人殺し(ちょっと暴力的な表現がありますので。ちょっと・・・という方はすいません。読めないかも)
「この人殺し」
「軍の狗」
「狗なら狗らしく、首輪でもつけてろっつーの。尻尾ふれ」
「はははははは、おまえそんなに殴ったら、こいつ顔かわっちまうんじゃねえか?」
「ちょっと、腹殴ってみろよ、すげー変な声でるから」
「ほんとだ。はははははは、すげーおもしれえ」
唾液を飲み込む力もないエドワードは、口の端から血の泡を垂れ流す。頬の内側に感じる異物感は、おそらく砂利の味なのだろう。男の爪先が綺麗に鳩尾に入って、一瞬息が止まる。今、自分がどういう体勢でどういう状態なのかもよくわからなかった。どのくらいの時間こうして、嬲られているのかも。
「いてーか、小僧。でもなあ、お前ら軍人に殺されたやつは、こんなもんじゃねーんだよ」
「国家錬金術師かなんだかしんねえけどな、調子にのるんじゃねえぞ」
髪の毛をひっつかまれて、何度も殴られた。血と暴力にのぼせた男たちはエドワードがそのまま気を失うことを許さずに、笑いながら唾を吐きかけ、転がっていた酒瓶をエドワードの頭に向けて逆さまにした。汚水が滴り、エドワードがむせると、男たちはさらに笑い転げた。止めに入った無関係の男ですら、エドワードが国家錬金術師だとしるやいなや興味を失ったように背を向けた。
あー。
マジで、大佐の誘いになんか乗るんじゃなかったぜ。
なにが、東の外れで、閉鎖的な場所だからなんらかの石の情報が掴めるかも知れんだ。
あんの、うそつき。
・・・・・・いや、嘘つきじゃねえか。
軍に対して不穏な動きのある場所だから、直接視察に行くついでだと、確かにはっきりあの男はオレにいったじゃねえか。連れて行ってやるがちゃんと私のいうことをきくんだぞ、とも。それを適当に聞き流して、こんな夜遅くに一人で出歩いたのはオレだ。ぼんやりしてたのも、オレだ。暗い路地にいきなり引きずり込まれて、腕の関節を外される間抜けは、オレなんだ。
腫れあがった瞼の隙間から、一瞬星が見えた。満天の夜空は、こんな状況でもなければ充分エドワードを魅了したのだろう。あの懐かしい故郷を思わせるような、うつくしい夜空だった。落ちていたガラスの破片で切ったちいさな頬の傷がなぜか酷く痛んだ。他の手足のほうが、よほど痛めつけられているだろうに。
心配、してるかな。
頭を過ぎるのは、心配性の心の優しい弟ともう一人。
赤の他人のくせに、馬鹿みたいにエドワードを大事にする、恋人の顔だ。
血の繋がりのない人間にそこまで思われた経験がエドワードには少なかったので、あの男の思いいれは不可解ですらあった。
けれど悲しませるだろうかと思えばやり切れず。
関節の外れた左手を、激痛を堪えて無理やりに動かす。骨が折れてなければいいがと思いながら。かすむ瞳を凝らしながら、地面に錬成陣を描く。男たちが笑い転げながら、一瞬エドワードから目を離した、その隙を見逃さなかった。ばつん、と左手を叩きつけた瞬間に立ち上る、青い稲妻に似た光が網膜を焼いた。
エドワードの意識はそこで、綺麗に途切れた。
「あ、起きた」
覗きこむ弟のがらんどうの双眸。酷く狭い視界の意味がすぐには、理解できずにエドワードは何度も瞳を瞬いた。体を起こそうとしたエドワードを、どこからなのかもわからない痛みが全身を襲う。
「ちょっと・・・・動かないで。兄さん。ここ、病院だよ。わかる?」
喉がひからびていて、上手く喋る自信がなかった。何度か頷く。白い、清潔なシーツと石鹸の匂いに妙にほっとしながら、エドワードはアルフォンスを見上げる。
「お水、のむ?」
返事をしなくても、アルフォンスには今のエドワードの欲求が充分に伝わったらしい。体をゆっくりと支え、起こして、グラスを口元につける。ひんやりとした水が、口の端に染みて、エドワードは顔をしかめた。
「・・・・・・・も、いい。よーアルフォンス。オレ、どんくらい寝てた」
「・・・・・・・・・ばか兄っ・・・・・・」
