体の奥深いところが濡れているこの感触は、菊にとっては馴染みのものだ。気だるげに寝返りを打ち、皺と染みに乱れた白いシーツに裸体をうつぶせる。けれど、溢れた白い粘液が穴から太ももに垂れるのを抑えることはできなかったようだ。朝日が室内に白く注いでいた。光にかその濡れた感触にか、菊は綺麗な眉をかすかに顰めた。
 隣で健やかな寝息をきかせる人の長い睫と白い頬を眺める。王耀と出会ったのは随分昔のことだが、彼に老いを感じたことなど一度たりとてなかった。年をとらないのだといわれても成る程と驚きはしないだろう。春の陽気を肌に感じるには少し早い。男の肩甲骨の下までずりおちた毛布を倦怠感に耐えながら引き上げると、王耀は身じろぎをした。
「・・・おこしてしまいましたか」
 菊がそう囁くと、長い睫が揺らぎ、ゆっくりと彼は瞳を開いた。真っ黒な双眸が、寝起きとはとても思わせない強さで菊を捕らえる。いつも彼の目ざめを見るたびに思う。彼は虎のようだ。眠りながらにおきていて、その瞬間に牙を剥いて襲い掛かることが出来る。野生の生き物であり、けして褥を共にした相手であろうと気を許すことなど絶対にない。
「菊」
「おはようございます」
 ふふと男は薄く笑い、うつぶせられた菊の背中に腕を伸ばした。その華奢な体躯からは想像も出来ない強さで引き寄せられ、菊は容易に彼の腕の中におさまった。次に、虎というより猫の仕草で王耀は菊の首筋に鼻先を埋めた。長い髪がさらりとして肌をくすぐる感触に思わず首をすくめる。抵抗する意思ははじめからないというのに、彼はそれを菊のささやかな抵抗だとでも思ったのか菊を乱暴にベッドに押し付けて覆いかぶさった。膝で菊の両足を割り開いて、その間に体を捻じ込む。
「・・・っ、」
 濡れている秘所は、簡単に男の性器を受け入れてしまう。堅い先端が、粘膜の襞を押し広げて押し込まれるその様を想像するのは簡単だった。襞がペニスの鈴口に絡みつきながらぬちゅりと濡れた音を立てる。男は笑いの気配を喉の奥で押し殺しながら律動を始めた。
「・・・ッ、悪い、ひと・・・、あ・・っあっ、あっあっあっ」
「何が、ある?」
 朝日に目を細めながら菊は覆いかぶさる男の、虎のような笑顔にぞくりと背筋を振るわせる。
「商品に、手を出すなんて・・・ッ・・んんんっ・・・」
「商品ねえ」
 単調なリズムは彼にとってお遊び程度の意味なのだろう。セックスをしているというより、からかって遊んでいるだけだ。彼の息は少しも乱れていない。
「ではこういうことある。我は大事な商品の手入れをしているある。こうして・・・」
 ぐ、と腰を深く進めて菊の中をえぐる。密着したままぐちぐちと中をかき回されるといつも酷く感じてしまう菊の体を、十分に知った上でこんな真似をするのだから性質が悪かった。言いたいことが多分にあったはずなのに、菊は言葉を失い、愚かに喘ぐことしか出来なくなる。
「具合を確かめて、十分に菊のいやらしい穴を広げて最高の味に仕上げて、お客に提供する」
「・・・ッ・・・ぁ、や、それ、やぁ・・・ッ・・・でちゃ、でちゃいます・・・っ、いやだ・・・っ」
「お前は我に抱かれているとまるで子供のようあるな」
 男が笑うその揺れにすら感じてしまう。いつのまにか男のリズムでは足りなくなっていた菊が、自ら腰を振ることをはじめから王耀はわかっていた。男の腰を両手で掴み、はしたない仕草で強く尻を擦り付ける菊を見下ろしながら、王耀はあやすように額の髪をかきわけてくる。さらりと、男と同じ長めの黒髪がシーツに散った。彼の表の顔である、高名な中華料理店の経営者として料理の味見をするがごとき言葉で表現されると妙に気恥ずかしかった。
「口調が幼くなる。・・・・可愛い我の菊」
 可愛い我の菊。それは彼の口癖だ。
 可愛い菊。可愛い我の菊。腰を揺らしながら男はそう繰り返した。それは彼にとって金の卵を産むガチョウ程度の意味だった。嫌味たらしいその言葉の仕返しに、菊は幼い頃の呼び方で、彼を呼んだ。
