5月








 王手、とぱちりと駒を打ち、男はふむと満足げな声を聴かせた。ちくしょう。
「お前はいつも先手必勝とばかりに焦って打つからいけない」
「・・・・・もうひと勝負だ、エルヴィン」
「ふふん。まあルールを覚えただけいいんじゃないか?俺に勝とうとはずうずうしい」
「うるせえな・・・・もうひと勝負だっつってんだろ」
 店先に出した椅子二つの間に将棋盤を置いて、この暇な男と将棋を指すのも最早業務の内だ。
 駒をざらりと盤から払い、並べなおす。どうにもこの男の深謀遠慮といった狡猾な指し方が苦手だ。まともに勝ったためしがねえ。
 もう一度とはじめた勝負も早速劣勢の匂いがしてきやがって腹立たしい。
「・・・・・クソみてえな指し方するんじゃねえ、男ならガツンドカンとだな」
「先の先の先を読むのがボードゲームだろう。お前は本当にこういうものに向いてないな」
「うるせえ。てめえを参りました降参ですっつって這いつくばらせるまではやるからな。覚えとけ」
「主に這いつくばってるのはリヴァイ、お前のほうだろう。負けず嫌いなばっかりにご苦労なことだ」
「うるっせえ・・・・黙って指しとけ。・・・・・・あ?ちょっとまて。お前それは・・・・」
 ぱちりと軽快な音を聞かせた駒の位置は本当にまずい。イラ、と爪の先ほどの苛立ちに奥歯を噛む。容赦ってもんを知らねえのかこの男。
「クソ出してくるからまっとけ」
 立ち上がるついでに盤を蹴飛ばすのはお約束だろう。
「・・・・おまえそれウィキにも載ってるマナー違反の代表例だぞ」
「うぃきってなんだ」
「・・・・わかった。いいからさっさとその出もしないクソとやらをひねり出してこい」
「あ、止まった。てめえがもたもたしょうもねえこと言いやがるからだ。よし、もう一回並べなおせ」
「お前な・・・」
 ふんぞり返った俺に大人しく従うエルヴィンは、おそらく何度やっても勝つ自信があるからだろう。その余裕がむかつくんだ。クソが。
 駒を並べなおしているうちに、ババアがよたよた店先に顔を出した。
「あら、総務部長またこんなところで遊んで。仕事はいいの?」
 ここらのじじいばばあどもの慣れ慣れしさといったらねえな。
「こんにちは。いや、昼休憩なんですよ」
「農○って暇なのねえ、私一時間前にここ通った時も将棋指してるところ見たわよ」
「ははは、いやあ、昼休憩と営業先回りを同時にやっつけてるんですよ、この店も一応うちの○協の得意先なので」
「得意先っつうほど仕入れてねえ」
 適当な言い訳をしてはぐらかそうとするいい加減な男を一蹴して少し溜飲を下げる。
「りばいちゃん、ちょっと苗見繕ってちょうだいな」
「ああ?・・・・めんどくせえな何がほしいんだ」
 誰がりばいちゃんだなどとは言わない。この界隈のババアは人をりばいちゃんりばいちゃんなどと軽々しく呼びやがる。初めの内こそ抵抗していたが、もうその気力すら失せた。数で来られると、いちいち訂正なんざしてられねえ。
「なんでもいいわよ?今何が旬なの?連作にならないなら何でも」
「てめえんとこの畑に去年何植えたか俺が覚えてるわけねえだろう。無計画に買うんじゃねえ」
「なんか可愛いのがいいわあ。ほら、おしゃれな野菜あるでしょう、ずっきんにんとかなんとか」
「・・・・・・・・それはもしかしてズッキーニのことか」
「ああ、それでいいわ。なんか流行ってるんでしょ」
「苗に流行りもすたりもねえ」
 おい、エルヴィン、ちょっとてめえまっとけと言い置いた俺にひらひらと手を振るこの男は本当に暇なんだろう。仕事にそろそろ戻らなくていいのかと余計な心配をはじめの頃こそしていたが、今ではそれを言う手間すら惜しい。億劫に椅子から立ち上がり、ババアに一応ズッキーニの苗を出してやることにする。
「ところでずっきにんってなあに?」
「・・・・・・・暇なんだな?」
「あら違うわよ。この後お出かけなのよ林さんと待ち合わせしてるの、ここで」
「完全に暇つぶしじゃねえか、人の店を待ち合わせに使うんじゃねえ。てめえに売る苗はねえ」
「ほほほ、それをいうならお前に食わせるタンメンはねえでしょう」
 訳の分からないことをほざくババアだ。
「大体待ち合わせしてそっからどこか行くんだろう。苗もって歩き回る気か」
「いいのよ、とりあえず林さんちの畑にでも植えとけば。後で掘り出して移動させてもいいし、よかったらまた買いにくるんだから」
「そりゃバイオテロじゃねえかババア。売らねえぞ、そんな適当な目算なら」
