さみしいよるのあな













 夜に混じる漆黒の男。親友の贔屓目を差し引いても、充分に男前だ。ロイは、気配や呼吸の乱れが憂いを晒すのを極端に嫌がる。平然を装い、あくまでも気づかれないように背筋を伸ばし、乱れなく流暢に言葉を紡いだ。
「いや、久しぶりにお前と飲みたいと思ってな。たまたま出張で」
 中央へでむく用事があったんだと、ロイは正面を向いたまま続けた。夜の街の雑踏においても、この男はよく目立つ。軍服ということをさしひいてもだ。すれ違う、派手な女の群れが振り返って、嬌声を上げた。まるで聞こえない風情で先をいくロイに、ヒューズは笑いをかみ殺して、その肩を乱暴に抱いた。
「へえ?」
「・・・・・・・なんだ。なにか含みがあるな。言いたいことがあればいったらどうだ」
「べっつに。あ、ロイ、ここ。ここにしよーぜ!おねいちゃんのいる店」
「断る。騒がしいのは好かん」
 妙なところで潔癖さをみせて、ロイがそっぽを向く。むろんヒューズとて、常にそういった場所を好むわけではなかった。つまり試したのだが。すげなく断られ、にやにやとまた笑った。こいつがこうやって、えらそうに無表情で甘えてくるときは絶対恋愛がらみだ。
「・・・・・・だから、なにをにやにや・・」
「なあんでも?・・・・・えー・・・じゃあここは?バーさんがやってて、内装はきたねえわ、人はすくねえわ、酒はウメーわ、勘定するとなぜかタマゴかけご飯がでてくるっつう。個室もあり。どうだ」
 傾いた看板の、どうみても夜の街に見劣りする一軒の居酒屋を指差す。はじめからここへ誘うつもりだったと言えば、こんな汚い店と怒るだろうか。けれど予想に反して、ロイはいいなと呟いてさっさと店の扉に手をかけた。中へ入れば、陰気そうな老婆がだまって店の奥の個室を指した。照明は薄暗く、店内はおもったよりも小奇麗で印象がいい。個室に入りながら、ヒューズが囁く。
「オメーは絶対こういう店、嫌いだと思ってたんだが」
「なぜだ?好きだぞ。准将殿やら将軍殿やらのねちっこい脂ぎった中年ヅラを眺めながら小難しい顔をして、ナイフとフォークでお上品に小皿の飾りのようなちっさな肉をつつきまわすよりよほどいい。酒がうまいんだろう?」
「まーな。えー。じゃあオレビール」
 椅子に腰をおろしながら、ついてきた老婆に注文する。ロイを促すように見れば、幾らかの逡巡の後、
「ロック。銘柄は何でもいい」
 絶対これは恋愛がらみだ。しかもどうやらロイは劣勢にあるらしい。よっぱらわねば話し出せないようなことなんだろうか。ビールは水のように飲むロイが、ウイスキーには弱かった。長年の付き合いで、酒の好みくらいは知っている。匂いをかいだだけでも具合を悪くしていたのに、そいつをロックでとは。わくわくと、顔が笑いそうになるのを必死に堪えて、ヒューズは懐の煙草に手を伸ばした。
「で。どうよ近頃?」
「どうといって、別に変わりはない。お前のほうこそどうだ。エリシアは少しは大きくなったか」
「おお。もう、もんのすげえ、かわいいんだよ・・・・。やべ、涎が」
「・・・・・・・・・・・・・・・・汚いな」
 いやそうに顔をしかめたロイに、懐の秘蔵写真の数々をテーブルに並べる。
「これが一昨日、朝起きたばっかりのエリシアちゃんでえ〜、こっちがその一時間後、朝ごはんをたべるエリシアちゃんでえ〜、こっちがその一時間後パパのあんよにしがみつくエリシアちゃんでえ〜」
「・・・・・・・・うらやましいな」
「おっ、お前もついに家庭の素晴らしさに気がついたか?そうだろうそうだろう、こんなかわいい娘がほしくなっちゃったんだよな?お前も。でもだめだぞー?エリシアちゃんはオレのなんだからぁ〜」
