これはいいことなんだとか、これは悪いことなんだとか、オレはあまり考えたことがない。
 世界は二つに分けるほど複雑じゃないからだ。
 世界ははじめからたった一つだ。オレにとって世界は混沌としていて、何の意味も持たない。
 目の前を塞ぐものがあれば、それを打ち払えばいいんだから。
 世界は簡単なつくりになっている。
 どうして誰もそれに気がつかないんだろうか。



「・・・お前らを、ぶっ殺すのは、いいこと?悪いこと?」
 頭に血が上って聞こえないのだろうか。ナイフをぶんぶんと無造作に振り回して男が突っ込んでくる。本当に無造作。脇ががら空き。獣の本能という奴は作動しなかったのだろうか。どちらが強いオスなのか、死に傾き始めているのはどちらなのか。鈍磨した感覚は、なにより死神を寄せやすいことを、知らないんだろうなと思う。遠慮する必要を感じずに、掌の包丁を、思い切り突き立てて引いた。筋肉が刃を締め付けるよりも一瞬早く引き抜く。血が遅れてふきあがる。
「オカアチャンに習わなかったか?長いものには、まかれろって。オレは、長いもの。お前らは短いものだ」
 長い口上は、せめて逃げるきっかけを与えてやってつもりだ。面倒くさいから。けれど、人の優しさを無にするような輩に遠慮する筋合いはない。地面でのた打ち回る男の首を押さえつけて、喉もとを深く突き刺した。じゅぶじゅぶと、喉にぱっくり開いた傷口からは血の泡が吹き上がる。
「お前・・・・お前、俺達にこんなことして、ただで済むと・・・・」
 怒りなのか恐怖なのか判然としない、青ざめた唇で男が呟いた。一人は死に、一人は足首を失って戦闘不能。残りは三人か。いい数だなと思う。三人は、いい数だ。退屈しねえ。
「こんなことして、ただですむと?生き残ってから言えよなあ、そういうことは!」
 ようやく銃を取り出して、男がまっすぐにオレにつきつける。使うのがおそかったねえ?
「軍を敵に回すことになるんだぞ・・・!」
 悲鳴のように叫ぶ声に、ようやくああと思い当たった。どっかでみたことがあるとおもった、そのダッサイ服。
「そのセンスのねえペアルック、軍服?アンタラ軍人なんだあ。へえー。いいねー。軍人ていいねー。強姦輪姦して遊んでればお給料がもらえるんだ。きゃあ!らくちん?オレにもやれそうじゃねえ?」
 そういえば、その青には見覚えがある。集団で動く、気持ちの悪い奴らだ。
「軍人だったら、ころされねえとでも思ってんの?」
「な」
「祭りの警備にかこつけて、サボったり犯罪をこそこそ犯すやつらをぶっ殺すのは、いいこと?悪いこと?バカなオレでもわかるなあ。それは、さいっこうにイイコトだ」
 手元の包丁を思い切り振りかぶり、投げつける。拳銃を握り締める、正面の男の額に面白いほど突き立つ。やっぱ、切れがいい。あのオヤジいい仕事しやがんな。如何せん、短いのが玉に瑕だ。オレに、刀身の長いやつ、つくってくんねえかな。
 残りは二人だ。
 唇を湿す。喉が渇くな。さっき変な味のキャンデーを食べ過ぎたせいだ。急ごう。そう思い、死んだ男が握り締めていたナイフに目をつけた。こわばった掌を無理やり開けて、手入れの悪いナイフを握る。
 そのときふとオレは、背後に気配を感じて、振り返った。新手かと思い、ナイフを構えたのだがその戦闘態勢はすぐに解除されることになる。
「・・・・兄者!」
 そこにいたのは、探して探してさがしまくっていた、大事な兄者だったからだ。自然と顔が綻ぶのがわかる。
「・・・なにをやってるんだお前は。迷子になるにはいささか大きすぎんか?」
 呆れたような表情で腕を組む兄者に、オレは慌てて駆け寄る。オレより、はるかに20センチは高い兄者の腕に縋ってそのまま背後に回る。
「あのひとたちがー、オレにへんなことしようとしたあ」
 嘘じゃねえもんね。
「・・・・ならば生かしてはおけんな」
 ほとんど表情は変わらないなりに、オレにはわかる。兄者は綺麗な顔をしている。オレの真っ黒な髪の毛とは違って、少し茶色で、日に透けると金色がかるのが美しい。頭もちいさくて、顔もちいさくて、睫も長くて、オレは兄者より美しい人を見たことがない。その美しい兄者が、わずかに怒りに気配をこわばらせているのが、オレにはようくわかった。けけけけ。べえと舌を出すと、軍人どもがいきり立った。銃を懐から出して、引き金を引くのが見えた。しかし、それよりも兄者が刀を抜くほうが一瞬早い。
 見とれるようなしなやかな刀捌きは、オレにはない技術だ。いつも見とれてしまう。流れるように、刀が光を反射しながら吸い込まれるように人肉を裂く。それは肉の上を撫でるように優美だ。皮膚の上を刃でなぞり、切れ目も美しく肉が裂ける。オレの我流の腕ではこうはいくまいというくらい、銃を構えた手前のほうが足を腹を腕を顔を喉を眼球を動脈を切られて、ごろごろと脇に転がり、ゴミ箱に当たって止まった。けれど奥にいた男まではすんでのところで刀は届かなかった。怯えてめちゃめちゃに銃を連射しながら、腰を抜かしたために助かったのだ。いきなり地面にへたり込んだ男の頭上を、兄者の刀身が滑っていく。軌道を読むことの出来ない弾丸は一番危険だ。兄者と、オレは叫んだけれどわずかに遅い。予想もしないところへ飛んできた弾丸が、兄者の頬をかすり、まっすぐ背後の壁に飛んでいく。打ち込まれた弾は鈍い音をさせて、石壁を砕いた。銃声は意外に大きく響いた。いずれここへ誰かが銃声を聞きつけてやってくるかもしれない。



