地下室は死の匂いに満ちている。すえたような血の腐臭。泥のようにまとわりつく湿気。
 ぺトラは片膝を抱え石の床に腰を下ろしたまま、エレンのベッドに横たえらえた死体の爪先にぶら下がるタグを見上げていた。タグにはこの死んだ兵士の名前と年齢が記してある。ろうそくの揺れる炎の歪な光がタグを照らし、壁に影を躍らせていた。
「戦場じゃ、あるまいし」
 タグなんていらない、とかさかさした声で呟いた。死体の爪先にタグを吊るすのは、「ごっちゃ」にならないようにするための事務的な作業だ。巨人との戦闘で五体満足に(奇妙な言い方だが)死ぬことは難しい。腕や足、頭だけでも残ればいいほうだろう。混乱した戦闘の最中、回収されず壁の外で朽ちていく死体も多い。死体安置所でタグを吊るされ、肉親のもとへもどることが出来る兵士はむしろ幸運だと言える。持ち帰った遺体が誰なのかを特定して、こうしてタグをぶら下げる。トゥタグと呼ぶけれど実際には指先や耳に掛けられることも珍しくない。このタグは見ているだけで気が滅入った。それなのに、ぺトラはそのタグから目を離せずにいる。まるで、死んでますよと大声で叫んでいるみたい。声高に主張して、この地下室にいる限りぺトラの視線を掴んで離さない。
 急ごしらえの遺体安置所として、この地下室に遺体を運んだ。血は十分にふきとったし流れ出たと思っていたが、エレンのベッドに寝かせてシーツを被せた遺体からは首と体のつなぎ目の部分からじわりと赤いものがしみて広がっていた。生首を見ずに済むと思ったが、隠れている部分を余計に想像してしまう。濁った眼や黄色い汁を垂らした鼻、千切れた首のぎざぎざに垂れた肉、覗く骨の妙な白さ。
 ぞくぞくと背筋が震えた。ここは寒い。昼間はそうでもなかったけど、夜にはこんなに冷えるんだ。知らなかった。 
 エレンは兵長の言いつけどおり地下室の石の床を拭き、シーツを洗い、こんな黴の匂いのする冷たい地下室をそれでもきれいに使っていた。黒い血の滲みた自分のベッドを見たら、どんな顔をするんだろう。
「ペトラ」
 はっと我に返り、声のしたほうへ顔を向けた。静寂の中で、地下室への扉を開ける音も階段を下りる靴音もしただろうに、オルオに名前を呼ばれるまで気が付きもしなかった。燭台をペトラの足元に置きながら、オルオが同じように横に腰を下ろした。
「ずっとここにいたのか?飯もくわねえで」
「ああ、ごめんなさい。・・・食事当番私だったよね?」
 飯と言われて、まるで手ごたえのない記憶の糸を手繰りようやく思い出す。どのくらいここにこうしていたのだろう。時間の感覚がない。そういえば、この地下室に降りたときはまだ外が明るかったような気がする。
「みんな適当に食った。・・・お前も腹は減らねえだろうが」
 ほらと手渡された乾いたパンを受け取る。一日まともに何も食べていないけれど、食欲は湧かなかった。
「上で食ってこい。何もわざわざ死体の前で食うこたねえだろ」
「・・・・・うん。ありがとう」
 促されて立ち上がろうと、何度も頭の中で試してみるけれどどうしても足が動かなかった。長くここに座っているうちに両足は固まってしまったみたいだ。両手の内のパンをじっと見下ろす。お腹空いてるだろうな、二人とも。
「おい、見つめてたってパンは増えねえぞ」
「・・・・・・・え?」
「・・・・だから・・・・・いやなんでもねえけど」
「今、冗談を言おうとして失敗したの?」
「・・・・・・・・チッ、うるせえ女だ、さっさと食え」
 照れたようにそっぽを向いたオルオの耳が赤い。いつもならむかつくだけのリヴァイ兵長の物まねも、似ていなさ過ぎて今はそんなに悪くなかった。
「じゃあ半分こしよう」
 おおよそ半分に毟ったパンを戸惑うオルオに無理やり手渡す。受け取りながらもあからさまにオルオは嫌そうだ。苦い薬を無理やり飲まされたような顔をしている。