「違う。バカはうらやましいという意味だ。写真一枚で涎がでるその微生物のような単純さならば、毎日が輝いているに違いないと思ってな。ん?大丈夫かヒューズ、ちゃんと周りの人間と会話がかみ合っているか?おかしをあたえられたり、頭をなでてもらったりしてるんじゃないのか?」
 暗に入院を勧められて、ヒューズは歯をむいた。
「うるせーよ!なんだ、折角みせてやったのに。お前いっつもその調子でだれもかれもにかみついてんじゃねえだろうな?だからオレのほかに友達ができねえんだよ」
 その一言に意外と打撃を受けたのだろうか、一瞬言葉に詰まり、体勢を立て直すべくロイは視線をそらす。そこへ、無造作にジョッキとグラスがテーブルに置かれた。老婆は一言も発せずに、さっさとキッチンへと引っ込んでしまった。ヒューズはジョッキを手に、ひとまず乾杯を促す。
「お疲れさん」
「うん」
 グラスまできんきんに冷えていたらしい。指先にガラスの取っ手が張り付いて、すぐになじんで温む。一口にあおり、飲み下す。
「ぶっは・・・!うー。生き返る!なあ、ロ・・・・・・・イ・・・・・・」
 その飲みっぷりは、長距離ランナーの水分補給に匹敵しているかとも思われた。すぐにどんとグラスをおいて、老婆を呼ぶ。老婆もなれたもので、今度はバケツかとおもうような容器へ氷をつっこみ、ウイスキーを瓶ごとロイへ突き出した。
「勝手に飲みな。勘定のときゃ、呼んどくれ。食いもんはあたしが適当にみつくろったからね」
 簡単なつまみをずらずらと並べ、老婆は背中を向けた。
「・・・・・・・・・いい店だな」
「そうか・・・?」
 その老婆の背中を目で追いながら、ため息のようにロイが呟いた。
「気を使わんでいいじゃないか。もう気をつかうのはいやだ。疲れた。胃に穴が開く。いや、開いてる。ヒューズ見てくれ。穴が」
 あぐ、と口をあけてみせる29歳の大佐という地位にある親友は、確かに酔っ払っている。けれどまだ理性が邪魔をするのだろうか、口を割ろうとはせずに、揺らぐ視線を漂わせて、どこか堅い表情のままだ。
 こりゃあいよいよ、なにかあったな。こいつがこんなふうに醜態を晒すのは珍しいことだ。親友であるならば、なおさらとでも思うのか、ヒューズの前でいつも格好をつけようとするロイのアルコールにまみれた吐息が鼻先をくすぐった。催促されて、氷を多めにつっこみながらウイスキーを注ぐ。
「なあ、ロイ。なんかあったんだろう、お前。吐いちまえよ。今更オレにかっこつけることねーだろ?な?」
 ばんばんと肩をたたけば、それが勢いになったのだろうか、もう一度ロイはグラスを仰ぐ。
「おまえそんなハイペースで」
「いいんだ。今日は飲むと決めてきた。久しぶりなんだ。お前もしっかり飲め。ジョッキで飲めよ。氷は入れないぞ」
「・・・ジョッキでストレート?そんな飲み方しておまえ酒に悪いとかおもわねーのかよ」
「なんだおまえ、酒と会話ができるのか、しらなかったな。じゃあお前が存分に謝っておいてくれ。今日はお前を飲み干してやるぞと」
 ひとりでぶつぶつ呟いていたが、グラスに注ぐことをヒューズが躊躇しているとわかったのかロイはおもむろに瓶を掴んだ。それを氷のはいったバケツもどきの上で逆さにする。
「おま・・・・・なにやってんだ!酒がもったいねえだろ」
「飲めば一緒だ。いいじゃないか、簡単で。グラスで汲んで飲めばいい。お前はジョッキで」
「・・・・・・・・・ほんとになにがあったんだよ?いいから話してみろって。女か?女だろ?」
 話し出すまでまってやろうという心積もりだったのだが、こうまで荒んだロイに気おされて、堪えきれずにヒューズは問う。
「親友だろ」
 とどめとばかりに「親友」の二文字を掲げてヒューズは低く言った。効果の程はそれなりにあったらしく、ロイはしぶしぶといった風情で口を開く。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ハボックが」
