怖い
ああまただ。
また。
快楽に焦れて、くちづけを乞う。指先を伸ばして少し汗の滲む、男の首筋にだきつく。名を、喘ぎにかすれたみっともない声で呼べば、男はいつも、不思議な顔をした。
「・・・・・・・大佐ぁ・・・・」
熱に浮かされたように、理性がぐちゃぐちゃで、今ならどんなことでもいえる。日ごろは恥ずかしくて恥ずかしくて、悪態ばかりついてしまうから。だから、いつも男が自分に渡す言葉ほどにストレートではないけれど、少しでも返せればと思ったのだ。好きだ。愛してる。くちづけて。そばにいて。ひとりだけだと。なのに、そうやってエドワードが快楽に紛れて真摯に伝えるたびに、ロイは、いつも何かいいたげな表情をする。困惑したような、ためらうような、今にも何かを告げようとするように唇を少し開いてはやめる。
それが果たして、真に困惑なのかはわからない。
ただロイは眉を寄せて、何かを思う。
今にも何かをいいたそうに、唇をわずかに開いては、閉じる。
その表情を見るたびに、エドワードは冷水を浴びせられたように一瞬硬直してしまう。
ああまただ、とエドワードは思い顔を背けた。ロイは何かをいいたそうに、唇を開いてはやめた。
快楽に喘いで、熱で蕩けた体が頭が、ふと我にかえる感覚。ロイは気がつかずに、そのまま律動を繰り返した。浅い呼吸が頭上で繰り返され、深く一気につきたてられた後、体の奥で何かが弾けて滴った。同時にエドワードも堪えきれずに達して、自らの腹の上に精液を放つ。
無様に足を開いたまま、胎内にある男の肉棒の吐精の感触を味わう。体の中で、間を置いてびく、と脈動するそれに感じてしまい、身をよじった。引き抜かれる瞬間は、いつもみっともなく縋りつきそうになっていやだった。湿った音を立てて、男が体を引く。散々かきまわされたそこが疼いて仕方ない。浅い息を繰り返して快楽をにがそうとするけれど、上手くいかない。天井に吊るされた明りが目を焼いた。ロイはベッドの真横に脱ぎ散らかされたシャツを拾い、羽織る。そうするとシャツの上から透ける、綺麗な筋肉や体の線が情事の痕を残して妙に、扇情的だ。まだ熱を持った視線に、体が反応しそうになる。
ベッドに体を投げ出したままのエドワードの額を、ロイがかきあげた。
その仕草があまりにやさしくて、手馴れているようで、悲しい。
「やめろ」
干からびた酷い声だ。悲鳴と嬌声に疲れた喉のざらついた感触にはいつまでたっても慣れない。ロイの手を弾いて体を起こそうとするけれど、上手くいかなかった。体が自分の物ではないようだ。何かの器に宿ったような。
「エドワード?」
どうした、と聞かれてそっぽを向いた。
こうして体を繋いだ後だろうと、素直になれない。どうしてあんな表情をするのか、なにがいいたいのか。聞いてしまえばいいと思うのに、いつもの思い切りのよさがどうしても発揮できなかった。
(別れたいんだろうか)
もう何度、この問いを繰り返しただろう。そして何度、彼に辛く当たっていることを後悔しただろう。嫌われたとしても仕方がないのだ。自分は意地っ張りで、かわいくもなければやさしくもできないし、女のように体をつなげても彼に快楽を渡せているのか自信はないし、一方的に、いつも搾取するばかりで。自分がロイに渡しているものなど、果たしてあるのだろうかと。
なのに、ああして素直になろうとロイを求めるたび、何かを告げようとするロイにそうすることを許されないままでいる。
迷惑なんだろうか。
遊びで、からかって、オレだったらまさか本気にはならないと思って、付き合ってくれているだけなんだろうか。
だからオレが、本気になることは迷惑でしかないんだろうか。
そうしてイライラと感情を抑えられずに、いつも体を繋いだ後、ロイを拒むようなまねばかりしてしまう。
バカだと、自分でも知っていた。
どうしてと聞けない自分の愚か。
どうしてあんな顔をするんだ。なにが言いたいんだと。聞いてしまえば後には引けなくなるから。
(もし、大佐が別れたいっていったら)
(どうしよう)
こんなのは自分らしくない。逃げているようで、気に食わない。でも一度掴んだこの優しい手を、どうして今更手放せるというんだろう。欺瞞だとしても。
キスを嫌がって顔を背ける仕草に苦笑を返して、ロイが華奢な体を抱えようとエドワードの体の下に両手を差し込んだ。
「・・・・っ、なにすんだ!」
「一緒に風呂に入らないか?」
「はあ?!アホか、ひとりで入れる・・・・っ」
「腰が立つまい。・・・・・・・・・それに、中のを出さないと」