「・・・・・ここで食うのかよ」
「お互いそんなに繊細じゃないでしょ。死体の匂いも血の味ももう息をするように身近になった、私たちには」
「だからってなあ、いくらなんでも」
「なんかここ離れたくなくて。見張ってなきゃって思うの。変かな」
「・・・・変だろ。死体が動き回るわけじゃねえ。見張るって何を見張るんだ」
 オルオは理解できないとばかりに、顔を顰めている。それもそうだろう。おかしな言い分だと十分に自覚もある。けれど今ほかに、このかわいそうな死体をただ見張ること以外に、自分にできることはないような気がする。
「それになんだかかわいそうで」
「・・・・・・・・こいつが?」
「・・・・一人だとかわいそうでしょ?本当なら今日の内に家族のところへかえしてあげられるのに、私たちの都合で暗い地下室に閉じ込めてる」
「自業自得だろ」
 彼の死が、一途に崇拝するリヴァイへの疑念を生む原因になったことを暗に責めているのだと、ペトラは思い、その言い方を責めずにおいた。思いやりがない言い方だと思ったけれど、ここには自分とオルオの二人しかいない。今だけはそんな言い方を許してやりたかった。
「もっと普通に、なかったのかよ?首を吊るとか、森のどっか奥深くでとか」
「オルオ」
 さすがに聞きとがめて、声に険を含ませてしまう。オルオ自身も分かっているのだろう。逆らいはせずに、すまんとだけ力なく呟いた。
「あんなアクロバットに死ぬことねえだろとか・・・・・思うだろ、普通」
「正気だったならこんな死に方は選ばなかったでしょうね。かわいそうに。・・・辛かったのね」
 正確にはつらい、という一言では表現できないことをオルオもペトラもお互いによく知っていた。けれどわざわざ「夜ごと昼ごと巨人にかみ砕かれる恐怖に苛まれて、全身に蟻がたかるように心を蝕まれた」などと口に出して、酷い気分を味わう必要はない。だから、辛いとだけ言ったペトラの言葉をオルオは理解した。
「気持ちはわかるよ、ここは地獄だから。・・・・・後悔することが私だってないわけじゃない」
「・・・・・・・なんでお前調査兵団に入った?訓練兵時代は成績も上位だったって聞いたぞ。つうか、そもそもなんで兵士になったんだ?いいたかねえが・・・・・あー・・・・ようするに、お前ブスじゃねえし」
「殺すぞ?」
「・・・・ほめてんだろ。だから、兵士じゃなくて。結婚して子供産んで、そういうのも選べただろ。それもすげえ大事なことじゃねえのか?」
「それ、うちの父親がよく言ってた」
 父親の顔を思い出して、ふと笑みがこぼれた。けれど苦い。思い出す父親の顔は、笑顔やペトラを叱るときに可愛くてたまらないと表情に出ないよう無理やりに作るしかめっ面から、いつからか酷く疲れていて老いていてそしていつも悲しそうなそれにとってかわった。
「お前が兵士になる必要はない、女の身で出来ることをしろ、お前には向いてない、結婚して子供を産め、幸せになれって。私一人娘でね、父はすごくかわいがってくれた。世界一可愛い俺の娘だっていつも寝る前にはそういって頬にキスしてくるの。酔っぱらうとすごいんだよ、ペトラの歌だとかいって、窓開けて歌いだしちゃうしもう、すごく恥ずかしかった」
「いい親父じゃねえか」
 でしょう、と素直に頷けるのは父と離れて久しいからだろう。共に暮らすことが出来る幸せを思い知った今だからこそ、そう思える。もし同じことを当時他人に言われていればむきになって、どこがどういい親父なんだと詰め寄っていたに違いなかった。
