月
下町の苗物屋の朝は早く、ついでに夜も早い。早朝陽が上ると同時に目覚め、シャッターを開いて店先に苗や花を並べる。そのあと苗のポットから滴るほど水をやるのが一番重要な仕事で、それが終われば特段やらねばならないことなどない。こんな小さい種苗店に来るような客はといえば、寄合所代わりに病院を利用したジジイババアがその帰りに冷やかしに来るくらいで、昼時ともなれば忙しない飲食店のような賑わいとは無縁だ。
今日も今日とて、2・3軒先の蕎麦屋から出前を頼み、昼にそばを啜った後はひたすら、店先に出しっぱなしの椅子の上で午睡。
りばいちゃん、りばいちゃんなどとふざけた呼び方をしやがるババアは無視だ。てめえは昨日もキャベツの苗を買ってっただろうが。話し相手の代償に苗を買うんじゃねえ。貯金をしろ。
寝たふりで2・3人をやり過ごしているうちに遠くからでもわかるほどうるせえガキどもの声がしてきて、うぜえ。
あいつら、ここを喫茶店か何かと間違えてやがる。学校帰りに毎日種苗店に寄っていく男子高校生っつうのは何の冗談なんだ。
「ほら、だから言っただろ、この時間は絶対兵長寝てんだって!」
「本当だね、意識したことなかったけどここ2週間この時間帯は、100%の確率で寝てる・・・社会人なのに」
アルミンの信じられないとばかりに素直に関心する声音にうっかり目を覚ますタイミングを逃がす。・・・・なんだ人をダメ人間みてえに。
「春だからな・・・3時37分位から閉店までこの季節はきっちり寝てんだよ、兵長」
「・・・・なんだ、エレンその正確な時間、きめえ」
「うるせえ馬面、引っ込んでろ屑」
「馬面か屑かどっちか選べねえのか??!」
一触即発のエレンとジャンの仲の悪さは相変わらずで、てめえら人の店先で喧嘩なんかはじめんじゃねえぞ。そろそろ起きてうるせえガキどもをボコボコにするかと思った矢先にとんでもないことをエレンが口走った。そのせいで、起こしかけた体を再び椅子に沈める羽目になる。
「あー・・・・マジで寝顔がすげえかわいい。チュウしてえ」
えっ。
「・・・・・・エレン、人通りが少ないとはいえここは天下の往来だよ、落ち着いて」
「止めるな、アルミン。もういろんなことがどうでもいいくらい、こっちは煮詰まってんだ」
「はあああああああ?!っだ、てめえホモかよ?!おおおおおい、アルミン、こいつ頭湧いてんじゃねえのか??!よりにもよって兵長だぞ?!!見てみろこの寝顔」
「ああ?!すげえ可愛いじゃねえか!」
えっ。
「てめえの目は節穴だ・・・!よく見ろこの眉間の皺、マリアナ海溝じゃねえんだぞ?!眉間で名刺はさんで差し出せるほどすげえ顔してんじゃねえか、ぜってえ今死体を刻んでる夢見てんだぜ」
ジャンよ、てめえの馬面、刻んでちょうどいいサイズにしてやろうと心に決める。
「馬鹿か、せくしーだろうが!」
・・・・だがエレンよ、てめえの目は間違いなく節穴だ。
「そっか、ジャンは中学3年の時に越してきたから知らないんだよね、エレンは兵長にもう7年片思いしてるんだよ」
えっ。
「きもっ重っ」
「うるせえな一途なんだ、黙ってろクソが」
「7年っつうと・・・7歳?」
「なんでだバカ8歳からだ。8歳んときに兵長に出会って、運命感じたんだよ、俺は」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つうかさあ、なんで兵長は兵長って呼ばれてんだ?元軍人とかそういうあれか」
「・・・・・ジャン、知らずに呼んでたの?今まで」
「お前らが兵長兵長呼ぶからつられたんだよ。で、なんで兵長なんだ?」
「・・・・・・・僕らがまだむちゃくちゃだったころ」
なつかしそうなアルミンの声に、「なに今はまともみてえな言い方してやがんだ」と突っ込みたいのを必死で耐える。というかさっさと目を覚ましとけばよかった。
「僕とエレンとミカサと三人で椎名町調査兵団っていうのを結成してて」