密かな囁きは、まだ熱をまとったままだ。不吉な予感に、エドワードは暴れるけれど男の腕の力には叶わない。シーツごと簡単に横抱きに抱えあげられて、思わず絶句する。さっきまで体を重ねていた男の顔が、すぐそばにあって。宝物のように胸元に抱えられて。エドワードはこみあげるものを押さえつける。
怖い。
この男が好きだ。
それが悲しい。
離れたくない。
ばかみたいだ。
オレはバカだ。
「なにかいったか?」
「なんも・・・・」
ぎゅうとしがみつけば、男は笑ったようだった。
浴室は湯気がこもって、温かい。シーツを剥がれて、自分の幼さを残した華奢な体が情交の痕もそのままに明りの元に晒される。たまらなく恥ずかしくて、視線をどこにやっていいのかわからない。しがみついたままでいると、そのまま湯船にゆっくりと沈められた。
「・・・・・・アンタははいんねーのかよ」
ひよこの人形を手渡されて、唇を尖らせながらにらみあげればなだめるようにロイが笑う。こいつはいつもそうだ。人を、子供扱いして。適当にあしらう。欺く。真綿でくるむように大事にする。本心を上手に隠して、機嫌をとるような真似ばかりする。
「一緒に入って欲しいのか?なんだ、こどもだな」
やわらかい微笑。悔しくなって、人形を投げつけた。ひよこはロイの頬に当たって落ちる。ざまあみろ。
「酷いな」
「自業自得だろ。人のことばかにするからだ」
「まあいい。・・・・・・おいで」
「・・・・自分でできる・・・っ」
「ほう?では自分でするところをみせてくれるのか。えらくサービスがいいな」
にこにこと笑うのに、咄嗟に言葉が出ない。確かにそれは、もっといやだ。
「・・・・・エロじじいっ」
抵抗して腕を振り払おうとして出来ずに、ロイに引き寄せられた。湯船につかったロイの右手が、先ほどまで散々嬲られた後ろの蕾へと差し込まれる。そこは女のように濡れて、簡単に男の指を飲み込んだ。
「・・・・・・・ぁ・・・・・・」
快楽の余韻が残る、そこへの悪戯に体の力が抜けた。ぐちゅぐちゅと何度も指を抜き差しされて、胎内にお湯が注がれる。
「・・・・や・・・・・・っ」
「ほら、かきだしてしまわねば。足をもうすこし開いて?」
「・・・・・・んん」
首をふれば、額にキスが降りた。あやすように何度も。ゆるゆると足を開いてみせれば、男は上出来だとでもいいたげに唇にキスを落とす。
「いい子だ。エドワード・・・・」
だんだんと指先が別の意図をもって体を探る。増やされた指が、さっきまでの行為をいやでも思い出させる動きで、何度もエドワードの中を抉った。炎が点るように、奥が熱く疼く。
「・・・・・・・・・は・・・・・・・っ、」
「いい子だ」
「や・・・・・め・・・・・っ」
「気持がよかったら、声を出してもいいのだよ」
「・・・・大佐ぁ・・・、ひ、一人は・・・・いやだ・・・っ」
誘ったつもりだった。恥ずかしいのを我慢して、一生懸命に。
なのに。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
ロイは、眉をしかめて、困ったように笑った。
何かを、いいそうに唇を開いて、やめた。
「私はいいよ」
結局、それだけを返して、キスでごまかそうとエドワードの頬に触れようとした。
一人はいやなのに。
こんなに、夢中なのが自分ひとりだけだなんて、いやなのに。
「・・・・・・・・・・・・くそったれ・・・・っ」
気がつけば、右手を振り上げていた。やべえと思ったけれど勢いは止まらずに、そのままロイの頬に打ち下ろされた。骨に当たったんだろうか、変な音がした。あれ。視界が歪む。なんだこれ。ロイは呆然と、殴られた頬を押さえていた。エドワードはたまらず、わめき散らした。みっともなくてもよかった。もういい。
「・・・・・・大佐のっ、あほ!ばか!しね!うんこ!だいっきらいだ!アンタなんかだいっきらいだ!何か言いたいことがあればいえよ!なんなんだよ、別れたいなら、そういえよ!オレがアンタを好きになったら悪いかよ!好きでわるいか!アンタがすきなんだよ!」
「・・・・・・・・・・エ、エドワード?なに・・」
「ひ、ひとがいっしょうけんめい・・・・・ゆってるのに・・・・・っ、アンタなんでいっつも知らん顔すんの・・・・。なに考えてんのかぜんぜんわかんねえ!ぜんぜん!オレのこと好きだとか愛してるとか、そういうの全部嘘かよ?!全部嘘で!ほ、ほんとは・・・・っ、わ、別れたいのかよ・・・・っ」
