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 ずくずくと頭の奥がしびれるような鈍痛に、エドワードは手をひかれるように意識を取り戻した。喉が、散々泣いたあとのように干からびていて、すぐには声がでない。見覚えのない白い天井。呼吸がしづらかった。ずず、とハナをすすり、はれぼったい瞼をこする。ここはどこのベッドで、今は何時で、オレはどうしてこんなところで寝てるんだ?
「ぁの、」
 上ずった声だった。『泣いたあとのように』?誰かにボコボコに殴られたあとのような。エドワードはゆっくりと体を起こす。と同時に頭部に走る激痛に驚いて、一息に覚醒した。手でわずかに触れると即頭部が腫れていた。
「・・・・たんこぶ・・・」
 いつぶつけたんだろうと思い返すけれど、心当たりはひとつもなかった。なんだ?なんなんだ。
「あ」
 エドワードの足元の当たりで、ベッドに突っ伏している某上司を発見。
「・・・・うわ、熊とでも戦ったのかよ・・・」
 白い端正な顔。エドワードの好きな、綺麗な顔(実は結構面食いなのだ)、その右頬が。
「パンパンなんですけど・・・・」
 寝ているというより意識を失っているようなロイ・マスタングに、触れるのがためらわれてエドワードは途方にくれた。まいったな。状況がちっともわからない。・・・・・・・・・オレがやった?のか?
「まっさかな・・・・・・・・なー・・・・・・?」
 
 ありえなくもない。

 寝ぼけて一戦やらかしたんだろうか。ここはでは軍部か?医務室?ベッドの周囲を囲むカーテンを指先で引いて、向こうを覗く。確かにここは医務室だろう。間違いなかった。だが誰もいない。自分と、この顔パンパンの上司だけ。
「・・・・・・・・・オキロー・・・」
 恐る恐るロイの頬に触れる。指先で、腫れていない部分をそっとなぞる。なんだろう。こうして触れるのがひどく久しぶりのような。変な感覚だった。「ように」とか「ような」とか。そんなふうにばかり表現してしまう。腫れた部分に触れると、ロイがぴくりと肩を揺らした。目を覚ますだろうかと思ったけれど、ロイは突っ伏したままうごかなかった。静かだなあ。エドワードはもう一度ベッドに背中を預けた。頭が冴えていて、もう一度眠る気分にはなれなかった。最後の記憶をたどろうと、エドワードは反芻する。大佐んチでご飯食べて、無理やり一緒に入ろうとする大佐と風呂場で錬金術の応酬をして、服脱がされて、結局二人で風呂はいって、本棚あさって、あっためた牛の汁(語弊がある)を無理やりのまされそうになってギャアギャア騒いで、騒いでいるうちにロイがいきなり抱きしめてきて・・・・・
「あっなんか今すげえいやなこと思い出しそうになったっ」
 かああああああと頭に血を上らせて、エドワードは両腕で顔を覆う。恥ずかしいからいやだと抵抗するエドワードを、脂下がった顔でなだめすかして後ろから延々犯された。中で出されて、それでも許さずにそのままぐちゃぐちゃにされた。・・・・・・・それから?
「そっから記憶がねえな・・・・・気、失ったとかなのか、もしかして」
 恥ずかしくて死ぬ・・・!と伏せてじたばたしていると、「エド?」とちいさな呟きが耳に届いた。肩越しに振り返ると、恋人兼上司が口をぽかんと開けていた。
「エド?」
「ほかの誰に見えるってんだよ」
「・・・・・・・・何歳だ」
「・・・・・は?何をいまさら。てめえの淫行罪でも確認してえのか変態」
「・・・・・・・・・・エドワード・エルリックだ」
「・・・・・・・・・・だれがアンタの顔にワンパンいれたのかわかんねえけど、すげえそいつの気持ちわかるわ、オレ」
「エドワード・エルリックだ・・・・・・!!!」
 飛びついてきた男の腕が少し痩せているような気がして、エドワードは突き飛ばすタイミングを見失う。ぎゅうぎゅうとやたらにしがみつかれて、子供みたいだなと思う。
「ほっぺた、どうしたんだよ」
「アルフォンスに、ちょっとな」
 笑う男の頬はちょっと、という程度のものではない。ロイがあくまでもエドワードの上司である以上、ここまでの暴力をアルフォンスが振るうなどとは考えにくく、エドワードは言葉につまった。なにがあったんだろう?
「・・・・・・なにがあった?」
「いやまあ・・・・・あのな、・・・・・・・あのなあ・・・・・・・」
 これほど歯切れの悪い喋り方をする男だったろうか。なんだか気まずく、見てはいけないようなものを見ている気恥ずかしさが、結局甘えを許してしまった。跳ね除けることも抱きしめることもできずに、エドワードの両手はあいまいに宙に浮いた。ベッドに体を起こしたエドワードの膝に顔をうずめて、放心しているようにも見える。その背中が少し痩せているようで。
「・・・・・・・よしよし・・・・・・・・・・とか」
 なんとなく撫でてしまった。
 それが心地よいのかロイは顔を上げようとしない。
 恥ずかしいなあ突き飛ばしたいなあと思わないでもなかったけれど、小さな子供のようなしぐさが可愛い。遠くで射撃の銃声が響いている。こいつ仕事はいいんだろうか。
「・・・・・・・結婚」
「けっこん?」
「してくれると、君が言ったんだ」
「・・・・はあ」
 唐突過ぎて何がなんだかわからなかった。
 そんなことをいった覚えは絶対にないし、自分の性格上、寝言だろうとそんな世迷言を口走るなんてありえなかった。
 なにってんの、という正直な感想を飲み込んで、エドワードは続きを促す。まあ、聞いてやっても罰は当たるまい。
「そんで?」
「君がね、結婚してくれると言ったんだよ。何回生まれ変わっても、私を、君は好きになるんだ。大きくなったら、私と結婚するんだって言ってくれたんだ」
「・・・・・・・・・」
 大きくなったらのところで、こいつの腫れあがった顔面をさらに膨らませてお空に飛ばしちゃおうかなとエドワードは考えた。
「君今、なにか不穏なことを考えなかったか?」
「・・・・・いいから要約してくれねえかな。何が言いたいのか一体なんなのかちっとも理解できない」
「私は君のその、愛情にちっとも報いることができていないので、この先君を絶対に幸せにして、裏切らないで、一生愛して、大事にして、喧嘩をして、必ず仲直りをして、お互いに腹がでてきたなあとか言い合って、中年男が二人で手を握って石鹸を買いにいったりして仲良く老いさばらえて、君が死んでしまうのは悲しいので、私がさっさとぽっくり死んで、君に悲しい悲しいと泣いてもらいながら庭に埋めてもらうんだ。・・・・・・そう決めたんだ」
 そう一息にいい、ロイは大きく肩で息をした。
 エドワードは、ロイの言葉の一つ一つを反芻して、そうして自分の膝の上でうずくまる29歳の中年男子に、悲しくなりながら、それでも彼の語った未来があまりにも幸福感にみちていたので、しばし声を出せなかった。
 
