1
オレは最高に幸運な男だ。
傍らの安い酒のビンを片手に、シャウロは思った。朝からがぶ飲みしたアルコールが腹の底から香る。
鼻歌を歌いながら、でたらめに商品を並べ替える。シャウロは代々伝わる刀鍛冶の家系だった。いつもは、嫁に任せる露店の仕切りも、今日ばかりは自分で陽気に客引きをする。
一年に一度、この東部の外れの町では春の到来を祝う祭りが行われる。いつもはさびれて人通りの少ないこの町も、今日ばかりは往来を嬌声がにぎやかした。それなりに、大きな祭りで近隣の町からも人が面白いほどなだれ込む。シャウロの露店の前を、さまざまな人間が通り過ぎてゆく。向かいの露店が見えなくなるほどだ。風にのって、子供の爪のようなうつくしい色合いの花弁が、シャウロの鼻先をかすめた。捕まえようと掌を振り回すが、酔いの回った神経はうまく言うことを聞かなかった。
祭りはいい。なにせ気分をたまらなく高揚させる。
世界の全てが、オレのために回っているようだ。今日のこの肉切り包丁のできばえといったら!代々続くこの家を守ってゆくことが男にとって、唯一の使命だ。うけついだ技術をまた息子に伝え、孫に伝え、乱暴ものだが気のいい妻と悪口雑言を応酬しながら、そしておいさばらえて、憎まれ口をたたかれながらぽっくりいくのだ。これ以上に幸福な人生はない。
オレは世界一幸福だ。
そして酒があれば、これ以上いうことはない。
直接ビンに口をつけながら、シャウロは酒を煽った。思い切り空を仰げば、蒼天が広がっている。今日は最高に良い日だと、シャウロが首を下げれば、そこに子供が座り込んでいた。じい、と並べられた包丁を面白そうに眺めている。
子供というには語弊があっただろうか。シャウロの子供と同じほどの背丈と体格だから、年のころは14・5歳だろうか。少女のような顔立ちだが、その妙に骨ばった体は確かに少年のそれだ。長い睫の下の、黒曜のような大きな目玉がくるくると動く。
「よう坊主。こんなもんが珍しいか」
シャウロの問い掛けに、子供が視線をあげて人懐こく笑う。
「きれいだなとおもって。おっさんがつくったの?」
「お!おめえわかるか?この出来の素晴らしさが!そうだ。全部オレがつくったのさ」
「へえそう。こんな祭りの露店で売ってるような刃物、大したことねえと思ってたけど。これはなかなかいいんじゃん?」
妙に赤汚れた指先で、大ぶりの包丁をはじく。キタネエ手だなとシャウロは一瞬思い、改めて子供を頭から爪先まで確認する。
「オメエ、それ血じゃねえか。なんだ、どこのバカに悪さされたんだ」
よくよくみれば、子供の衣服のそこかしこには血が点々と飛散っている。子供はそのシャウロの言葉に一瞬不思議そうに目を見開いて、自分の体を見下ろしている。
「どっか怪我してんなら、寄ってくか?うちのかみさんに手当てさせるから」
「や。大丈夫。オレの血じゃねえし」
「そうか?そんならいいけどよ」
あとでシャウロはこのとき交わした会話を何度も反芻することになる。
酔っ払った頭が、子供の言葉を正確に汲み取らなかった幸運を。
「今日は祭りで、東部のゴミタメみてえなスラムからも、おかしなのが沢山流れ込んできてっからな。オメエくらい可愛い顔してたら、頭のおかしいのになんかされてもおかしくねえ。一人できてんのか?」
「ううん。兄者と一緒なんだけど。はぐれちまっていま探してるとこ。なんせ人が多くて。祭りなんかはじめて来たから、よくわかんねえんだよな。まあ、楽しいけどさ」
そういわれて、改めて不安を思い出したように少年は唇を尖らせ、遠くを見るように瞳を眇めた。見慣れないこの子供が、違う街からやってきてどんなにか心細かっただろうと、酔っ払いの誇大解釈でシャウロは抱きしめてやろうかと思うほど感情を揺さぶられた。
「ま、すぐ見つかると思うけどな。で、話は変わるけどおっさん、コレ頂戴」
にっこりと笑って小首など傾げてみせれば、その愛らしさはシャウロの娘の比ではない。白い指先でまっすぐ、子供の手には余る先ほどの肉切り包丁を指差している。
「なんだあ、お使いだったのか。えらいなオメエ。っしゃ、おっさんのおごりだ。もってきな!」
「・・・おごり?」
「ただってことだよ。おっさんは、オメエが気に入った」
破顔したシャウロを、心底不思議そうに少年は見つめている。
「・・・・・・・・・・・・・・・へえ。マジで?」
「ちょっとまってな。包んでやっからよ」
刃先をくるむための紙の束を取り出そうと背を向けて、シャウロは身をかがめた。それと同時にがらんと、何か鉄の塊を投げる音が乱暴に響いた。