ぼたぼたと零れるものは涙だけじゃなくて鼻水もだ。みっともないけれど、嗚咽は止まらなかった。なにやってんだオレは。全裸で、子供みたいに支離滅裂に叫んで泣いて。でももう我慢できねえや。これで、じゃあ別れようといわれるかもしれない。でも今の、中途半端でわけのわからないまま自分を騙しながら付き合うよりは、よほどましだ。
「オレが、好きとかいったら、いけねえの?なんでアンタ、オレが一所懸命好きとかキスしてほしいんだとかゆったら、変な顔すんの。あ、遊びだから?遊びだからオレに本気になられたらまずいの?」
変な声だ。泣くのをこらえようとして、裏返ったりかすれたり、みっともなくひきつった声だ。
泣くな。泣くなと思うのに、あとからあとから蛇口が壊れたように涙があふれた。言いたいことの半分も言えていないのに、早くも喉がぶっ壊れる寸前。
だってずっと不安だったのだ。
この男を思って、不安だった。ロイはまだ理解できずに、ひっぱたかれた頬を押さえるばかりだ。
「お、オレ、別れねえからな!」
内心の怯えを隠して、エドワードは怒鳴った。怖かった。では別れようと、ロイが言い出すのではないかと思って。そうだ、お前は遊びだからいやならば別れようと、言い出すのではないかと思って。ロイが何かを言う前に、エドワードはそれだけは言おうとおもった。
「ぜってえ、別れねえから・・・・!アンタがやだっつっても、オレもやだからな!そんなもん、はいそうですかって別れてなんかやるかっつーの・・・っ。へっ、ざまーみろ!ばーか!」
「エドワード」
「オレはアンタのこと好きなんだからな・・・・・・!」
あとは声にならない。わあわあ泣いて、癇癪を起こした子供のように、ばたばたと手当たり次第ものを投げつけて、恥ずかしくて腕で顔を隠した。
どれだけ時間がたったのかはわからない。鼻をすすりあげて、わめくのに疲れた頃に、ロイがぽつりと呟いた。
「エドワード、君がそんなことを考えていたとは、知らなかった」
「・・・・・・・・・・・っひ・・・・っぐ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・私は幸せだな」
ぽんぽんと頭をやさしくなでられた。のぼせるだろう、とロイがバスタオルを手に、エドワードを抱えあげた。来た時同様、宝物を手にしたようにやさしくタオルでくるんで抱えあげる。今度は抵抗せずに大人しく抱かれた。未だにひくひくと震える背中を、丁寧になんども掌で摩られて、わけもなく安堵してしまう。寝室に連れて行かれて、頭や体を丁寧に拭われた。泣きはらした目が妙に腫れぼったくて、エドワードは俯いてばかりいる。
「・・・・・・・自分へ渡される愛情が唯一だと、信じられない人間は大勢いて」
温かな毛布で包まれ、抱きしめられた。そうすると、ロイの声がくぐもって聞こえて心地いい。体の力を抜いて、男に預けて、エドワードは鼻をもう一つすすった。
「かつては、私もその一人だった。唯一などないと思っていた。誰かを愛しても、やがて別れ、そしてまた誰かを愛するように、愛情には限りがあって、この連鎖に終わりはないんだと。随分、人を粗末にしてきたような気がする。実はこのことに気がついたのは、最近でね。情けないが、そうではないものがあることに気がつかなかったんだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「だから、本当に私はいろいろへたくそで。君を大事にして大事にして、一つの瑕疵もないように掌で守っているつもりだったのに、君を苦しめていたことに気がつかなかったんだ。・・・・・・・・・・本当にすまない。君は私の唯一なのに」
いつもの、やさしいばかりの声音とは違っていた。痛々しくて、傷ついているとわかる。
胸が締め付けられるように苦しくて、エドワードは吐息をついた。そうしないと、潰れてしまいそうで。
「私にとって、君は唯一だよ。何物にも変えがたく、大事だ。別れたくなんかないさ。むしろ、君が私から離れていくのじゃないかと思っていた」
「・・・・・なんで?」
「私にとって君は唯一だが、君にとって私が唯一かどうかはわからないからだ。いや、違うと思っていたよ。君は私から離れていって、いつかもっと素晴らしい誰かとであって幸せになるのじゃないかと思っていたんだ。でもそうじゃなかったんだな」
ぎゅうと、力を込めて抱きすくめられる。剥がれ落ちた傷が一つ一つ治っていく感覚だ。
「ありがとう、エドワード。すまなかったね。君がそんな風に感じていたことにも気づかなかった。私はバカだ。遊びなわけがないじゃないか。君は私の、たった一人のエドワードだよ」
