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「ちょっと顎をひいて。そう」
「ほんとは、銃で撃ってほしいんだけど」
「冗談でしょう?厭ですよ、銃なんて」
やっぱりか。大体銃なんか持ったことあるんかな、この人。扱い方もしらねえんじゃねえのか?
頬にメスが入る。すうっとまっすぐ引かれて、熱いものが走った。
血がばたばたと肩口に滴るのを、先生がぬぐってくれる。こんなもん、痛くもなんともねえなと思い、やっぱり銃で撃ったほうがよかったと思った。あの熱さとかそういうの。そういうのも味わって,初めて兄者と一緒なんじゃないのかと。でもこれ以上傷をつくれば兄者の機嫌が悪くなるから仕方ねえかとオレは舌打ちした。
「兄弟愛って凄まじいんですね」
口先だけで先生はそういって、メスを拭う。もっとうらやましがれっつうの。
「先生兄弟いねえの?っていうかアンタ人間からうまれてる?木の股か、タマゴからうまれたんじゃねえの?」
別に嫌味でもなんでもなく、オレはそう思った。このメガネからはそういう生活感とか血の繋がりとかそういう匂いが全然しねえんだ。モノを食うとこすら想像できねえ。
「・・・・・・・・・天下のスライサー様にいわれたくないですけど。僕は一人っ子ですよ。だから兄弟ってどういうものかわからないんです」
的確に処置をしながら先生が呟く。ふうん。ひとりっこ。ははは。かわいそ。
「兄者はオレの全部だよ」
「へえ」
「血が一緒なんて。すげえとおもわねえ?兄者の体とオレの体に流れてる血は一緒なんだ。皮膚がすげえ邪魔。はじめから一人で生まれてきたのが、二つに分かれちまったみてえ。兄弟なんて。最高。うらやましい?」
「君らのご両親は?」
「さあ。しらね。オレが物心ついたときはもう、とっくに兄者とふたりだったな。そんなことが重要?どんな女の胎からうまれてようが、別に関係ねえだろ。重要なのはオレと兄者が兄弟だってことで、それ以外は別にどうでもいい」
「でも普通の兄弟はセックスしませんよ」
なにいってんだこいつ。
「嘘つけよ」
「ほんとですよ。そもそもどちらが先に手を出したんですか?僕興味あるなあ」
「なにそれ」
「いや、あの性欲なんか置いてきましたみたいなお兄さんとなにがきっかけで体を繋ぐようになったのか。実に純粋な、まあ女性的な好奇心です」
「カハハ、せんせえのゲス」
「そういう単語はよく知ってらっしゃる。で?どっちなんですか?私の予想は君から手を出したんじゃないかと」
「なんでそう思う?」
「うちの常連さんたちと、同じ匂いがするんです」
娼婦どもと同列扱いかよ。
「あのな・・・オレは兄者としかしてねえよ。テメーほんといい加減にしとかねえと殺すぞ。手えだしたとかすげー気分わるい。そういうんじゃねーだろ。なんつか、当たり前みたいな。そういう感じ?どっちがとかじゃなくて。オレ兄者にしかたたねえし」
医者の質問は本当にオレには理解できない。どっちがとか、そういうことじゃねえんだ。どっちかっつうと見境ねえのはオレのほうだけど、だからってこれが一方的だとは思ったことがない。体を繋ぐのは二人にとって当たり前のことで。性欲だとかそういう何かをあてつけるみてえにするもんじゃなくて、ただ純粋に繋がりてえから。一緒にいてえから。気持ちよくて、脳がとけて、自我の境界が曖昧になって。どこからどこまでがオレだったのかがわからなくなるような、熱の迸る様なあの感覚がたまんねえから。それは、このメガネ曰く「普通のセックス」とは違うことだろうか。ならなんで、他の奴は体を繋ぐんだ。
「赤の他人のちんこさわんのなんか、ぞっとすっだろ?体ん中にいれたりとか意味わかんねー。オレあんたの言ってることいっこもわかんねえよ。なんで他人となんかできるんだ。オレにしたらそっちのほうが異常。娼婦とか、あいつら頭おかしーんじゃねえのって思う。気持わりー。なんで赤の他人のまえで服脱いだりよがったりできるんだろうな?殺されても文句いえねえだろ、それじゃ」