「小さいころは私もそう思ってた。どうしてわざわざ兵士になんかなるんだろうって。うちは父親の仕事が安定してて裕福とまではいかないけど食べるのに困ったこともなかったし、父も母もやさしくて、可愛いペトラ、愛してる、世界で一番可愛い、お姫様だって言われて育ったの。バカみたいだと思う?私もそう信じてた。私は世界一幸せで可愛いお姫様で、いつか素敵な人と結婚してお母さんになって可愛い子供を産んで、そういう生活をするんだって信じてた。憲兵や調査兵になるような人たちは、ほかに仕事がないんだって」
「・・・・少なくとも壁の内側にいれば安全だったからな。馬鹿だとは思わねえよ。みんなそう思ってた時代があったんだ」
「安全なところからわざわざ巨人の領域に出かけて行って、けがをしたり死んだりして、調査兵団なんて馬鹿ばっかりだって周りの大人たちが言ってるのを聞いたことがあるでしょう?私もそう思ってた。でも」
 その日のことを今でもペトラは鮮明に覚えていた。2件隣に住む年上のいとこが、留守番をしていたペトラの元をふらりと訪れた。おじさんとおばさんに挨拶に来たんだけどと困ったように笑い、じゃあ行ってくるねとペトラの頭を撫でて、まるで買い物にでも出かける様な気軽さで背を向けた。訓練兵になったらしいと聞いたのは暫くしてからで、調査兵団に入団したと聞いたのはその死を知らされたのとほぼ同時期だった。真っ白い布に包まれた塊をテーブルに置いて、その両側に向かい合う伯父と伯母の表情は、死体を見たこともないのに死人のようだとペトラは思った。腕しか返ってこなかったのだと母が、迷いながらも教えてくれた。
「すごくすごくびっくりした。それまで巨人の脅威だとか調査兵団とか、そんなものは私の世界に無縁だったしすごく遠かったの。それがすぐ身近にあるってことを知った。私の子供時代はそれで終わり。私は世界一可愛いわけでもお姫様でもなくて、いつ死んでもおかしくないところにいるんだってわかった。私がご飯を食べたり、楽しく遊んだり笑ったりしてるときに、壁の向こうで誰かが齧られながら死んでるって思い知らされた。それから何をしててもいとこの、テーブルに載せられた腕が頭の中から離れなかったわ。兵士になろうってその時にすぐ考えてたわけじゃないけど、成長する頃にはもう他には何も考えられなかった」
 灯りに引き寄せられる蛾に似ていた。羽を焼かれて落ちると知りながらも、その激しい熱に引寄せられて抗う術はない。
「父は怒って、怒って、怒って、あんなに怒ったところみたことない。引っぱたかれた。私それまで父に叩かれたことなかったの。だからびっくりしたけど、なんかすごく申し訳ないことしてるんだって思ったな。ああ、こんな事させてしまったって、あの時が一番お互いこたえた。父も私もね。母は、もうやめて、やめなさい、お願いだからって泣いてた。なんでお前が兵士になんかならなくちゃいけないの、どうしてお前がって。でも私が考えを変えないのを知って、『ああ、オレはこれから家の扉をノックされるたびに一生怯えて暮らすんだな』って最後は笑って送り出してくれた。・・・・・その時父と母が震えてたこと、今でも夢に見るほどぞっとした、私なんてことしたんだろうって、なのに兵士以外の道を選べない私はなんて女なんだろうって。憲兵団か駐屯兵団に入るつもりだった。父と母に負い目みたいなものがあって、調査兵団なんてとても選べないと思った。だから座学も体術もとにかく一生懸命頑張って、その年の上位10名に選ばれた」
「なんで選ばなかった?憲兵になって、内地に行けばよかっただろ」
「そのつもりだったよ。せめて憲兵になれば安心させてあげられる。手紙を書いたり、休暇があれば二人に会える。死んだいとこの両親は今も死んだように暮らしてる。あんな風になってほしくなかった。おいしいシチューを啜りながら突然喚き始めたり、眠りながら泣いたり、抜いた髪の毛をお皿に盛って一日が終わるような目に合わせたくないって思ってた。でも壁外調査から帰還する調査兵団を出迎えるのがその年の訓練兵に与えられた一番最初の任務。わかる?私は見たの。たくさんの遺体と生き残った兵士と血まみれのリヴァイ兵士長。調査兵団を選ぶ理由は、それで十分でしょう?兵長は平然としてた。泣きわめく兵士の家族や調査兵団をよく思わない人たちの侮蔑と怒号の中背中を伸ばして、孤独だった」