「おっさん、アンタは最高にラッキーだ」
少年の囁くような声が、往来の騒音にかき消されることもなくシャウロの耳に届く。
「このオレに目をつけられて、五体満足だった刀鍛冶はかつてねえ」
ハナから金出す気なんかなかったからなと、先ほどまでの無邪気な声のまま少年は笑う。あんたみたいに、みんな物分りがよかったら良いのにな?という言葉に、何故だか振り返れずにシャウロは紙束を握り締める。
「おめえ」
春の陽気のなか、何故だか寒気を感じてゆっくりと振り返る。少年の姿はすでになく、肉切り包丁の置いてあった場所には代わりに赤黒く汚れた一本の鉄塊が残されていた。
ぞっと、背中に雫が知らず伝う。
10年つかいこんだ包丁だろうが、ここまで傷みはしないだろう。刃こぼれ、などという生易しい状態ではない。
肉片が生々しく絡みつき、鍔の部分には脂がこびりつき腐臭を放っている。
たったいままで自分が会話していたモノは、一体なんだったんだ。
すくなくとも、あれは子供なんかじゃあない。そんなかわいいもんじゃない。
「ちょっとあんた!だれが一瓶あけるほど呑んでもいいっていったのよ?!また、お金もらわずに商品あげちゃったんじゃないでしょうね?」
けたたましい妻の大声にふと現実に引きずり戻される。
自分がその異臭を放つ鉄塊を知らず手にしていることに気がつき、シャウロはあわててそれをほうりだした。
「なあに、その汚い刀。もう!ちゃんと働くっていうからかわったのに」
「なあ」
「・・・・・・なによ?なんか顔色悪いわよ?拾い食いでもしたんじゃないでしょうね」
怪訝そうな妻に、完全に酔いのさめた男は呆然とした体で呟く。
「オレは、最高にラッキーな男だな」
祭りにさそわれて、変な悪いもんがまぎれこんじまったなとひとりごちて、シャウロは妻に頭を思い切りはたかれた。
袋一杯に詰め込まれた、七色のキャンデーは正直うまくなかった。くせえなあと顔をしかめながら、それでもオレは手を突っ込んでがむしゃらにそれを掴む。ぼりぼりかみ締めれば、なじみの医者によく出される、化膿どめのそれによく似ている気がした。
あたりを見回せば、眩暈がするほどの人だ。
コレが祭りかと妙に感心しながら、しつこくあたりを見回す。もう首が痛い。
兄者はどこいったんかな、と唇をとがらせる。確かに物珍しさに視線を奪われてはしゃぎすぎたからな。気がつけば兄者とはぐれてオレは、見も知らない町で一人迷子になっていた。
つうか。
なんでこんな日にこの町にくる必要があったんだろうかと密かに首を傾げる。物珍しさが際立って、確かに自分は楽しいのだけれど。本来ならば、騒がしいのを厭う兄らしくなく思える。
兄者はどこにいったんだろう。こんなに離れているのは初めてで、段々と腹の底がいらいらとしてきた。酷い空腹によく似ていてそれだけで懐の刃に手が伸びそうになる。
片っ端からぶっころそうか。そしたら兄者もオレに気づいてくれるかなあ。
けれど、これだけ人がいたんじゃあ。折角の刃がまたすぐ使いもんにならなくなるしなあ。
はやく兄者にさっきの出来事を話したいのに。
へんなおっさんが、オレ何にもしてねえのにコレくれたんだと、兄に話して聞かせてやりたい。どんな顔をするだろうか。笑ってくれるだろうか。わくわくと沈みかけた気分が高揚する。兄者。兄者。兄者。
兄者と遠くへ出かけるのは大好きだった。兄者はすぐいやそうな顔をするけど、手を繋いで二人で歩くのは最高に楽しい。ずっと手を繋いでれば、こんなにはぐれる事もなかったのに。珍しい見世物についはしゃいだのが悪かったんだ。はやく兄者を見つけて、もう一回見て回ろう。
人の隙間を縫うように、駆け抜ける。そして、後ろからいきなり腕をつかまれ、裏路地に引き込まれたのはそのときだ。一瞬兄者かと、抵抗もせずに、素直に従う。乱暴に腕を投げ出され、オレはそのまま地面に転がった。兄者!と目を輝かせたのもつかの間だ。地面に転がったオレを取り囲むのは、頭からゲロをかぶったようなこの世のものとも思えないブサイク5人組だ。
「はい!かわいこちゃんいっちょあがりぃ」
ニヤニヤと笑いながら、ブサイクその1がその2にハイタッチをかましている。恥ずかしい。今すぐ死んでくれないだろうか。
「びびってんのか?かわいーなあ!おじょうちゃん、オニイチャンたちと一緒にあっちであそぼっか」
その3が、薄暗い路地の奥に開く、扉を指差してぐねぐねと体をくねらせた。なんだ、頭の病気なのか?
