。
「・・・・・・兄さん、なにしてるの?」
 床にへたり込んできょろきょろとしている、兄の所作に異常を感じて、アルフォンスは不審な声を聞かせた。しゃがみこみ、視線を合わせるように兄に問う。
「兄さん?」
「ある!!」
 ぴょこんと、ウサギが耳をそばだてるような愛くるしさでエドワードは叫び、アルフォンスへとしがみつく。
「あるー!ねえねえろい、このなかにある、いるよ!あるがはいってる!」
「兄さん?なに寝ぼけてんのもう」
「ほらー!おれのゆったとおりでしょ!ろい、これあけてえ」
 がちゃがちゃとアルフォンスの腹部を弄りながら、ダダをこねるエドワードの姿は愛らしい。けれどかつての彼を知る人間にとっては、恐怖以外の何者でもなかった。無論アルフォンスとて例外ではない。
「・・・・・・・・・・・・・ちょ・・・・・にいさん?ええ。なにこれ大佐、これどういう・・・っ」
「ある、おい、でてこい。おれえどわーどだぞ。おーい。ねえろい、これあけてったらぁ!あるがはいってるもん。かわいそうでしょ?」
「あー・・・・・アルフォンス、実はな。そのな。ええと」
「大佐がエドワード君の後頭部を強打した際に、記憶が混乱してしまったらしいの。今のエドワード君は四歳らしいわよ?」
 ホークアイは、丸め込もうと口上をうとうとしたロイをさえぎり事実のみを淡々と告げる。アルフォンスは、あっけにとられ、咄嗟に声もなかった。その間もエドワードはきゃあきゃあと叫びながらロイの腕をひき、アルフォンスの腹部を開こうと躍起になっている。
「ちょっとまて、中尉、語弊があるぞ。それでは私がエドワードに乱暴を働いたみたいじゃないか。違うぞアルフォンス、あくまでこれは不幸な事故で」
「・・・・・・・・・・・・・・・まあ、乱暴っちゃ乱暴のカテゴリーにはいるんじゃないスかね」
 今まで死んでいたはずのハボックが、挟まなくていいタイミングで余計な口を挟んだ。アルフォンスは、表情こそないものの全身を怒気に震わせてゆっくりと立ち上がる。兄が振り払われて床に転がるのもお構いなしだ。
「・・・・・・・・・・大佐。どーいうことですか、これ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さあ」
「さあじゃないでしょ!!いつからこの状態なんですか!」
「昨日の夜からだな」
「病院へは連れて行ってくれたんでしょうね」
 部下達が同情の視線を寄せてしまうほどロイは顔色を悪くしながら小さな声で真実を語った。アルフォンスはよくもまあ殴らなかったなと思うほど声を怒りに震わせて、エドワードの腕を急に掴んだ。
「しんじられない!うちの兄さんを、おもちゃか何かと勘違いしてるんじゃないですか?大佐もう、29歳でしょう?29歳には29歳なりの対処のしかたってあるんじゃないですか?大佐が大総統になる暁には、『無駄に年齢を重ねたものは死刑』っていう条文を法律に盛り込んでもらえませんか」
 ホークアイよりも鬼畜だとフュリーとブレダは、最早かわいそうなほど震えてことの成り行きを見守る以外になにも出来ずにいる。ホークアイがうんうんと頷いているのが不気味だ。
「兄さん病院いこ。もうほんと軍人って、非常識な人が多いよねえ?」
 軍人全体責任かと、流石に不本意そうにホークアイは眉をゆがめたが、上司の不始末は自分の不始末だと、軍人の鑑である彼女は何も言わずに見送る。ロイも抵抗できるわけがなく打ちのめされて床に四肢をつくばかりだ。
 けれどそのとき、それまでされるがままだったエドワードが、掴まれた腕をふいに振り払った。
「いや!」
「にいさん?ボクだよ、アルフォンスだよ。一緒に病院にいこう?頭いたいでしょ?」
「おれろいといっしょじゃなきゃやだ!おまえあるじゃないもん。あるはおれよりちびでね、もっとね、このくらいだもん」