なるたけ平然とした声を聞かせようというエドワードの努力は間逆に作用したらしい。アルフォンスは震えながら、グラスをがつんと乱暴に置いた。弟らしくないこの所作から、どれほど心配をかけてしまったのかがわかる。顔をゆがめながらエドワード苦笑する。今自分がどんな酷い顔をしているのかわからないので、ちゃんと笑えているかどうか自信はなかったが。
「オレ、そんな酷い顔してる?」
「そうだね。も、顔じゃない。そんなの。お面か風船だよ」
「ははははは」
「・・・・・・・右の眼球、つぶれるとこだったって」
泣くことも出来ない、哀れな弟を悲しませた罪悪感は、充分にエドワードの反省材料だろう。けれどいまはただ、平気だと笑うことしか出来ない。いうべき言葉が見つからずに、ついふざけてしまうのだ。
「折角の男前が、台無しだよな。へへへ。・・・って・・・・・」
ぎしぎしと体中が軋んでしょうがない。けれどちゃんと手足の感覚があることに安堵して、それでもエドワードは笑って見せた。
「動かないでね。本当に、体の傷が熱を持って大変だったんだから。・・・・あれからもう、二日もたったんだよ。・・・・・・・死んじゃったら、ぼく、どうしようかと・・・・っ」
「ごめんな」
「大佐呼んで来る」
唐突にたちがったアルフォンスが出したその名に、一瞬体を強張らせてしまう。
「・・・・・・アイツ、いんの」
「大佐、ものすごく心配してたんだからね。仕事はどうしても抜けられないらしくて、毎日、仕事とここの往復で。大佐が倒れちゃうんじゃないかって僕。さっき帰ったばかりだから。今から呼びにいけば間に合うと思う。待ってて」
「・・・・・・いいよ。明日で」
「あいたいでしょ」
からかうでもなく、そう言った弟の聡さには頭が下がる。弟には面とむかって付き合っているんだと言ったことはなかったけれど、やはり知っていたのかと申し訳ない気持になりながらも、素直に頷いた。顔を見たかったのは、本当だからだ。エドワードの病室まで足音をもう二つつれて、アルフォンスが帰ってきたのはそれからしばらくのことだった。
部屋のドアを開けた瞬間、ロイマスタングはエドワードを認め、一瞬顔を強張らせ、安堵し、再び表情を引き締めた。彼の胸に去来したものがなんなのか、エドワードには知ることは出来ない。
「鋼の。起きていていいのか」
「ダイジョブ。ちょっといてーけどな」
背後に付き従うリザホークアイはいつもの無表情を痛ましいものに変えて、ただ視線をそらしている。そんなひでえ顔してんのかと、不謹慎にも興味がわいてしまう。ベッドの横の椅子を引いて、ロイが腰を下ろした。ホークアイもアルフォンスも、ただロイの言葉の先を待って立ち尽くしている。
「お前に暴行を働いたものたちは、すでに拘束した」
厳しい表情のまま、ロイは結論を告げた。エドワードは頷くことすらせずに、ただ沈黙している。
「だが、明日にも釈放だ。罪には問われない」
黙っていられなかったのは、アルフォンスだった。咄嗟に声を荒げて問う。
「どうしてですか、大佐・・・っ、兄さんは下手したら、死んでいたんですよ?!明日だなんて、そんな、」
「・・・・・『先に、あの子供から手を出した』んだそうだ」
「なに言って・・・・そんなはず、ないじゃないですか!!」
「『老人に暴力を振るっていたため、止めようとしたが錬金術で応戦されて、手加減できずに皆で取り押さえようとしたらああなった』んだと。皆が口を合わせてそう証言している」
「・・・・・・・・・・・・・大佐、それを信じるんですか。確かに兄さんは口より先に手が出る単細胞生物ですけど、だからってっ」
「オレはアメーバか・・・・」
堪えきれずに突っ込んだエドワードを、気の弱いものならば殺せる勢いでアルフォンスが睨む。
「兄さんは黙ってて。そんなはず、ないじゃないですか、兄さんが老人に手を上げるなんて、そんな」
「・・・・・78歳の男性から一件の被害届けがでていて。あの村の、他の人間が金髪の子供が老人に手をあげるところをみたと何人も証言してきている。老人は、今回の件で拘束した人間を釈放するならば、被害届けを取り下げるそうだよ」
「そんなばかな・・・・」