 そんな未来がまっているわけないだろうに。

 それでもかたくなにそう信じているロイが、かわいそうで、愛おしいと思った。
「・・・・アンタがボケたらオレがオムツを替えてやるよ。そのくらいは、してやってもいい」
 ものすごく先の将来を約束してしまい、これが世に言うプロポーズなのだろうかとしばし首を傾げる。もっと甘く夢に満ちた毒々しい愛の言葉ではなかったけれど、それはエドワードの胸をやさしく温めた。
「ほらな」
「なんだよ」
「やっぱり君は、私を好きなんだ」
 ようやく上げたロイの情けない顔に笑い、エドワードはそのほっぺたに小さくくちづけた。










「あ。目が覚めたんですね、よかった!」
 水差しを両手にしたフュリーが医務室に入るなり、エドとロイの両方を見て、心底安堵したように肩を落とした。このまま一生目が覚めないんじゃないかと思いましたよ、せんせーい!せんせーい!!目が覚めましたよー!!!と大声を張り上げる。それに伴って、どたどたバタバタガチャガチャガシンガシンと複数の足音があわただしく近づいて来た。エドワードが呆気にとられていると、いつものメンバーがそれぞれの複雑な立場を如実に表情に表しながら、けれど喜び、ロイとエドワードのベッドの周りを取り囲んだ。白衣の女性がエドワードの脈を取り、即頭部のたんこぶを確認し、ロイの頬の腫れを確認している。それを押しのけるようにして、アルフォンスがエドワードにしがみついた。もちろんロイは正真正銘押しのけられている。
「兄さん、よかった・・・っ目が覚めただけで十分だよ、記憶を取り戻すなんて二の次だ!少尉の石頭と激突したんだもの、このまま寝たきりになったら、僕どうしようかとっ」
 ぎちぎちと鎧に締め付けられながらもエドワードは、聞きのがすことのできない一言を耳にしてしまった。


『記憶を取りもどす』?