 掌を十センチほど開けて、このくらい、とエドワードが主張した。
「・・・・・それじゃあ、まだ生まれてもないじゃないか」
「おまえあるじゃないもん。うそつきだもん」
 いやいやと首をふり、エドワードはロイにしがみついた。昨日は散々おかあさんおかあさんはどこと泣き叫んだ子供と同一人物とはとても思えない、その仕草に胸を打たれてロイはおもわず目頭を熱くさせた。
「エドワード・・・」
 なだめすかし、あの手この手で機嫌をとり、ようやくベッドにつっこんだ頃には、ロイの疲労もピークに達していた。そのまま気を失ったロイが目を覚ますと、既にエドワードは教えてやった名前を覚えていたらしく、ロイロイロイロイと軽々しく呼んでいた。やはり鋼のは、こんな状態になっても、私を愛した記憶だけは失っていないのだなと思うとうれしい。抱き寄せようとしたロイの腕をはたいて、アルは兄をとりかえした。
「こんなひとといっしょにいたらバカになっちゃうよ!」
 アルフォンスの言葉の刃はロイの胸に深く突き刺さる。ふだんホークアイに詰られる分には慣れがあるからなのだろうか。数倍の痛みに悶絶しながらもロイは拙く反論してみせた。
「いちおう国家錬金術師なんだが・・・」
「頭じゃありません。中身の話しをしてるんです」
 さらに切り付けられ、頷くホークアイを視界の端に留めてしまい再起不能に陥る。尤も敵に回してはいけない人間を敵に回してしまったのかと後悔するけれど、時すでに遅しであった。
「・・・・ば、ばかになるのやだ・・・・」
 えぐえぐと、目に涙を溜めて、けれど決意できずにエドワードはロイの軍服の裾を掴む。



「だって、ろい、おれのおとうさんになってくれるってゆったもん・・・・ろい、おとうさんだもん!!」



 場を凍りつかせたことにも気がつかず、エドワードはねっ、とロイを必死に見上げている。
「・・・・・・・大佐、不本意ながら、うちの父親はまだ生きていますけど」
「あー・・・・・・・・それは、そのだな。言葉のあやで」
「言葉のあやで父親になられたら、この世は近親相姦天国ですよ・・・・!」
 かわいらしい声に似合わない過激な台詞も、先ほどのエドワードの言葉のインパクトの前では少々影が薄い。
 父親、父親ほどこの人からかけ離れた存在はないと、誰しもが言葉にせずとも表情に出して、ただ黙するばかりだ。
「・・・・・・・なんだろう、このお昼のメロドラマをみているような」
「いたたまれなさは」
 といっそ美しいほどのタイミングでブレダの言葉をフュリーがついだ。
「これは、アレじゃないかしら。雛はタマゴから生まれてはじめて目にするものを親だと思うという」
「刷り込みっすね」
 うんうんとハボックがなげやりに頷いた。
「なに嬉しそうな顔してるんです、大佐」
「・・・・・・・・え」
「にやけてる場合じゃないんじゃないですか?」
 アルフォンスの氷点下をゆうに下回る声に、笑顔を引っ込めて、ロイは体勢を立て直すべくおもむろに宣言した。
「ならば、鋼のがもとにもどるまでは私が面倒をみよう」
「あーあ」
「はあ」
「ふう」
「・・・・・・・・・・・・・」
 各自の口から零れたのはもう勝手にしてくれといわんばかりのため息と、無言の圧力ばかりだった。
 ロイはこの時点では楽観的であった。子供と直接接した経験がないという事実が、それに拍車をかけた。
 そもそもこうなった原因は自分にあるのだし、エドワードは自分の大事な恋人だ。退行したといっても、子供の世話をするくらい簡単なことだろう、くらいに考えていたのだ。後にそれを大いに後悔することになるとも知らず。
「ろいー」
「うん、なんだね?エドワード」
「おしっこー」
「!!!」
 ズボンをずりさげようとエドワードはじたばたとしている。
 後悔はすぐに訪れたけれど、すでに遅かった。
 皆の白い目を背に、ロイは子供を抱えてトイレへと走る。
「もれるー」