「・・・・・・・・・」
「すごくすごく、孤独だと思った」
 頬を滴るものを見られたくなくて、頬を拭ったけれどオルオには知られたかもしれない。けれど何も言わないでいてくれることがありがたい。
「調査兵団を選んだ日から私たちの爪先には既にタグがぶら下がってる。けれどそれを忌まわしいとも恐ろしいとも思わない。私たちはいつか死ぬ。その順番を待っている。そうだとしても、私は生きて戦ったそれが誇り。・・・・兵長と共に戦った。それが誇り。兵長にならすべてを捧げても惜しくない。だって兵長は巨人を殺す、それに、そんなことにすべてを捧げてる。あの人の犠牲を思えば、たかだか私の心臓を捧げることくらい、そんなことがなんだっていうの」
 彼は誰にも理解されないだろう。理解できるとも思わない。リヴァイの立つ場所には恐らく誰もいない。たった一人で、それでも膝を折ることなく、彼は戦っている。そう思った。
「・・・・俺が兵士を選んだのはな、他に何にも出来なかったからだ。お前んちと違って貧乏子だくさんの典型なんだ俺の家は。稼いでやりてえが頭も悪い、手先も不器用、体力だけはあったからな、兵士を選んだが成績が悪くて駐屯兵も憲兵団も無理だと言われた。調査兵団なら常に人手が足りてねえからお前みたいな奴でも兵士になれるって教官に言われて否応なく調査兵団だ。死ねば少しは家に金が入る。どうせすぐ壁外に出れば死ぬだろうって皆思ってたんじゃねえか?」
「みんなって」
「同期の奴らも教官も両親も、俺もそう思ってた。初めて壁外調査に出てすぐ死ぬだろうと思ったが生き残った。しょんべん漏らして逃げ回って泣きわめいて、そりゃあみっともなかった」
「あっなんかデジャヴ。その話」
「生きて帰って、同期のやつらがすげえ馬鹿にしやがったんだ。てめえは女だからまだいいだろ。悲惨だぞ、しょんべん垂らしてくせえくせえっつって俺が横を通るたびに鼻をつまんで見せたり、水ぶっかけられてまた洩らしたんじゃねえかつって笑われたり」
 今ではそれも仕方がないとオルオは思う。過ぎた恐怖がヒステリーのように蔓延して、皆気が狂うほど笑いたくて仕方がなかったのだろう。生贄を見つけていたぶる、それが残酷であれば残酷であるだけ多分彼らは救われた。
「そしたらリヴァイ兵長が俺んとこきて、信じられるか、入ったばっかの新兵のところに兵長が来て、恐怖をしらねえ兵士はすぐ死ぬ、覚えとけってすげえ顔して言うんだよ。笑ってた連中もみんな一斉に黙った。ほめてくれたんだ。俺を。とりえもねえ、頭も悪い、こんな、俺をよく生き残ったなっつって。人類最強の兵士が、俺をほめたんだ」
「それってすっごく痺れるね」
 近頃は兵長の物まねばかりしてしかめっ面をいるオルオが珍しく興奮したように笑う。それにつられて口元が緩んだ。ペトラには、オルオの気持ちがよくわかった。
「そうだ。俺は痺れて、この人になりてえと思った。リヴァイ兵長みたいになってリヴァイ兵長と一緒に戦うんだ。何にもなかった俺にすげえことが出来るんだって教えてくれたのがあの人だ。だから俺は兵長のためならなんでもする。俺の心臓は王じゃねえ、兵長に捧げてんだ」
「兵長は知ってるのかな。私たちが、捧げてること。・・・どうして私たちを置いていっちゃったんだろう」
 避け続けた疑問がもう押さえつけてはおけずに口をついて出た。半分に毟ったパンを、両手でお守りのように大事に抱えるペトラを、オルオは痛ましいものを見る様な顔で見つめた。