「阿哥・・・っ、あ、や、・・・っんっんっんっ」
 喘ぎに紛れた幼い呼び名に、ふと王耀が顔を顰めた。珍しい、照れているのだと思い菊は勝ったと笑いを押し殺す。笑われていることに気がついた王耀が憮然として乱暴に性器を引き抜いた。
「や・・・っ」
 火照り始めていた体が逃げた熱を追って不満にシーツの上を跳ねる。起き上がろうとした菊を、けれど王耀はもう一度うつぶせにシーツに押し付けた。
「お仕置きが必要あるな。ご主人様を馬鹿にしていいとおもてるあるか?」
「そんな、馬鹿になんて・・・っや、・・・やめないでくださ・・・っひ・・・っ」
 尻たぶにひやりとした男の両の手のひらが添えられる。それはことさら菊の羞恥心を煽るよう力強くゆっくりと秘所を白日のもとに晒していった。両の親指を食い込ませて、ゆっくりと穴を押し広げていくその行為は菊のもっとも苦手とする口での愛撫を予感させていた。
「大事な商売道具の、味をこうして確かめるのも我の大事な仕事ある」
 吐息をわざと、男の肉を失って物欲しそうにぱくぱくと口を開く襞に吹きかける。いやです、と起こそうとする体をもう一度強く乱暴に上から背中を押さえつけられた。見ずともわかる。彼が赤い舌先を尖らせて、襞の中に差し込もうとする様が。
「・・・っ、や・・・ぁ」
「中から零れる」
 ぬるりとした熱いものが、もどかしい大きさで穴をぞろりとなぞった。腹が引きつり、菊は体をのけぞらせる。寝起きに犯されるよりも、無理やり口に吐き出されるよりも、この曖昧で甘ったるい愛撫は何よりも答える。体の奥に燻る火の粉が煮えたぎりドロドロと燃え上がるまで彼はこの優しく残酷な行為をやめはしないだろう。それが菊には経験上わかっていた。この甘い責め苦から開放されるには、方法が一つしかないということも。
「阿哥、阿哥、お願いです、やめて、やめ・・・あ・・・ああ・・・・お願いです、やめてください・・・」
王耀の舌が性器でそうするのとおなじように、ぬっぬっと何度も抜き差しをして穴を犯す。震える下肢は、耐えられずに中から精液を漏らすのがわかる。それを舐めとられる恥辱はたとえようがない。
「お願いです、もうお許しください、逆らいませんから、どうか、あなたが欲しい、お願いです」
「ふん、どこも傷ついていないある、やわらかくて、赤くて、めくれて花のようある、・・・・味もいい」
 笑う王耀は残酷な声で告げた。この行為だけは今も慣れない。彼は酷い。甘やかすようにいつも優しく菊を抱。だから、酷い。
「おねがいです、阿哥、もう、我慢、できな、あっあっ・・・ああ・・・・」
「自分で触ってみるある」
 からかう言葉に乗せられてはダメだ。さらに辛い責め苦が待っていることくらい菊は十分に承知していた。お願いです、どうか、あなたが欲しい、私を犯してください、菊は繰り返した。彼の嗜虐心が十分に満たされるまで。
「どこになにがほしいあるか?」
「・・・っ、わ、わたしの・・・」
 教えられた言葉を、囁く。セックスの手解きは王耀に全て教わった。どういえば男が喜ぶか、何をすれば欲情を煽ることができるのか、仕草も、手管も。
「私の恥かしい穴を犯してください、お願いです・・・ぁあ・・・っ」
「・・・・我の可愛い菊」
 ねちゃりと酷い音がして、王耀は舌を引き抜いた。そして再び菊の上に覆いかぶさった。両足を無様なほど菊は開き、自らの指先で濡れて滴る秘所の口を開いて見せた。男を誘うために。男の肉の切っ先が宛がわれ、菊は息を飲んだ。欲しいものが与えられる喜びに肌が火照り、白い肌が桃色に染まる。今度こそ欲望に唆された性急さで王耀は、菊の体に溺れた。朝の美しい光の中に淫らな水音が響いた。菊は男の肩にしがみつきながら、はしたなく声をあげた。
「あっ・・・あっあっあっ、阿哥、阿哥、出して、中に・・・っ」
「・・・ッ・・・菊・・・・っ」