「あの村は、以前戦場になったことがある。そのときに大勢の犠牲者を出して以来、軍を毛嫌いしていてね。おそらく、皆が口裏を合わせているだけだろう。目撃証言を訴えたやつらにしても、金髪という意外、この子供の目立つ特徴を知らなかったしな」
「ならなんで?どうしてそこまでわかっていて、あの人たちを釈放するんですか?おかしい、そんなの!!」
攻め立てるように叫ぶアルフォンスに、感情の読めない声でホークアイが答えた。
「仕方がないのよ。複数の証言がある限り、分はあちらにある。そして、これ以上軍への反感情を煽ることは得策ではないし。いずれあの地域に関しては軍の手が入るでしょうけれど、今荒立てれば、暴動に発展しないとも限らない。今は、手が出せないの」
「・・・・・・・・・アル。アルフォンス」
ホークアイの言い様に、絶句したアルフォンスを手招く。
アルフォンスは無言でエドワードに寄り添った。
「兄さん」
「・・・アルフォンス、オレ、軍属だから。わかるな?」
軍に属する以上、それがどんなに理不尽な命令だろうが是と従うしかないのだ。確かに、そうまでせねばならないものならば、やめてしまえと思わないでもない。けれど、エドワードには不思議にそれほど腹は立たなかった。不思議に穏かに、凪いだ気持だった。理由は判っている。
「アル、ちょっと席外してくれるか。中尉も。・・・・ゴメンな?」
沈黙したまま、アルフォンスは逆らわずに大人しく背を向ける。軍属という意味に改めて絶望しているのかもしれなかった。ゴメンな、と心の中でもう一度呟いて、あとでもっとちゃんと話そうと決意する。
二人が出て行ったあと、どう切り出したらいいのかわからずに、ロイとの間に沈黙が落ちた。
開いたままの窓から、日差しが零れてシーツの上をちらちらと踊る。捕まえられない光に視線を落とす。
やがて穏かにエドワードは視線をあげた。
そしてそれを待っていたかのように、厳しい視線のまま厳かにロイは低い声で言った。
「復讐は、連鎖する。・・・・・・・・・お前が怒っても、なにひとつ好い結果は得られない。・・・・怒るなよ。耐えろ」
その言葉に、笑う。
「・・・・オレがアンタに言おうと思ってたのに。そんなにピリピリしたツラして。にあわねえの」
「・・・・・・・・・・・・からかうな」
「シワがふえるぜえ?オレが言おうと思ってたんだよ。アンタ過保護だからさ。捕まえた奴ら、ぶっ殺しちまわねえかと思って」
接続のおかしい右手で、ぎこちなく額を触りながらおどけたように笑うエドワードに、押さえていた怒気を孕ませ、ロイは拳を握る。
「・・・・・・・・・頭が、おかしくなるかと」
「ここ座んなよ」
ぽんぽん、とシーツの上をはたいてやる。体を避けて、場所を空けると幾らかためらいながらロイはそこへ腰を下ろした。
「・・・・・そんな怒んなくていいよ。我慢させてわりーけどさ。でもアンタおこんなよ?な?」
「そんな無茶を言うかね、君が。自分は始終怒っているくせに」
「あ、そーいうこというか。・・・・・・なあ大佐、ゴメンな」
「うるさい」
「ははははは、こんな体じゃなかったら、お詫びに色々サービスしてやってもいいんだけど。な」
「ちゃかすんじゃない。こんなときに」
「・・・・こっち向いて」
右手で頬に触れる。熱は伝わらないままロイが、窓の外に向けた視線を戻した。複雑な色の双眸には、確かに痛みのようなものが混じっていて、エドワードをたまらない気持にさせる。
「・・・・・・・・・・・・そんなに怒んな。オレはへーきだし。それに、アンタがそんなに怒ってたらオレが怒れねーじゃんか。人のぶんまで怒ってんじゃねえよ。気が抜ける」
目覚めて、自分がそれほどに怒りを感じていなかった理由。それはこの男がどれほど怒るのか判っていたからなのだろう。ロイがかわりに、怒ってくれる。それはエドワードの気持を凪いで穏かにさせてくれた。
「・・・怒るさ。怒るなというほうが無理だ。こんなにされて。・・・・・・・何度も発火布に手が伸びた」
「あはははは、あぶねえの。・・・・・・アンタかわいい。かわいいな、こんなに怒ったり、心配したりしてさ」