 けれど、いまはそんなことはどうでもいい。どうでもいいんだ。どうでもいい。
 頭に血がのぼる。
 ずくずくと痛むほど、頭に血が上っていくのがわかる。


「・・・・・・・・てめえ」
「ひ、・・・・・」
「兄者を傷つけたな」
 ぶるぶると腕が震えた。握り心地の悪いナイフを放り出す。そのままナイフは地面に突き立った。
 白い頬が、傷ついて真っ赤な血を滴らせている。兄者の血を見たのは久しぶりで、それだけで充分に制裁する価値があった。ここが街中だとか、今日は祭りで人出が多いのだとか、一歩この路地を出れば、そこは大通りなのだとか、そんなことは、一切、関係ない。
「・・・・おい。このぐらい大丈夫だ」
「大丈夫じゃねえよ、血が出てるじゃんか」
 兄者を。
 傷つけるなんて。
 眉間の間が鈍く痛む。眼球の裏が焼けるように熱い。衝動は押し殺せそうにもない。唇を噛めば、鉄の味がした。
「・・・・・ほどほどにしておけよ。もう時間があまりない。なるべく早く殺せ」
 とめてくれるのだろうかと、兄者を期待した眼で見ていた男の顔色が絶望に染まった。既に戦意は喪失している。けれど、少し遅かった。
 もう遅い。
「こいつらのように気がつかないままいつの間にか死ねる幸福を羨みな?お前には即死なんて贅沢、絶対にさせてやらねえよ。あ、そこのお前もな。足首ないから勘弁してもらえると思うなよ?戦場で休憩とかタイムとかねえだろ?そういうこと」
 ごきごきと関節を鳴らす。両手の指先で空をわしづかむように幾度か掻く。潰すのは久しぶりだ。笑う。うまくできっかな?
「爪先から頭のてっぺんまで、細切れにしてやんよ」
 はじめは喉笛だ。
 悲鳴を奪う。