 骨がぶつかるほど強く、王耀の性器が押し付けられる。中で一瞬の緊張のあとでびくびくと性器が怯えるように揺れて、はじけた。どっと熱いものが体内で零れる。ほとんど同時に菊も達して、二人の間にねとりとした白い粘液が滴った。独特の臭気が鼻をついた。声を出そうとして、ふと菊は視線を感じた。そのことにおどろかないのはいつものことだからだ。いつもは気づかない振りをしてやるのだが、今日はあまり機嫌がよくない。意地悪く、薄くあいた扉の隙間の視線の主とわざと目を合わせてやる。慌てて消えた扉の向こうの趣味の悪い覗きは、この王耀の弟分兼用心棒でもあるヨンスだろう。王耀の見ていないところで、声がでかいだのお前の薄汚い精液で兄者を汚すなとかなんとか嫌味をたれるのはいつものことだ。さりげなくついたため息に、王耀が気づかなかったのは幸いだった。ヨンスにしろ、菊にしろ、お互いの確執については王耀には知られたくないという点については意見が一致している。
「ぼんやりしてどうしたあるか?」
「いいえ、なにも。・・・商品でしたら商品らしく扱っていただかないとと思っているだけです」
「お前は本当に根暗ある。そのうち頭から茸が生えたらそれを使ってもう一メニューできそうあるな」
 可可と快活に笑い、王耀は菊の頬に唇を落とした。今日は妙に機嫌がいいなとそのときようやく菊は気がついた。彼はあまり喜怒哀楽の怒りや悲しみという負の感情を菊に見せることはない。普段からけして本音を語らない時として軽薄に見えるほどの軽口と愛想のよさで、激しく厳しい本性を完全に隠すことができるのは彼の先祖代々商売を営む、根っからの商売人ならではの血のなせる業なのだろう。はじめてあったときに、彼は命よりも金が大事だと菊に言ったことがある。それは嘘ではなかったというわけだ。彼にとって金は命よりも重い。一銭といえども儲けることに命をかけているのだ。けれど朝からこんなくだらない冗談を飛ばすほど機嫌がいい日は珍しい。
「なにかいいことがありましたか」
「ふふん、菊、お前は本当に賢い子ある。我はいい買い物をしたあるね」
 どうやら図星らしい。王耀は今ばかりは子供のような顔で笑った。
「今日からお前に・・・・・あー・・・何だったあるか?ほれ、あれある。ころも?」
 ため息をつき、菊は王耀の言わんとしている言葉を悟る。
「禿ですか」
「そうそれある。かむろ」
「・・・・いい加減そのくらい覚えてください。ただでさえ、貴方がこの異国の地に作った遊郭は有象無象。男もいれば女もいる、国籍人種も混在している出鱈目なんですから」
「なんちゃって遊郭で十分ある。この欧羅巴で神秘的かつオリエンタルでものめずらしい遊郭での『買い物』に夢中な貴族どもは日本の遊郭の正確な再現になど興味はない」
「・・・・勿論私だって郭遊びを覚える前に貴方に連れてこられましたから書物を見ながらの知識で、これが正しいのかどうかもわかりませんけど」
「貴族の馬鹿息子どもは、通りに面した檻の中で日本の色とりどりの着物をまとう男とも女とも知れない遊女の中身、もっと下世話な言い方をすれば下半身の暗く湿った穴にチンチン突っ込むことしか考えてないある。かむろだろうがころもだろうがとれもろだろうが」
「・・・・とれもろはさすがにちょっと・・・」
「ようするに間違っていようが正しかろうが、我の『見世物小屋』が繁盛すればそれで上々」
「わかりました。で、禿がなんですか?新しい子供をどこかから買ってきたという話なんでしょう?」
 禿というからには10歳前後の子供なのだろう。珍しいことでもなかった。王耀がどこかから見目の麗しい子供を金で買い、王耀の作った郭で遊女の見習いをさせる。そういう子供の見習いを禿というのだ。同じようにして菊も先ほど部屋を覗いていたヨンスも彼に買われて集められた子供だ。ただヨンスが遊女ではなく、用心棒として王耀に使われているのは、思春期を迎えたあたりから彼の体躯が大きくたくましく成長したからに他ならない。それまでは2人机を並べて様々な国の言葉や女の仕草に化粧の仕方、踊りも歌も古典も和歌も、ありとあらゆる教養を学んだ。今では懐かしい昔のことだ。同じ王耀の弟分であった2人だが、菊には『才能』があった。それだけのことだった。