「・・・・兄にしか勃起しないことの方が異常なんですけどね。よかったら治療しましょうか?僕はそちらも専門分野なので」
「なんの専門かわかったもんじゃねえな。だからさあ、いってんだろ?オレはこのまんまでいいの。このまんまがいいの。オレは兄者とやれればそれでいいし、他の人間なんかいらねえよ」
このメガネはしらねえんだと思う。
あの、肉を捻じ込まれる息のつまるような快楽とか、溶けるという本当の言葉の意味を。
同じ血の交わりの味を。
「初めてしたのは?」
「は?何ナノ一体。人の初体験とかきいてたのしいか?アンタほんとに変態?」
「そうなんです。私変態で。いいじゃないですか、教えてくださいよ。物はついでなんですから」
「もう覚えてねえよ。オレがすっころんで後頭部強打してアンタに縫ってもらったことあるじゃん」
「あれはもう五年くらいまえですかね」
「あんときにゃあもうやってたな。間違いねえ」
縫った直後に血をみて盛っちまったオレが、兄者にねだった挙句セックスして、もっかい血を吹いた記憶がある。
「・・・・そーいやさ、あんたって何歳なんだよ」
オレはふと、その五年前といまのこのメガネがほとんど変化ないことに気がついておそるおそるたずねる。メガネはただにこにことして、「早熟な淫乱だったんですね」だとか言いやがる。
こいつほんとに人間か?
「秘密です。君達だって、教えてくれないくせに」
「オレらは、わかんねえだけだろ。なにアンタ。ほんとになにもんなんだよ」
「ただの医者ですよ」
「そうかあ?ただの医者ってこんなに胡散くせえの?」
「・・・・・私はね、知りたいだけなんですよ。君らは果たして真に異常なのか。それともただ異端などでははじめからなく、正常でありながら人を殺し兄弟で交わるのか。ほんとうはね、僕は君のここを開いて中を見てみたい」
すうっと額をまっすぐ横に人差し指が滑るのをオレは視線を上に上げて見ていた。メガネの奥の双眸は相変わらずきにいらねえ人好きのする温和な笑みを浮かべたままだ。
「興味があるなあ」
「はあ」
はっきりいって、オレはこのメガネのほうがよほどオレらよりキてると思うんだけどな。
「まあ、残念ながら。今それはかなわないことなので仕方なく、今はこの女の子のように小さな頭の内側から見た世界をお伺いすることで我慢しているわけです。倫理の境のない、けだもののような小さな脳みその、考えていることが知りたい。これが私が君達からいただく治療費ですよ。あともう一つ」
にこりと笑いながら先生はオレの頬を撫でた。兄者がするように優しい仕草だったのでオレはたまらなく、不愉快。思い切り平手でその白い手の甲を殴る。
「君達が死んだらその遺体を解剖したい。死ぬときはいって下さい。どこにでもいきますから」
「変態」
「お互い様ですよ。持ちつもたれつ。仲良くしましょうよ。ね?」
「オレの体は別にいーけど。兄者の体はやらねえよ?」
「どうしてですか?」
「兄者が死んだら、オレが食うから」
死んだら。
それを考えなかった日は、今まで一日とてない。死は日常。死は当たり前。死は平等。死は必然だ。
そんなことは、オレが一番よく知っていることだ。
ただ、オレは兄者より後に死のう。それだけ。
オレが決めているのはそれだけだ。兄者のなきがらを誰かに触らせるなんてぞっとする。j兄者が死んだら爪の先まで髪の一筋も残さずにオレの腹に納めよう。兄者より先には死なない。
「本当に変態なんですね、君。まあいいですけど、性交時にはきちんと避妊してくださいね」
「なんで。オレら男同士なんだけど」
「あ、それは知ってたんですね。まあ、子供は出来ませんけど同性同士の性行為というのは、直腸の粘膜を傷つけたりして、何らかの病気に感染する可能性がとても高いんですよ」
「・・・・・・よくわかんねえけど、なんだ。オレがへんな病気兄者にうつすってか?」
「ははは。バカだとおもって侮ったらいけませんねえ」
「・・・・・むしろ殺そうって言う気がなくなる、あんたと話してっと」
「あははははははははは」