「……どこのカスカベ防衛隊だ、お前らは」
「日々、反社会的勢力のみなさんの事務所に爆竹を投げ込んだり、台風で荒れた川で遠泳の練習したり、高校生の投げ煙草を拾ってはそのヤンキー高校生の口の中で消火するといった活動を繰り返してて」
「・・・・・・・・・・・」
「まあ若かったんだよね」
「ミカサとエレンはわかるわ。でもおまえ、アルミン・・・・」
「発案者はこいつだからな。言っとくけど。アルミンが調査内容を発案してミカサと俺が実行部隊で」
「・・・・・・・若かったんだよね・・・・・」
若いの一言で済まされたのではたまったもんじゃねえと、懐かしくもないむちゃくちゃなガキどもの素行を思い出す。
「もう親が手に負えないってなっちゃって、よしここはあの種苗屋に丸投げしようって、だれが言い出したんだっけ、エレンの母さんだよね、確か。毒を以て毒を制すとか何とか」
誰が毒だ。とんでもねえいきさつを聞いちまったと思わず眉間の皺が深くなる。
「正直オレらよりむちゃくちゃな大人には初めて出会ったからな・・・。事務所に爆竹投げ込んだオレら連れて『てめえらがこんなとこで事務所なんかやりやがるからガキどもが爆竹投げ込むんだろうが』とか言って殴りこむわ、高校生の投げ煙草拾って、そんなにこのくせえ煙が好きならエコだギリギリまで吸えっつってフィルターなくなるまで吸わせるデッドオアアライブだわ、台風で荒れた川でそんなに泳ぎてえならせめて命綱でもつけろっつって腰に縄つけてからオレたち三人を川に放り込んだあとそのまま飯食いにいって忘れちまうわで、まあ一瞬で調査兵団のトップに上り詰めたんだ、兵長が。なつかしいな」
・・・・・・・・目、あけらんねえなこれ。というか、そんなことしたか。覚えてねえ。
「それまでミカサとエレンが兵長の座を争ってたんだけど、しょうがないよね、ちょっとやんちゃな小学3年生と本職とじゃあはじめから勝負は目に見えてるもん」
・・・・・何の本職だ。何の。俺の本職は苗物屋だ。
「そんで懐きまくって、兵長兵長っつって後追い掛け回して、兵長のマネして、悪さしたら殴られて、調査報告して、うぜえガキども殺すぞって威嚇されて、面白かったよなあ?」
エレン、お前は残念ながらバカだ。顔は悪くねえが頭が決定的に悪い。小学生のころとなんも変わってねえじゃねえか。
「・・・・まあ高学年になって僕も理性が追いついてきてあれこれ大丈夫かなって気づきはじめたけどね」
「・・・・・・・今のエピソードの何が一番こええってお前のカーチャンが俺は一番こええ」
「そうだね、普通赤の他人、しかも兵長だよ?この兵長にかわいい子供三人丸投げしないよね」
丸投げされたこっちの身にもなってほしい。ある日いきなり、子供が三人「いまからちょうさにいく。おまえもこい」だの「はんしゃかいてきせいりょくのきちをせいふくするぞ」だの「どうせきゃくなんかこないんだからいっしょにあそびませんか」だの言いだした日には何が起こったのか理解できなかった。そうかエレンの母親の指図だったのかと7年目の真実に愕然とする。
というか。
まずい。
このまま寝たふりを続けているととんでもないことになりそうで怖い。
どんどん知りたくもなかった事実が暴露されてんじゃねえか。いつ起きたらいいんだこれ。
「つうか種苗屋って顔じゃねえだろ・・・・。この現代の日本の寂れた下町でなんでこんなめちゃくちゃな外人がぼろっちい種苗屋やってんだよおかしくねえ?似合わなくねえ?」
「僕もだけどジャン、きみもめっちゃ外人だよ・・・」
「オレ、純日本人の友達ってミカサとエレンくれえなんだけど」
「二つ訂正してやるよ。オレはてめえとは友達じゃねえし、オレの父親はドイツ人でオレは立派なハーフ様だ。エレンって名前なんだと思ってやがんだてめえは」
「ああ?ただのDQNネームだろが、何がハーフだクソふざけんじゃねえ」