「お前は本当に賢いある」
 よしよしと頭をなでられても嬉しくはない。彼のいい買い物をしたという言葉はあながち間違いではないという自負もあった。
 菊は『最初の子供』だった。
 何日も歩き、海を渡り、夜を幾つも越えてこの欧羅巴の地へつれて来られた。大きな建物、美しい金の髪をした緑や青の目玉をした洋装の異人たち、菊の家は内陸の山深い村の豪商で、けして貧しい家の出ではなかったが異国についての書物など手に入るわけもない。初めての異国は菊が圧倒されるに十分、美しく洗練されていた。当時欧羅巴というだけで、この街がなんと言う街なのかすら菊にはわからなかった。馬車に男たちと乗り、やがて男の屋敷についた。そこには大勢の異人たちが、王耀に頭をうやうやしく下げ、だんな様お帰りなさいませとかしずいて街の外れの大きな屋敷の主を出迎えた。あの時は声も出ないほど驚いたっけと菊は思い出す。それからの毎日は、確かに苦労の連続だった。とはいえ、学びたいだけ学んでよいといわれて菊は素直に喜んだ。菊の地下牢に確かに書物は絶え間なく差し入れられてはいたが、子供向けの幼い内容のものばかりだったからだ。菊は賢い子供だった。次々につれてこられる子供たちの誰も菊に敵う子供はいなかった。脱落した子供たちがどうなったのか、菊は知らない。やがて渡された祖国の書物から遊郭のあり方を菊は学び、王耀に「お前を花魁に育てたい」と、そういわれてようやく何を持って自分が買われたのかを知った。
「貴方は花魁を作ろうとしていたのでしたね、この異国の地で」
「我の目は確かだったある。お前は賢く美しい。そして『才能』がある。花魁といってなにも恥じることはないある」
「・・・・・・男ですけどね。普通花魁って言うと女をさすんですよ、貴方って人は。男は陰間といって・・」
「ああ、きいても覚えられないから無駄ある」
 にこにこと笑う王耀にため息で返して、菊は言葉を継ぐことをあきらめた。
「私は金一袋以上の値打ちがあったということでしょうか?」
「それ以上ある。初めて日本の地を踏んで、遊郭を見て『見世物小屋のようだ』と思った。檻の向こうで色とりどり化粧した美しい着物の女たち、遊女にも格があり、花魁という名の高級遊女は幾ら金を積もうとも一夜限りには買えないシステム。これを欧羅巴で再現すれば十分な金になると思った。貴族ども御用達の物珍しい高級娼館ある。儲からないわけがない」
「料理屋だけじゃあ物足りませんか」
「当然」
 王耀はもっともだとでも言うように頷いた。
「貴方は私を迎えにきたときのような顔をしていますよ。そろそろ教えてください、買い物の中身」
「今日からころもを教育するある」
「・・・・誰が?」
「お前が」
「・・・・・・・・・私が?」
「そうある」
 にこにこと王耀は笑っている。こんな冗談を言う男ではないから本気なのだろう。
「・・・・普通もっと下のものに面倒を見させるのではないですか?私は、」
「花魁にするつもりあるよ。だからお前に教育を任せるある」
「・・・・・・そんなに綺麗な子供が?」
「頭もいいある」
「へえ。それは。・・・・それだけですか?美しくて頭がいいだけの子供?」
「そうある」
「・・・・それは・・・」
「それだけの価値がある容姿をしている」
 あとでヨンスに連れて行かせる、と王耀はベッドを降りた。話はこれで終りだという合図だろう。菊はため息をついて、ベッドの下に落ちている着物を手にした。支度をして、早く郭に戻らなければ。今日は忙しくなるだろう。件の子供とやらがどれだけ綺麗な子供なのかは知らないが、子供になど興味のない菊にとって禿を一人教育するのは気が重い。子守とはまた大層な役目を押し付けられるものだと一人呟いた。
 どれだけ綺麗な子供なのかは知らないが。