「・・・・・ふうん。普通の兄弟はセックスしねえんだな。ああ、兄者みたいにかっこいくないからだろ?」
「ちがいます。血が同じものが交わることは、昔は珍しくなかったようですが。現代においては異端でしかないですね。近親相姦といって、畜生の行いとされていて」
「ちくしょうってなに」
「・・・・君は本当にもうすこし本を読んだほうがいいですね。字は読めますか?」
「・・・・・・すこし」
嫌がるオレに兄者が、暇があればいろいろ教え込もうとするからだ。字なんか読めなくてもいいのにとは思うけれど。兄者のほうこそ、どこでそういうの覚えたんだろうか。そもそも頭のいい兄者は暇さえあれば、小難しい本を抱えていたりするからな。
そのとき一瞬、何か棘が刺さるような痛みを覚えて顔をしかめる。なんだろう。なにか。
なにかいやなものが、よぎった。
追求するのが怖くて、くるし紛れに先生の足を蹴る。
「さっさと手当てしてよ」
「兄者と同じに、でしょう?全く。幸せものなんですねえ、お兄さんは」
「なんだ、その含みのある言い方。なんっ・・・かアンタオレに敵意抱いてねーか?」
前々から思っていたことなんだけど。なんかこいつはいちいち女みてえに、変な言い方をする。
「あれ」
にこにこ笑いながら、薬瓶を取り出し、中に入っている白いなにかを手に取りながら、先生は首を傾げてみせる。
「わかりますか」
「アンタな・・・・ほんとすげームカつく。そういう胎黒い感じ、女?女だろ、ほんとは」
「いやだなあ・・・・違いますよ。それは女の人への偏見ではないですか?それに私が女だったら、もっと君に意地悪を沢山しているんでしょうね。この薬に毒を混ぜてかわいいお顔を台無しにしたり」
ひんやりと女のように冷たく綺麗な指先がオレの頬をなでてゆく。とろりとした独特の匂いのそれが傷口にゆっくりと塗りこめられていく。
「怖いと思いますか?」
「別に」
「まあ、冗談なんですけどね。ふふふ。冗談。あんまり君がかわいいので、ちょっと意地悪をしてみただけです。気にしないでくださいね」
「オレねえあんたほんと嫌い。粘着質でサド。頭よさそーでイカれてる」
「ふふふ、褒め言葉として受け取っておきましょう。そうですね、私も嫌いですよ。君みたいに頭の悪い子は、嫌いです」
薬の鼻を突くにおいに顔をしかめながら、オレは顔をメガネへと向けたまま口笛を吹く。
「へえ、気が合うじゃん?」
「君は頭が悪いから」
二度も繰り返さなくてもきこえてるっつうの。
「いつかお兄さんを危険に晒すのじゃないかと」
「・・・・・・はあ?どういう」
「君はあの子の致命傷。単純で頭が悪く粗暴で、感情的。いつかあの子を道連れにするでしょうね。これは予言です」
「医者から占い師に宗旨替えかよ」
「軍に逆らったんでしょう?およそ神経を逆撫でるやり方で。軍はしつこいですからね。まさに狗。一度狙った獲物には食いついて離れません。一人一人は物の数ではないでしょうが、一個師団ともなれば君らなど、それこそ物の数ではないのかもしれませんよ?ねえ、楽しみだ。君の招いた災いが」
メスを掴んで、オレの頬をなでるメガネの手の甲に思い切りそれを突き立てる。先生は眉一つしかめずに、掌から突き出たメスの刃先を眺めながら続けた。
「いつお兄さんを殺すのか」
「てめえだって一緒じゃねえのかよ。なんだ、あんな口のかるそうな頭の悪い女のまえで平気でオレらをスライサー呼ばわりしやがって。あの女がチクったらてめえも同罪なんだぞ」
気安くこのメガネの患者の前でスライサーと呼んだ、その不用意さは災いにはならないのかと。反射的に低い声で恫喝したオレにいつもの温和な笑みをうかべたままメガネはこたえた。
「僕のお客さんたちはそんなにバカじゃあありませんよ。ここで見たものを話せばどうなるか、ようくわかっているでしょうから。それは君も知っているでしょうに。それにスラムに住んでいるような人間が軍に密告なんかするわけないじゃないですか。誰しも一つや二つ、後ろ暗いところがある人たちばっかりですからねえ」
性質がわりい。
こいつほんっっとに、人間か?!