「うん?あの小僧がどうしたって?」
 軍人には珍しい気安い雰囲気の、金髪で男前の部下を思いだしてヒューズは先を促した。
「・・・・・・・ハボックがな。ハボックの話なんだがな。つきあっているのかどうか、微妙な関係の人間がいるらしくてな」
 かすれた声で、ロイが低い声でぶつぶつと呟く。唇が乾くのか、それを湿す程度にグラスのふちに唇をつけ、続きを口にした。
「まあ正直付き合っているという明確な約束があるわけではなくて。その、なんだ」
「体の関係はすでにある?」
「そうだ。で・・・・・まあ、だらしなくも、そういう関係をずるずる続けていてだな。相手が各地を点々としていて、かなり忙しいらしく滅多にはあえないらしいんだ。だからお互いの関係について言及したいのだが、ゆっくり話し合う暇もなく会って、たまにセックスして、たまにけんかをして、たまに仲直りをするっていう・・・」
「ふんふん。それで?」
「は、ハボックが!ハボックがいうにはだな、そのな。ちゃんと付き合いたいんだと。バカだなアイツも。そもそも一番初めに確認をして手を出せばよいものを、勢いというか流れに任せて体を繋ぐような真似をするから、変な深みへはまるんだ」
 ははは、と乾いた笑いを聞かせてロイはぎこちなく手元のグラスに口をつけた。勿論ヒューズはすでにハボックの話などではなく、ロイ自身の話だなと笑いを堪えて真摯に頷いている。
 珍しく真剣じゃねえか。
 おおよそ今までのロイの恋愛をしるヒューズは驚きをかくせない。これはもしかしてもしかすると。
 ロイマスタングに本命あらわる、ではないだろうか。 
 この女たらし恋愛感情の欠落したような男が結婚することなど、夢のまた夢かと思っていたけれど、これは案外近い将来の話になるのではないだろうか。
 そもそも手順をまともに踏んだことなどあるんだろうか。まあ今回の件は今までの悪行の数々が原因だなとヒューズは思う。いつもセックスから入るような付き合いばっかしてるから、本命に出会ったときにどう対処していいかわからなくなるんだ。一夜の後腐れない付き合いもいいが、真剣につきあうということの喜びを知らずに生きてきたロイには、けれど確かに難題なのかもしれない。
「それで?お前はどうしたいんだ?」
「・・・・・・・・私じゃない。ハボックだ」
 ちっ。ひっかからねえか。
 よし理性だ、理性が邪魔なんだと、ヒューズは決意してジョッキに残ったビールとウイスキーをちゃんぽんにして、ロイのグラスに注ぐ。アルコールならば何でもいいだろう。既に舌はバカになっているはずだ。案の定、ロイは何の疑問も感じずに、それをまた一息で飲んだ。
「・・・っ」
「おおいいねえ。いいのみっぷりだねえ。ロイ、まあ飲め。な?のんでのーんでのんで、のんでのーんでのんで!」
「・・・・ちゃんと付き合いたいんだ・・・・・・・と、ハボックが!ハボックがだ!いいな?間違えるんじゃないぞ?ハボックだ」
「うんうん、それで?」
「・・・・・・ちゃんと付き合いたいんだ。何の約束もない、不安定で、曖昧な関係は、もういやだ。怖い。怖いんだ、ヒューズ。いつか、他の誰かの手を引いて、何処かへ行ってしまいそうで。もし、あの子がそうやって私に別れをつげても、今の私にはとめる権利すらないんだ。笑って、じゃあ元気でと見送らなければならないんだ。そんなのはいやだ」
 白皙の頬をわずかに染めて、頬杖をつくロイの双眸は何処か健気だ。幼子のような拙い口調が拍車をかける。