「団長が言ってた、兵長は自分を化け物のように思ってるって」
「・・・・・・・化け物てえのは、さすがに言い過ぎだが兵長は俺たちと違う。それは事実だし、その点に関しちゃ俺も異論はねえよ。俺たちがそれを知っているように兵長もそれを知ってる。化け物だなんだとそんなむかつく表現はしねえが、俺たちの崇拝も憧憬も裏を返せばもとは同じところからきてる。兵長の、あれはもう才能で、俺たちはそれを特別だと考えてる。それを兵長をよく知りもしねえ馬鹿どもが化け物だのなんだのと呼んでんだ。そうだろ?」
「巨人殺しの才能」
「そうだ。兵長は俺たちが信じないだろうと思ったんじゃねえのか?あの女みてえに大声あげて、人殺しだ化け物だと喚き立てて逃げ回るとでも、思ったのかもな」
「・・・・・それって、ちょっとしんどいね」
「・・・・・・・・むかつくな」
 オルオの声を聴いているとむかつくと言いながら、悲しいと言っているように聞こえる。
「信じて、ほしかったな」
「・・・・・・・・・・」
「特別班に選ばれたときうれしかった。私の私たちの能力を認めてくれてるんだと思った。リヴァイ班って呼ばれてるんだよ、これってすごくない?兵長が自ら、直々に、私たちならこの現時点における人類の最重要任務!とか存亡の危機!みたいな状況に立ち向かえるって思って選んでくれたんだよね?」
 おどけた様に笑いながら格好よく手刀のポーズをとりながら言ったのに、オルオは笑ってはくれなかった。その代わりに、ただ黙ってペトラの話を聞いている。
「一番大事な仕事を、任されたんだと思ったの。それって、信頼してないとできないことだと思った。でも違ったのかな。兵長にとって私たちは、兵長を異物扱いするその他大勢と同じ?同じ顔して同じことを考えている中で、少しだけ『使える』から、だから選んでくれたのかな。私は、すごくすごく、うれしかったのに」
 情けない顔をしないようにペトラはふざけて、パンを振り回しながらそんなことを言った。けれど効果のほどはどうだっただろう。いまは置いてけぼりを食らった子供みたいで、パンをかじると多分砂の味がする気がする。オルオは黙って、長い沈黙の後、「そういう人じゃねえだろ」といった。
「・・・・・使えるとか、使えねえとかそれだけで俺たちは選ばれたのか?俺たちより討伐数多い奴なんざいくらでもいるだろ。それだけでなんかの、証明にならねえか?」
「・・・・・それは・・・・・・兵長の物まねばっかしてる気持ち悪いオルオがリヴァイ班に選ばれたんだから、お前もっと自信持てよとかそういう・・・?」
「てめえ・・・オレの討伐数はお前らより桁違いに上なんだが?!」
「えっ傷ついた?」
「・・・・るせえな。とにかく、兵長はちゃんと俺たちのことを見てくれてんじゃねえかってことが、いいてえ!見かけだとか討伐体数とか、そういう目に見えるもんじゃなくて、見えねえとこで俺たちが優れてるって判断して、そのうえで俺たちは選ばれてんだよ。絶対。今回の任務に向いてるって、そのうえでのリヴァイ班だろが」
「その自信がどこから来るのか知りたいよ」
「・・・・・お前は、そうは思わねえか?」
 てらいもなく問われて、ペトラはパンを振り回すのをやめた。沈黙に付き合うオルオも物好きな男だと思う。意外と面倒見がいいんだよねと、普段は悪態をついてばかりいる自分をふと反省した。
「・・・・・・・・・なら、なんで信じてくれなかったの。私たちは兵長を守るよ。兵長を信じてるし、人殺しなんかするわけないって、誰にでも言えるし誰とでも戦えるよ。信じてほしかったよ。疑ったりしないって、思ってほしかったよ。こんなのってひどい」
「・・・・・・もし俺が兵長だったら」
「なにそれ気持ち悪い」