「な、何の話っ・・・しょ、少尉とぶつか・・・っ??」
「ああもう本当によかった、あっ、兄さん、はい、これ、飴ちゃんだよ。お水も飲もうね、お薬はちょっと苦いけど頑張るんだよ。大丈夫大丈夫、苦くないでちゅよー」
 フュリーから水差しをひったくり、矛盾したことを平気で言いながら、アルフォンスはエドワードの口に飴を突っ込み水を注ぎ薬を押し込み、エドワードの言葉すら押し込んだ。ロイがその後ろで「あっアルフォンス、エドワードはな、そのな、元に、」などと必死に訴えるのを本当に見えていないのではないだろうかと思うほどの無視を、一同が決め込んでいる。
「でも本当によかったですよね。今までは幼児退行だったけど、これから赤ちゃん帰りしちゃったりなんかして!」
 フュリーが無邪気に冗談を言うのに、ハボックが笑いながら拳で突っ込む。
「あはははは、冗談ばっかり言うなよな、なあエドワード、まあ大佐もすぐにすぐ手を出してくるほど変態じゃねえから、安心して成長しろよ。大きくなったらお嫁さんになるんだろ?あっお婿さんかあ」
 ハボックウッカリ☆とでもいうような表情をするハボックを、アルフォンスが一撃で床に沈める。エドワードは呆然と、何の冗談なのだろうとハボックの言葉を口中で、薬と一緒に飲み下そうと反芻するけれど少しも頭に入ってこない。
「兄さん大丈夫?どこか痛いの?ままままままさか本当に赤ちゃん帰りなんて・・・・・」
 アルフォンスの鎧に血がめぐっているならば、さぞ青ざめたことだろう。というような絶望的な声を出して、アルフォンスはエドワードをふりかけのようにゆすった。
「しっかりして兄さん・・・・!」
「落ち着いて、アルフォンス君、まず名前を聞きましょう!!」
 アルフォンスの腕にしがみついて、ホークアイが同じく青ざめていた。ハボックをエドワードにぶつけたのは自分なのだという罪悪感のせいだろう。背後でロイが「だからもう、元に・・」と呻いているが、誰も相手にはしていなかった。さあ、名前を言ってみて!とホークアイもエドワードの二の腕を握りつぶさんばかりに掴む。さあさあ!と皆に迫られ、混乱しながらエドワードは呟く。
「・・・え、エドワード、エルリック」
「何歳?!」
「じゅ、じゅうご・・・・っ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・へ?」
「何なんだっエドワードエルリック15歳だよ文句あんのかよってたかたって・・っ」
 悲鳴のように叫ぶエドワードの声を掻き消す勢いで皆が歓声を上げた。わあああああにいさんにいさん!とアルフォンスはさらに飛び掛り鎧のトゲをエドワードの頬にグイグイ押し付ける有様だ。フュリーとハボックは手を取り合って喜び、ホークアイもその目に涙をため、気が狂うような怒涛の数日間を思い返して両手を握り合わせている。よかったよかった、よかったなあ大将、元に戻ってよかったなあ、今度後ろからヤるときはしっかり両足持ってもらうんだぞと余計なことをいい、ハボックはエドワードの肩をドンとついた。皆が手を取り合うその後ろでコソコソと逃げ出そうとしていたロイの襟首を、エドワードは容赦なく鷲掴み、ベッドの上に引きずり倒した。
「え、エドワード・・・・・くん?あれ・・・・や、様?・・・・・・・・」
 ロイの愛想笑いを一蹴し、エドワードは黙れとでも言うように口をふさぐ。
「みんな、ちょっとここでてってくれっかなあ」
 にこにこにこにこと笑うエドワードに、室内がしいんと静まり返る。ひくひくと頬をひきつらせながらあとずさるハボックは、ようやく自分が余計なことを言ったことに気がついた。けれどロイ・マスタングの自業自得だとエドワードに逆らおうとするものは一人とていなかった。ホークアイなどはすでに姿がない。出て行こうとする一同の背中に、エドワードは「先生だけ、ちょっとあとで来て貰えます?オレ、さすがに人殺しはいやなんで」と軍医を呼び止めた。軍医は「わたし絶対、だれにもいいませんから!」と、家に帰ったら辞表を書くことを決意しながら、ひたすらうなずいた。
「大佐。オムツくらいオレが三日にいっぺんはかえてやっから、安心して寝たきりになれ。な?」
 にこりと笑うエドワードの言葉の意味は先ほどまでとはまったく違っていることを認めざるをえない。
 やはり何から後悔したものか、ロイには理解できず、どうか顔だけは勘弁してもらえないだろうかと神に祈った。
「さあ、詳しく説明してもらおうか?」