「なにいってんの、あんたほんとに商売っ気がないんだから。言っとくけど私たちが来て買っていかないとこんな萎びた種苗店なんかすぐ潰れますからね」
「てめえらに買ってもらわなくても金づるの二本や三本がっちりつかんで」
「どうせその金づるとやらはそこの呑気なJ○職員か2丁目のホストのことでしょ。一般の購買層をもっと大事にしないと!」
「・・・・・・・うるせえな・・・・・・ババア、てめえはほら、これやるから帰れ。カメでも飼ってろ」
 ついこの間側溝で拾った子亀を店先の水瓶からすくいあげて、ババアに手渡す。持て余してたからちょうどいい。ババアはきゃあかわいいわねえだの嬉しそうに、びしゃびしゃの子亀を手の上に載せている。馬鹿か。
 ふと視線を感じて振り返ると、エルヴィンがまるで孫を見つめるジジイみてえな顔で目を眇めてこっちを見てやがる。
「なんだ。何見てやがる」
「いいもんだと思って。ああ、春だなあ・・・・」
「意味わかんねえ」
「いや、おまえもまともになったなあと。白いシャツが着れるようになったじゃないか」
「ああ?」
「昔は毎日返り血でシャツが染まるもんだから黒しか着れなかっただろう?」
「っだそれ・・・・・何十年前の話をしてんだお前は」
 そんなに立ってないよとからから笑うエルヴィンは、昔からこの調子だ。付き合いがなげえと色々面白くねえことを知ってやがるから始末に負えねえ。
「まとも?まともなわけないでしょう、三十路超えてまだ子供とつるんで遊んだり独り身の友達同士で将棋指してるようじゃとてもまともとは言えません!」
「・・・・いいからさっさとカメ持って帰れ」
「もっとほら、やることあるでしょう。彼女作って、結婚して、子供作って!」
「作れだのやるだの下品なババアだ・・・」
「お見合いしたかったらいつでもうちにいらっしゃい」
「わかった。わかったからさっさと帰れ。待ち合わせなら余所でしろ。ズッキーニは売らねえ。暫くくんなよ」
 ババアを追い返してようやく椅子に腰を下ろす。気が付けばエルヴィンは将棋盤と駒をきれいに片づけていた。
「なんだ、帰るのか」
「そうだな、さすがに戻らないと。それにそろそろエレンが学校帰りにここへよる時間帯だろう?」
「・・・・・・・それがなんだ」
「お前とあんまり仲良く遊んでいると、エレンが噛みつかんばかりの顔をするからな。なんだか可哀想で」
「・・・・・・・・・・・・・お前」
 ニヤニヤしているエルヴィンの顔に嫌な予感を覚える。そしておそらくその予感は間違ってねえ。
「とうとう往来で押し倒されたんだって?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・そりゃだいぶ話に尾ひれがついてんな。正確にはバールかなんかで寝てる俺の脳天をフルスイングしていきやがったんだ、あの餓鬼」
「この界隈ではようやくエレンが告白しただの種苗屋の店主が押し倒されて一昼夜気絶してただのうちの窓口までご婦人方が押しかけてきてそりゃあもうもっぱらの噂だが」
「………………………ようやく?」
 ようやくってなんだ?それじゃあまるで。
「エレンの種苗屋店主への片思いは有名な話だぞ。多分知らなかったのはお前だけじゃないか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それ」
「事実だ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・気が遠くなるな」
「いいんじゃないか?エレンとお前」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・聞きたかねえが一応聞いてやる。何がいいだと?」
「だから。お似合いなんじゃないだろうか。二人とも頭がおかしいだろう」
 な、と笑うエルヴィンには悪気はないのだと信じたい。信じたいが頭がおかしいってのはなんだ。
「お前俺を本物の犯罪者にしてえのか?相手は毛も生えねえころから知ってる15のガキで男だぞ」
「些末な問題だろう。というか犯罪者だのなんだのそんな小さいことを気にする性質だとはついぞ知らなかったな」
「ちいさくねえ。小さくねえぞエルヴィン・・・・・お前は常識人だと思ってた俺の信頼を返せ。今すぐ耳揃えて」
 人の信頼を平気で踏みにじりながらエルヴィンは笑っている。こいつも十分頭おかしいなと確信する。