腹立ちまぎれにオレは、メガネの手の甲につきたてたメスをわざと乱暴に引き抜いて、放り投げた。流石にいたんだのかわずかに眉をしかめたのがきもちいい。
「・・・・・・・・・・・・・酷いな。商売道具に」
「あんまうるせえからな。肉だけだ。ふつーに動くだろ。さっさと手当てしろって。粘着質。きもい」
ほんとうは、動脈を裂きたかった。
血の煮えるような怒りを無理やり押さえ込んでオレは頬を差し出す。
オレが兄者を殺す?
オレが。
ははは、ひでえ冗談だ。
全然笑えねえし。
「なあ。アンタと兄者はなんで知り合ったんだよ?」
「内緒です。お兄さんは君になんて?」
「・・・・・・・恩人だっつってた。なあ、それほんと?ほんとに、アンタみたいなのが兄者の恩人なの?」
「ははは、そうですね。あの子にとっては、そうなんでしょうね。お兄さんが言わないことを私が言ってはおこられますからね。私も君には教えませんよ」
「・・・・・・ふうん。恩人ねえ。なんだ」
「残念そうですね」
「やっぱりアンタをぶっ殺すわけにはいかねえじゃねえか。なあ?すげえアンタ邪魔なのに」
「酷いなあ。こうして手当てをいつもしてあげているのに」
「・・・・・兄者になれなれしい奴は、全部おれはぶっころしてーのに」
残念だ。兄者の恩人だと、あくまでこいつが言うのならば。
それはオレにとっても恩人なのだ。不本意ながら。
「その恩人の手にメスをつきたてますかね、普通」
先生は自分の手の甲を止血しようとガーゼを取った。けれど血管もきれいによけたその傷口からは、もうとっくに血は止まっていて、あとはこのメガネ野郎に疼痛だけを与えているはずだった。
がんがんと少し乱暴なノックとともに兄者が顔を覗かせる。もうこれは条件反射みたいなもので、オレは満面の笑みで兄者に抱きついた。
「遅いぞ。すんだか?」
「すんだ。なあ兄者、もうかえろ。ここくせえし」
「ひどいなあ・・・・・。あ、ガーゼは毎日変えてくださいね。薬とガーゼと渡しておきますから。化膿するとそのかわいいお顔が台無しになりますよ」
ね、ととりえは顔だけなんだから大事にしろと言外に告げる笑顔で先生はワンセットを放った。綺麗にオレはうけとってべえと、舌を出す。二度ときたくねえ。こんなとこ。
「兄者、帰ろう」
今夜の寝床を探しに行こう。
兄者の掌をしっかり握って、その左腕に縋りつく。先生の部屋を後にして、表に出るとすでに陽が傾きはじめていて、あたりを赤く照らしていた。夕暮れ時だけはこの汚いスラムがやけに、綺麗に見えた。
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