「それに・・・・どうみてもセックスしてて楽しそうじゃない。いつも眉を寄せて、何かに耐えているような表情をして・・・血が出るほど唇を噛んでる。触るのがこわいほどなのに、どうしてもやめられないで・・・・なんどもなしくずしに関係を迫って・・・・駄目だ、考えれば考えるほど、上手くいくとは思えない・・・・・そもそも私は口下手なんだ。まともに恋愛なんかしたことのない、欠陥人間なんだ・・・・。あんなかわいい子とは不釣合いなのに・・・・・なんでよりによってあの子なのか・・・」
「って、ハボック少尉が?」
「・・・・・そ、そそそそうだ、ハボックが!」
 酔っ払いロイマスタング。
 呂律の回らないロイマスタング。
 あせるロイマスタング。
 落ち込むロイマスタング。
 今日は、大盤振る舞いだ。普段のロイを知る部下達が今の有様を見れば卒倒するだろう。
 ヒューズ自身も驚いているのだから。
「・・・・・・・・・・オレが、いつもいつもお前に結婚しろ結婚しろってうるせえのは」
 つられたんだろうか。不意に本音で言葉を渡したくなって、ヒューズも頬杖をつき、童顔のひとでなしを覗き込んだ。影のさした頬がどこかやつれているようで、せつない。
「お前は、いつまでも一人でいるんじゃねえかなって思ってたからだ。一人で生きて、一人で死んでいくんじゃねえかと。恋人を、つくらねえんじゃなくてつくれねえんじゃねえかって。なんかそんな気がしててな。なぜといわれてもわからねえな。ただの勘なんだが。・・・わらうんじゃねえよ、オレは本気でいってんだぞ?・・・・・・オレはお前には幸せになってもらいてーのよ。野望もいいけどな、ロイ。それだけじゃあ生きてけえねえからな、人間は。今は、それがよくわかる。手に入れて初めて、もう失えねえと思う。だから・・・なんか、お前がそういうもんを手に入れねえで生きていくのをみるのは、オレにはつれえのよ」
 失うことすら知らないで、ひとでなしのまま生きて、死ぬなんて。
 平気で見ていられるほど薄い情ではなかった。
 親友だと、なんのためらいもなく口に出せる唯一の人間だ。
 あの戦場で、生き残ったのだ。それは、何の意味もなく、確立と少しの幸運のせいだったと思いたくはなかった。
「おもしろくもねえツラで、野望ばっかふりかざしてるお前をみるのは、ちょっと辛かった」
 はは、と笑い飛ばしてヒューズはロイの頭をグシャグシャにかき回した。おそらく、ヒューズよりもロイのほうが照れているだろうから。
「全然おそくねえから。次にあったときに、その女にちゃんといえよ?好きだ、つきあってくれっつって。いいか、一回振られたからってあきらめんじゃねえぞ。お前、ふられるのなんか免疫ねえかもしれねえけどな。一回や二回で諦めたら本気じゃねーと思われるからな。根気よく。真摯に。なに、本当にいやだったらセックスなんかしねえよ。体をそれでも許してるっつうのは、お前に気がある証拠だ。どんといけ!」
「・・・・・・・・そうか?」
「そうだそうだ!お前自信もて。こんな男前ふるやつぁ、人間じゃねえ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうか」
 やっと笑顔を見せて、ロイは机に突っ伏した。酔いが回って限界なのだろう。息が荒く、目が眠る寸前のようにどこか虚ろだが、それでも穏かに笑っている。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・胸がくるしい」
「初恋だな、さては?」
「そうだろうか。これが恋か?そうか。・・・・・・くるしいな。胸に穴が」
 右手で胸元を押さえて、ため息をつく。ここのところ激務を極めていたらしい。少し眠らせてやろうか。少し眠らせて、正気に戻して、そして聞かなかったふりをしてやろう。この調子ではどうせなにを喋ったか覚えていないだろうし。
「ヒューズ、胸が痛いんだ。私は穴が開いてしまった。大きな穴だ・・・・・あの子がいないと・・・・・寂しくて・・・・・・」