「・・・・・・・・・・・・・」
「上手に伝えられなくてすまなかった」
愛情を疑われて、傷ついただろうに。
ロイは、疑わせてすまなかったと謝った。
いたたまれずに、エドワードは体を縮めた。膝を抱き寄せて顔をうつぶせる。
「・・・・・・・オレも。ごめん。疑った。ごめんな?」
「おあいこだ」
「オレ・・・・・・アンタが好きだよ」
オレにとっても、アンタは唯一だと。本当にそう思っているんだと。
未来のことなど誰にもわかるまい。たしかに、いつかこの男とわかれて、別の誰かを愛する日が来ないとも限らない。けれど、いま嘘偽りなく、ただひとりきり、ロイマスタングを愛していると誓える。
「私もだよ」
ロイがもう一度エドワードを抱きしめた。火照ったからだが一層熱い。眠りに落ちるまでそうして抱かれて、エドワードはやがて目を閉じた。
クロワッサンとコーヒーの簡単な朝食をテーブルに並べながら、エドワードは壁にかけられた鏡に一瞬視線をやる。誰だこれ、といいたくなるほど凄まじい瞼の腫れっぷりでいっそ笑いがでた。また寝ぼけた様子で、あくびをかみ殺すロイにコーヒーを差し出す。ありがとうとぼんやり返事を返して、ロイはそれを受け取った。エドワードはバターをのせたクロワッサンにかじりつきながら、ふと思い出して問うた。
「そういえばさ。アンタ、なんでいっつも変な顔してたんだよ。なんか、こう、いいたそうな、変な困ったような顔。あんな顔すっから、オレがへんに誤解するだろ」
「・・・・・・・変な顔?」
「・・・・・だから・・・・・・なんかするじゃん。困ったみたいな。何か言おうとしてやめる。あれ、なんだよ?」
そうだもとはといえば、それが大きな原因だったと思い出して、エドワードはイライラと問い詰めた。ロイは幾らかの間の後に、ぽんと掌を拳で打った。
「ああ!」
「なんなわけ、あれ」
「いや実は。困らせるだろうかと思っていえなかったんだが。そうか、それで君は変な誤解をしたのか。いや困っているのではなくて」
「なに」
「セックスの時くらい、階級じゃなくて名前を呼んでくれないだろうかと思っ」
「ぶほっ」
「汚いな!君は!何も噛み砕いたクロワッサンを噴出すことはないだろう!」
「じゃあ噴出すもん選んでる余裕をくれ!牛乳含むから・・・!」
「ふん、飲めないくせに。あー・・・・コーヒーが・・・」
「アンタが変なこと言うからだろうが!はあ?なんだそれ!そんなことのために・・・っ」
自分はあんな醜態を演じたんだろうか。泣いてわめいて別れたくないアンタが好きだと叫んで。
思い出して、エドワードは赤くなるというよりも血の気が引いた。貧血だ。
「いや、そうか。そんなことで悩んでいたとは知らなかった。君がこう、感じて、うっすら目に涙をためながら頬をピンクにして、かわいい顔で『大佐』と言うたびに、名前で呼んでくれないだろうかと思っていたんだ。だけど、どうしても言うのは躊躇われてね。今そんなことをいったら途中なのに恥ずかしがって、続きをさせてくれないかもとか、本当に言ってくれたとして、私が射精を我慢できなかったらどうしようとか」
「・・・・・・だまれ」
「そんなことなら言ってしまえばよかったな。そうかそうか。そんなことで悩んでいたのか」
「そんなことそんなことってなあ・・・・・・だめだ、血がたりねえ・・・・」
本格的に貧血を覚えて、エドワードは椅子にへたり込む。
「昨日、君のお誘いを拒んだのも君と一緒に風呂に入ったりしたら理性が到底もたないとわかっていたからであって、決して君と一緒にお風呂に入りたくなかったわけじゃないのだよ。君の体を気遣ったのだが、裏目に出てしまったな。流石に二回もしたらまずいだろうかと思ったんだが。そうか、よし。では、今度から私が思うように、君を抱くことにしよう。うんうん。何せ、君は恥ずかしがりやだしな」
はっはっはと笑い、ロイはクロワッサンをかじる。エドワードの太陽は黄色い。さわやかなはずの朝が、一瞬にして変貌してしまった。
もしかしなくても。自分は恋人の選択を間違ってしまったんだろうか。
「いやしかし、君がそんなに私を好きだったとはなあ。録音して置けばよかったな。絶対に別れないとか、アンタが好きだとか。思い出すだけで勃起しそうだ」
人選を間違った。断言して、エドワードはテーブルクロスを噛んだ。
「覚悟したまえよ」
恐怖に慄きながら、エドワードは残りのクロワッサンを吐き出して、事切れた。
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