「聞けお前は!だから、俺が、もし兵長だったらだ。てめえを化け物だ、この兵団にあってさえ異物だと自覚があって、他人からもそう思われてれば・・・・・・・仕方ねえと思うかもしれねえ。信じるとか、信じねえとかそういうことじゃなくて、仕方ねえと、さっさと諦めちまうのかもしれねえ。俺にはな、ペトラ。極端に言っちまえば、誰かがそれを言い出すのを、兵長は待ってたんじゃねえかっていう気すらしてる。大声で化け物だ人殺しだと、いつか誰かが糾弾する日を。今日がたまたまその日だった。それだけのことなんだろう」
「そんなのはさみしい」
「・・・・・・・・・ペトラ」
「・・・・・そんなのは、さみしいよ」
 手にしたパンにようやく齧りつくと乾いていて塩の味がした。パンは口中の水分を吸って、いつまでも舌の上に残る。無理やり飲み下すが後味も悪く、最低の気分だった。ほらね。やっぱり砂でも噛んでるみたい。全然おいしくない、こんなの。
「・・・・・お前、気が付いてたか?兵長が俺たちと距離を置いてることに」
「・・・・はじめは気のせいかなとか怒ってるのかなって思ってた。私たちが可笑しくて笑ってるときや、くだらない話をしてるとき、兵長って絶対部屋を出ていくの。前オルオが夕食の時に鼻からキノコ出したでしょ?あのときもそう。みんな可笑しくて、エルドもグンタも私も、そのうちエレンも来てみんなで大笑いしたよね。あのときも兵長はひとり部屋を出て行った。・・・・・すごくよく覚えてる」
「・・・・・お前がさっきいったんだろ、孤独だったって。俺はまるで兵長が、孤独じゃねえといけねえんだとでも思ってるみてえだって、ずっと考えてた。それが罰みてえにな」
「・・・・何の罰なの」
「・・・・さあな。直接聞いてみろ、お前が」
 罰。
「・・・・・・生き残ってる、罰?」
「・・・・・・」
 沈黙は肯定だ。オルオもそう感じているのだと知らされ、目の前が暗くなった。長い沈黙が落ちた。しんとした夜の静寂がやがて雨音に変わった。石壁を叩く水音が耳に煩いほどだ。今頃どうしているのだろう。二人は震えてはいないだろうか。暗い森の中、濡れて震えているのだろうか。それともとっくに森を抜けてどこかの町へ二人で逃げたのかもしれない。どちらにせよまともに飯も食えず、腹も空いているだろう。こんなに心配させて、少しは古城に残した部下のことを思い出してくれているのだろうか。
「なんか、私」
 ぎり、とパンを握り潰し、ペトラは口に捩じりこんだ。歯ぎしりをするように噛みつぶし、無理やり飲み込む。あっけにとられるオルオの目の前でまずそうにパンを粘土のように胃におさめた。これは怒りだ。
「今なら兵長のこと叩ける」
「・・・・・・はあ?!」
「なんかすっごく腹が立ってきた。絶対に叩く。なんかもうわけわからないし、おいてかれて悲しかったけどだんだん腹が立ってきたし、ごちゃごちゃ考えて頭が破裂しそう。なんで私たちが疑うなんて思うの?ひどい。許せない。謝らないと、絶対に許さない」
「・・・・・おまえとんでもねえ女だな」
「惚れ直したの?」
「ばってめっこのブス、そもそも惚れてねえし?!」
「明日早朝、探しに行く。止めても無駄だから。帰ってこないなら無理やり探しにいって引き摺ってでも連れて帰って、それで叩く。見つけるまで帰らない。脱走兵と呼ばれようと、かまわない。絶対に、謝ってもらう」
 絶対に許さない。謝って、助けろと絶対に言わせてみせる。
「・・・・・・仕方ねえ、俺も」
「当たり前でしょ、オルオも一緒に行くよ」
 決めつけたペトラに最早逆らう気力をなくして、オルオは半分こだと押し付けられたパンを諦めてペトラに渡した。手渡されたパンを飲み込むように口に押し込むペトラを横目で見ながら、一番恐ろしいのはこの小柄な可愛い顔をした女なのかもしれないとオルオは溜息をついた。
「絶対に、連れて帰って見せる」