「ちょっと眠っていいぞ。かえるときは起こしてやっから」
 体に熱を覚えて、ヒューズは軍服の上着をぬいで、うつぶせた背中にかけてやる。程なく静かな寝息が、耳に届く。
 こうしてりゃかわいいんだがなと、一瞬気持の悪いことを考えてサブイボをたててしまう。29のおっさんにかわいいもねえだろと毒づいて、ヒューズはなみなみと残されたウイスキーをジョッキでくみ上げた。










 閉店だ出て行けと追い出されて、ヒューズは正体のない酔っ払いの肩を掴んでよろよろと歩いた。時計はもうすでに午前を回っている。けれど中央一の歓楽街であるこの通りではまだまだ、これからということなのだろうか。来た時よりも多い人々の流れに、思わずため息が出る。
「ははははは、いい気分だなヒューズ!もう一件行こう、もう一件!」
 陽気な酔っ払いが嘔吐の匂いをさせて景気よく、歌うように叫んだ。こんなだらしない有様に、女というのは幻滅するということはないのだろうか、相変わらず、すれ違うあでやかな、絶対にカタギとは無縁の香水臭い女達がロイに手を振り、あまつさえ体に触れてゆく。それにご機嫌で微笑んで、手を振り返すロイは数時間前とは別人のような浮かれようだ。
「おいおいおい、おまえ大丈夫か、こんなに飲んで。明日も仕事なんだろうが」
「ふん、つまらんことをぬかすな。折角の酔いがぬけるだろう。いいじゃないか、今日は今日明日は明日だ。せめて今くらい仕事を忘れられんのかお前は」
 言って、すれ違う、金髪の女の頬に小さなキスをおとして、ロイは上機嫌で顔を上げた。ヒューズは、調子にのったロイをたしなめようと真横を向く。
「大体お前は・・・・・・・・・・・・・どうした?」
 瞳孔がひらいているんじゃないだろうか。一瞬疑い、ヒューズは怪訝そうにロイをのぞきこむ。顔面は蒼白をとおりこして、ちょっと透明でおしゃれなかんじだ。また吐きそうなんだろうかと思いながら、ロイの視線を辿る。
 雑踏に、違和感のある赤い小さな人影を見つけて、ヒューズは驚いて声をかけた。
「エドワード」
 しかしエドワードエルリックこと、鋼の錬金術師は、いつものように「ようクソ大佐」だか「おせっかい中佐」だかいう暴言を吐こうともせずにじっと立ち尽くしている。恐ろしいほどの無表情のまま。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はがねの」
 まるで一気に30は年をまとめてとったかのような干からびた声で、喘いだロイを不審に思いながらもヒューズは声をあげた。
「なにしてんだよ、こんなとこで?東部にいるんじゃなかったのか?」
 エドワードはやはり無言で、無表情のままだ。元が綺麗な子供だけに、そうしているとまるで人形のようで恐ろしい。
 突然踵を返して、エドワードは走り出した。そのまま小柄な子供は人並みを縫うように、飛ぶように、かけていく。
「はがねの!」
 ギリギリだとわかる、切羽詰った声でロイがエドワードを呼ぶ。その声に、もう天啓としかいいようがなく、ヒューズは閃いた。
「・・・・・ばか!追え!」
 どん、とロイの背中を押してやる。それがスタートの合図だったかのように、ロイは振り返りもせずによろけながら走り出した。ありゃあいい記録がでるだろう。誰か計ってやってくれ。
「・・・・・・・・・・そうか」
 なぜか戸惑いも嫌悪感もおこらなかった。
 どこか欠けたような、あの二人が付き合うというのはとてもいいことのように思えたからだ。
「エドがねえ・・・・・」
 大きく伸びをして、空を仰ぐ。
 早く家にかえろう。かえってグレイシアとエリシアにかわりばんこにキスしよう。
 あてられたかな。
 ヒューズは冷えてきた外気に身を縮めて親友の幸福を密かに祈った。