「だから、さっきから一体・・・」
「アンタのまね。いっつもアンタ、オレにこうやって言うだろ。だからオレも今日はお返ししてんの」
いつも渡されるばかりの言葉に照れて乱暴したりしているけれど、それがどんなにエドワードを喜ばせているのかを教えたかった。いま、とても傷ついてるこの男を少しでも悦ばすことが出来ればと思った。普段であれば、けして口には出来ないような言葉が自然に口をついてでた。
「なあ。キスしてくれる?顔、すげえからいやだ?」
「いやなわけがあるか」
即座に帰ったイエスに笑ってしまう。腫れあがった唇を慮ってか、それはいつものそれとは違う、ふれるだけの穏かなキスだった。ゆっくりとそれがふれて、初めて温もりを感じて、エドワードは息をついた。ブサイクなのは勘弁しろよと呟いて、ゆっくりと身を男へと倒す。
「いい子いい子。よしよし」
「・・・・・・・・・君にそんなことをいわれても気持ち悪い」
けれどまんざらでもないのか、ロイは先ほどの尖った声を和らげていた。簡単に手玉に取られて悔しいのだろう。体に回された両手の腕の力が少し強い。
「人殺しって言われて。まあ、確かに間違いじゃねえなと思ってさ。でもだからって、しょうがねーとか思うわけじゃなくてさ。そういうんじゃなくて」
一端言葉を途切れさせたエドワードをただ抱きしめる。怒りは消えることはないだろうけれど、それでもエドワードの体の熱が、ロイの滾るものを和らげたのだろう。今は触るのが恐ろしいほどの気配は身を潜めている。
「ああいうのは違うよな?確かにオレは軍の人間で・・・・人を殺したのかもしんねえけどさ。ああやって、正義面して、笑いながらよってたかって暴力を振るうのは、・・・全然、正義とは違うことで。悪い奴にならさ、なにやったっていいなんてことは、絶対にないんだ。・・・・なあ大佐。だからさ。だから」
「だから私に何もするなというのか。君はそれでいいのか」
「いいよ。大佐があいつらとおんなじになるのを見るのより、よほどいい。だから何もすんなよ。あいつらに報復とか、そんな馬鹿なこと」
思っていたことが、まっすぐ伝わって嬉しい。
「おこんなっていうのとは、ちょっと違うか。怒ってもいいんだけど。アンタはまちがわないでね。あんなくだらねえやつらみたいに、ならないで」
この男が、自分のために怒ってくれることはたまらなく嬉しい。思いの深さを垣間見たようで。
けれどどうか、とも思うのだ。
どうか醜い連鎖に、この男を巻き込まないでください。オレのためなんかで、無用な暴力をふるわせないでください。
「ああいう奴らはほんとどこにでもいるし。だから許す、じゃなくてさ。放っとけばいつか天罰が下るよ、きっと」
「・・・・・・君は、ほんとうに・・・・・・全く。それは、私がいいたくて、いえなかった台詞だぞ」
「ははは。アンタ、ほんとかわいい」
「・・・・・・・もうちょっと怪我が軽ければ最高に燃えるシチュエーションなんだが」
「退院したらね。いつもよりは、五割り増しで検討してやっからさ」
「・・・・・・・あの光」
ぽつりとロイが呟いた。どの光のことなのかはすぐにはわからずにエドワードは首を傾げる。
「なに?」
「あの錬成反応の光だ。あれで、君の居場所がわかった。しかし厄介な錬成をしおってからに」
「お、うまくいってたんだ。オレ、記憶がねえんだよね。実は」
「全く。ゴキブリホイホイじゃないんだぞ。あれではあいつらを捕らえるのもお前を助けるのも一苦労だった」
地面を強力な粘着性の物質に錬成したエドワードの手際は確かによかったけれど、駆けつけたロイや、その他の面々に多大な迷惑をかけてしまったらしい。あとのことなど考えなかったのだが、想像すれば、おかしい。
「まあ、ある意味ゴキブリホイホイか。上手く捕獲できていたからな。・・・・・・・・・・エドワード」
「・・・・・・・・・・・・」
「君は時々私の想像の範疇を大いに超えるよ」
「ははははははは」
もう一度のキスは、口の端に染みて、やはり血の味がした。
終