「・・・・・・いつまでも一人ではいられないぞ?」
「そんなこたあねえ。ここで座って、苗売って寝て起きて、飯食って、それで俺は十分だ」
「付き合ってやったらどうだ?頭はおかしいが悪い子じゃない。お前にはよく合うと思うがな。なにせ七年の付き合いだろう?これから先も、多分一生の付き合いになる」
「・・・・・・どうだろうな。あいつはちゃんとした親がいて、愛されてて、若い。そのうち俺のことなど忘れるだろう」
 いや、そうであってほしいというただの、俺の願望だろうか。どこのどんな場所にいたとしても幸せになれるガキだと思うから、いつかこの小さい町を離れて、俺の知らない場所で知らない人間と生きていく日が必ず来る。それをさみしいと思う隙すらないほどに、そう願う。
「・・・・・・・お前は長く生きないだろうと思ってた」
「奇遇だな、エルヴィン、俺もだ」
「それがこうして、店先で眠って、飯を食って、子供に懐かれて、俺と向かい合って将棋など指している。それはエレンがいたからじゃないかと」
「あのクソガキどもが?」
「違うぞ、リヴァイ。エレンが、だ。あの子が兵長兵長とお前を慕って、大きくなって、そういうことがお前を生かしたんじゃないかと思う。昔を覚えているか?俺とお前が初めてであったころだ。中学生だったっけな」
 思い出したくもない。それを引っ張り出そうとするエルヴィンはやはり扱いづらい男だった。
「お前は昔、俺の言うことに逆らわなかったな。『わかったエルヴィン、お前に従おう』と、なぜと聞きもせずに俺が言うとおりに。掃除をしろと言えばしたし、飯を食えと言えば飯を食った」
「・・・・・てめえを信用してたからな」
「そうだな、それはうれしかったが同時に悲しかった。お前はお前の意思をないがしろにして、粗末に扱っていたからだ。・・・・・お前が自身をまるで信じられずにいることが、俺は昔ずいぶん悲しかったよ」
「・・・・・あのころ、俺が知ってる唯一まともなものがお前だった」
「今は違うだろう?お前は変わったと思う。もちろんいいほうにだ」
「・・・・根っこのとこは同じだ。俺は知ってるからな。俺はゴミみてえなもんで、くだらねえ。それは、エルヴィン、ただ事実なんだ」
 無感動にそう思う。卑下しているわけでも卑屈になっているわけでもない。
 俺はゴミのようなものだと、それはただの事実だ。
 エルヴィンが痛ましいものを見る様な顔で笑う。
「幸せになってもいいと思うんだが」
「エレンを可愛いと思わねえわけじゃねえ。でも、それとこれとは別の話だ。何も俺みてえなもんに付き合わせるこたあねえ」
「お前は、自分を災いのように言うんだな」
 やさしい男はそうではないのだと教えようと、そんなことを言った。いいやつだ。だから俺はお前が苦手だ、エルヴィン。
「間違ってねえな」
「忘れていいんだ、リヴァイ。過去は過去で、お前を追いかけては来ない」

 お前は知らない。
 俺があの日殺した男の夢を今も見ない日はないこと。
 むせ返るような温かい血の匂いも、あの男の息の根を止めた感触も今でも手の内に思い出せること。
 悔いているのはただ一つ、もっと気が狂うほどの苦痛を与えてあの屑を殺せばよかったということ。
 削いで削いで削いで、それでもまだ足りなかったと俺が今も思っているということ。

「・・・・・・・どうだろうな。・・・俺は今十分幸せだ。エルヴィン」
 これ以上話す気はないのだと言外に告げて立ち上がる。
「昔のことは思い出したくねえ」
 正確には、「何一つ忘れていないことを、お前に悟られたくない」だ。
「また来る。もう少し器用になれ。こんなに弱い相手と将棋を指してもつまらんからな」
これだから付き合いが長い奴はめんどくせえんだ。油断すればナイフを突きつけるように臓腑を抉って、亡霊を呼び起こす。
「気が向けばまた苗をおまえんとこから買ってやるよ。ズッキーニの苗が少なくとももう一本いるみてえだしな」
 過去は過去だとエルヴィンは言う。多分それは奴の優しさだろう。だから素直に、それを受取れればいいのにとも思う。いつかそんな人間になれたら、と。五月の優しい光の下で、ふと見下ろした両手が血まみれだった。錯覚だと知りながらもぞっとする。先ほどまで子亀が泳いでいた空の水瓶に両手を差し込む。
 水面はきらきらと光を反射して、ただきれいだ。反射に目を細めて、しばらく、エルヴィンが立ち去ってなお俺はそうしていた。ただきらきらとするものを眺めて、背中を丸めて。