「誰がDQNネームだ?!てめえこそ馬と馬のハーフだろうがクソバカ」
「それ馬だろが・・・・!」
「ちょっともう、二人ともやめなよ、兵長起きちゃうよ?多分寝てるとこ起こしたら三回は殺されると思う」
「・・・・どういう計算なのかわかんねえけどそれすげえわかるわ。おいわかったか馬ヅラハゲ」
「てめえのほうが声でけーんだよバカホモ!」
「もうやめてってば・・・。っていうかジャン、今更だよ。兵長くらいで驚いてたらこの町でやってけないでしょ。僕こないだテレビで見たよ、椎名町のことローカル局で特集してて、椎名町の異人街って紹介されてたの」
「外人ばっか集まってんだもんな。なんでかわかんねえけど。オレすげえびっくりしたぞ。この町越してくるまで、外人なんか珍しいからすげえオレ目立ってたのに、ここじゃどこ向いても金髪碧眼当たり前で埋没しちまった」
「僕は生まれたのも育ったのもこの町だから、名前と容姿に反して日本語しかしゃべれないんだよね。エレンとこもそうだよね?お父さんも日本語流暢だし、ドイツ語喋れないんじゃない?」
「ぐるてんもみあげ?だかなんだかそれくれえだな」
「言えねえならいうなバカ。異人街ならまだいいけどよ、異人街が異界になっていまじゃ魔界って呼ばれてんぞ、特に2丁目」
「えー・・・・なんかわからないでもないで嫌だな・・・」
「この30人くらい殺してそうな種苗店主だろ、ツルッパゲの椎名農○協同組合組合長の側近は金髪碧眼の総務部長だろ、2丁目のババアのアイドルこと三流ホストにすぐ舌かむ蕎麦屋に可愛い顔して凶暴な婦人警官だろ、そんでそれがそろいもそろって外人でなんかもう有象無象じゃねえか、オレはこっちに越してきてだいぶ友達減ったぞ・・・・」
「椎名町の子と遊ぶんじゃありませんって言われるんだよね・・・・」
「兵長は!!ひたすら!!!かっこいいだろが!!」
「このどMホモが・・・・」
「ああ?なんだジャン、まさかてめえも兵長のこともしかして・・・っ」
「もしかしてじゃねーよこの死に急ぎ野郎!!聞こえねえ声が聞こえてんじゃねえか新手のノイローゼかてめえっ」
「もーうるさいってば・・・!」
・・・・・・どうしたらいいんだ。
すげえ起きづらいじゃねえか。
「オレ決めてんだ」
ぽつりとエレンが、おそらく俺の寝顔を見ながら呟いた。そうか。わかった何を決めたのか聞きたくもねえから、あっちに行って好きなだけ好きなように決めろ。頼むから俺の前で何かを決めるんじゃねえ。
「今年でオレ16歳だろ」
「・・・・そうだね、エレンは遅生まれだから、3月末に16歳だよね。それで?」
「今まではただのガキで、絶対相手にされねえと思ってこれまで我慢してたが、16っつうともう立派な大人だ。今年こそ兵長に告白する。そんで、ぜってえ付き合う。っつうかチュウとかする」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「・・・・・おっ・・・・おう」
「いいんだよ、ジャン・・・・だって人は誰でも夢を見る権利があって、それはエレンだって例外じゃないんだから」
「・・・・・・・・オレ今初めてお前を尊敬したかもしれねえ。死ぬとわかってて虎の口の中に頭突っ込まねえだろ、普通。エレン、薄々気が付いてたがな。てめえはキチガ○だ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・よし。
寝よう。本当に寝よう。
小さいころから知っている小僧に性の対象としてみられていたことはたいそうな衝撃だった。ほぼ気を失うように眠ろうとした俺の耳元でアルミンが「覚悟しておいたほうがいいですよ」と囁いて行ったが、あの餓鬼だきゃあ侮れねえ。
うっかりそのまま寝過ごした。
おはよーございまあすと黄色い声で全力で叫ぶ小学生の列に、一昼夜を外で過ごした俺はホームレスの気分でおうと答えた早春の朝。