「ほら」
 布でぐいぐいと頬をぬぐってもらってオレは上機嫌だ。兄者がオレの世話をしてくれるのは、とってもいい気持。
 あの細い路地からも祭りの喧騒からもだいぶ離れて、結構大きな民家に忍び込んだ。鍵なんかあってないようなものだ。ぶっ壊せばいいんだから。品のよさそうなテーブルの上に飾られた花瓶を片手で打ち払って、オレは腰をかけた。趣味のわりい花柄の絨毯の上に薔薇が散った。うへー。しかし趣味わりー家。家主は成金のババアだな。そうに違いない。
「ここも。兄者、ここも血」
「自分でやればかもの」
「ぶっ・・・・なんでえー。いいじゃんか」
 両手を綺麗にしてもらおうと差し出したオレの手をあっさり叩き落として、兄者は布を放り投げた。仕方なくそれを受け取り、自分でぬぐう。ちぇ。兄者は、剥ぎ取った軍服の、サイズの小さいほうをオレに渡してくれた。兄者は既にもう着替えている。着ていた服は血が滴るほどぐちゃぐちゃで、めだってしょうがなかった。軍服に着替えれば、そこいらを歩いていてもすぐには気づかれないだろうという、兄者の提案だ。もう、ほんとうちの兄者は賢い。
 兄者は少しズボンが丈がたらないようだった。当たり前だ。そこいらのぶっさいくなやろうのサイズなんか、兄者に合うわけないのだ。
 しかし。
 それにしても。
 オレは軍服を着込んだ兄者をみて、ため息が出そうになるのを堪える。
「兄者あのね、あのねえ・・・・」
「なんだ」
 怪訝そうに眉を寄せる兄者に、けれどどうしても言いたくて。
「・・・・・・・・・・兄者、すっげ、かっこいい!!キャー!かっこいい!」
 いやほんと。
 まっずい。
 まずいくらい、かっこいい・・・・!
 きゃあきゃあと騒ぐオレを一瞥して、兄者はため息をついた。もうその仕草も厭になるくらいかっこいい。
 さっき、あのブサイクどもが着てた時は、だっさいペアルックくらいにしか思わなかったのだが、兄者が着ると全然印象が違う。すっきりとした体に、意外にタイトなつくりのラインが綺麗にでていて、最高にカッコいい。
「えー。カッコいいなー。かっこいい!オレも、そのくらい身長あったらなあ。オレチビなんだもん。すぐ女に間違われるし、へんなのが寄って来るし」
「すぐに大きくなる」
 ぽんぽんと頭をはたいて、兄者がちょっと笑った。うう。かっこいい。
 軍服に袖を通す。変なにおいがして、いやだなあ。でも兄者とおそろいだと思えば悪くない。おそろいの服なんて、そういえばもってない。欲しいなんていったら、また困らせるかな。
「先生のところに寄ってから帰ろう」
 先生。その言葉にオレは顔をしかめる。
 ううー。オレアイツ嫌いなんだよなあ。メガネ面を思い出してオレはため息をつく。先生といってもなんのことはない。東の、普段オレ達兄弟が根城にしている、スラムの藪医者。確かに奴を訪ねる条件は揃ってる。そのオレのしかめっ面に兄者が苦笑して額をはじいてきた。
 こうされると弱い。
「ううーん・・・。まあね。土産できたし。あ、飴もあげよ。七色キャンディ。すげえまずいの。ケケケ」
 まだ舌の上に残る味を、分けてあげたくて兄者の首に両手を回した。そのまま背伸びをして、笑いながらくちづける。ちゅ、とやわらかく触れるだけだったそれが思わず深くなる。綺麗になった両手で少し冷たい頬を挟んで、舌をのばすと反応が返る。
「・・・・・・ぅ・・・ん」
「まずい。・・・・・・こら」
 困ったような声が吐息の合間に届いたけれど、いくら兄者が嫌がってもこればかりはやめられずに唇を重ねた。
「えっちしたいなー」
 だめ?と荒い息のまま聞くと、兄者が首をふった。
「なんで?」
「ここでか?」
 むせ返るような血の香りにそれもそうかと思う。靴底で肉片を踏んづけたらしく、さっきからぐにぐにと変な感触だ。足を抱えて裏を確かめれば確かに粘つく塊がこびりついていた。それを爪先でつまんでテーブルに載せる。
「そっか」
 笑って額をあわせる。
 ここでは、流石にまずいだろうか。死体があるからじゃない。誰か来た時に中断するのが嫌だからだ。祭りはそろそろ終盤に近づいている。遠くで耳鳴りのような花火がバカみたいに、空ではじけている。
 しょうがねえなあとひとまず我慢することにして、名残惜しく音をたてて兄者のほほに口をつけた。
 ぴょんととびおりたら、思わず横たわる男の頭を踏んづけてしまう。おおと。危うくこけるところだ。けれど兄者がちゃんと手を繋いでいてくれるのでこけたりしない。祭りに行かなかった、この家がたまたまオレらに選ばれた、そういう不幸が重なって、この男は死んだ。オレが殺した。
まあでもさっきの奴らに比べれば幸運だよな?ゴメンネ?
「あ」
 ふと思い出してオレは口を塞ぐ。兄者が怪訝な表情で覗き込む。
「忘れ物」
「なんだ?」
「包丁。あーあ。折角切れ味よかったのになあ。まあいいか」
「包丁・・・。おまえな、あんな短い得物では扱いにくくはなかったか?本当に無茶をする」
 あきれ返ったような兄者の笑顔に、あのおっさんの話をしてやろうと思ったけれどやめた。
 なんとなく。
 兄弟間にも一つや二つの秘密は必要だろう。うん。
「なんだ?なにを笑う?」
「なんでもね。じゃあ新しいのどっかで盗ってく?兄者とおそろいがいいなあオレ」
「そうだな。そうしよう」
「確かに包丁じゃちょっと格好つかねーもんな。スライサーの名が泣くね?」
「そうだな」
 

 それは二人で一つの名だ。二つの魂を一つに寄り添わせる大事な、たったひとつの、オレの、オレ達の名。オレたちの魂が一つなのだと証明してくれる大事な名だ。だからオレには名前なんか必要なかった。オレと兄者を分かつものは何一ついらない。名前すらいらない。皮膚すらいらない。そんなものは邪魔なだけだから。

 世界は二つに分けるほど複雑じゃない。
 世界は一つだ。



















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