あまりのことに声もでずにオレはひたすら転がっている。
そもそも男と女の区別もつかないのだろうか。
確かにオレは男にしたら規格外にかわいい顔立ちなのだが。
「んん。怖くて声もでねえってか。違う違う、痛いことはねえんだよ?ま、はじめは痛いけどな?」
「そうそう。膜やぶっちまえば、あとはキモチイイだけですから!」
表通りからの視線を妨げるために、路地の入り口をその4とその5がさり気なくふさいでいる。ナルホド。そこそこ手口に慣れが感じられて、オレは感心した。ナルホドナルホド。徒党をくめば、真昼間からあんなことやこんなことがやり放題な訳だ。
まあもっとも、オレは兄者以外の人間なんかうんこ程にも思ってないが。あらら。下品。兄者にまた怒られるなあ。
「おいウンコども。一応きいておく。世界一キレイで世界一強くて世界一かっこいいオレの兄者、見なかったか」
寝転んだままそう問うと、うんこ共はようやっとオレの性別に思いあたったらしい。本気で頭は大丈夫だろうか。
「・・・・・男じゃんか」
「オレのいったこと聞こえなかった?それとも違う星から来た?ウンコ星人?精子からやりなおせよいっそ」
「・・・・・あんまなめんじゃねえぞクソガキが」
「そのクソガキにちんこふくらましてんじゃねーよ。たしかにオレはあんたらと違って超!かわいいからねえ?おらおら、やりたかったらちんこ出してみろドブス。去勢してやっからよ?」
あれドブスはちょっとちがったな、とオレが思っているとたちまち取り囲むウンコ共の顔色がどす黒く変色していく。
ちょっと血が騒ぐ。新しい刃を試してみたいというのが、何よりも頭にあった。わくわくして、懐から手に入れたばかりの肉切り包丁をだすと、男たちが一斉に笑う。む。なんでだ。
「オジョーちゃん!それは包丁!おうちでお料理するときにつかうの!」
「マジうける!おままごとじゃねえんだからよ。妙に強気だと思ったら、そんな危ないもんもってたの。いけまちぇんよ、おててをきりまちゅよ」
「せめてこんくらい用意しとかねえと。おかあちゃんにならっただろ?目上の人は敬いましょう、知らない人についていっちゃいけません、銃で撃たれたらしにますよって」
真っ黒な鉄の塊をちらつかせて、頭に花の咲いたバカが楽しそうに笑ってる。唾の一つでも飛べば死刑だと決めていたオレは、顔をしかめた。
「さて、たちな小僧。男でも、尻の穴くらいはあんだろ?次が見つかるまではお前が口なり尻なりつかって、俺らとあそんでくれねえか」
「ばーか、これはねーこんくらい切れるんだ、よ」
頭元に立つ男の足首に、思い切り刃を振った。
骨まで絶つ、手ごたえの心地よさに笑う。
なあんだ。
やっぱ、最高に使い勝手良いじゃんか?あんまりこいつらがバカにするからびびっちまったじゃねえか。
「・・・・・・・・・・・・っあ!」
喉の奥で絶叫が絡んでそのままつぶれた。その1は、そのまま後ろにしりもちをついて、自分の右足を呆然と見つめている。正確には、足首から先を失った、その断面図をだ。
その2〜5は絶句してその1に視線をやる。なんだ、拍子抜けするほどぼんやりしてんな?こいつら。
真白なその断面図から、突然冗談のように血が噴出す。こんなもんをあびるのは勘弁、とすでにオレは立ち上がっている。
「いいっしょ?コレ。あ、つってもやらねえぞー?コレは兄者に見せるんだからな。オレんだから!」
にこにこと、血の匂いに機嫌を直してオレは笑った。少しは胸がすっとした。そして、こうやってれば兄者もオレに気がついてくれるかもしれないし?天才。オレ天才。
「・・・・てめ・・・・・・!」
その2ががちがちと震えながら懐のナイフを取り出す。なあんだ。銃じゃねえのかよ。まさか飾りでもねーだろうに。
「銃ださなくていいのかよ?わりいけど、オレ素人にも容赦ねえぜ?」
唇を舐めあげるのは、オレの癖だ。
「さっきのおっさんが、本日最高のラッキーなら、あんたらは差し詰め本日最悪のアンラッキー!おめでとう!本日はじめてのオレの獲物だ」
うるせえだかなんだかいいながら、ナイフを振りかざしてその2と3がオレめがけて突進してくる。
ああ、たまらなく興奮するな。
こういう弱いものいじめって。オレは別にそんなS気質じゃねえんだけど。
バカ相手だと、心優しいオレ様の良心も疼く暇がねえしね?
戻/進