「大佐はエロい」
 もっともらしくうなずきながら、ハボックはちんまりと椅子に腰掛ける金髪の少年と巨躯に似合わず子猫のような雰囲気で正座する鎧に向かってそう言った。
 確か今は会議中で、この司令室も留守だと聞いていたのに、ひどい誤算だった。
 のんびり取り寄せたばかりの錬金術書でも読みながら、この部屋の主の帰りを待とうと思っていたのに。雑用と留守を任されていたハボックが、春の陽気で眠気を覚えていたところに来た,、ちょうどいい鴨を逃がすはずもない。
 軍の階級で言えば自分よりも上を行く少年は、けれどハボックにとってはどうしても近所のガキ大将のイメージでしかなかった。もちろん彼の能力を過小評価しているつもりはない。けれどどうしてもその、勝気な性格とむき出しの火薬のように今にも弾けてしまいそうな喧嘩っ早さが自分の幼いころを見ているようで、ハボックは国家資格を持つ錬金術師、という事実をさておき、彼をかわいらしく思ってしまう。そしてハボックの、そこいらの少年のような扱いにエドワードがあまり抵抗しないのも一因なのだろう。まあたぶん、エドワードにしてもハボックを階級下の一少尉というよりは、兄貴分のイメージで一目置いているのだからおあいこ(?)だった。
 春先の陽気がエドワードの首筋をチリチリと焼く。花粉症の気はないはずだったが、どうも温もりが鼻先をくすぐって、瞼に掻痒感をもたらしている。眠気と混同してしまいそうだとも思う。春ってえのはなんだってこう、浮き足立った雰囲気なんだ。少尉を浮き足立たせるんだ。そんなことを思いながら、エドワードは無言でハボックの顎を見上げる。大佐がエロい?知ってら、そんなこたー。
「・・・・少尉、ヒゲねえな」
「お前人の話きいてるか?ヒゲ?剃ってんだよ」
「毎日?」
「まあな」
「めんどくさくねえ?」
「お前人の話し聞く気、」
「あっハスジカツオゾウムシ!」
「・・・・・人の鼻の穴指さすんじゃねえバカ」
・・・・どうしてこう、誰も彼も国家資格を持つ自分をバカだバカだと罵るのだとエドワードは歯噛みする。黙って事の成り行きを見守っていた、その筆頭である弟がのんびりとハボックへの援護射撃をエドワードの後頭部に叩き込んだ。
「いわゆる勉強ができるタイプのバカですよね、兄さんって」
「・・・・おおお・・・・」
 的確に急所を突く弟の、これはある種の才能だろう。うわあオレ、それは絶対いわれたくねえわあーとニヤニヤ笑うハボックをにらみあげながら、エドワードは自ら墓穴を掘る羽目になる。
「で!誰がエロいんだって?!」
 話題を変えるような話術がエドワードにあるはずもなく、聞きたくもない、上司の下世話な下半身事情を言及してしまう自分は、本当にバカだと再確認してしまう。早く、このチンピラ(失礼)の休憩時間が終わればいいのに。どうしてよりによってハボックが会議中の留守を一人でまかされているんだろう。正直ハボックは苦手なのだ。飄々として、「なにを」「どこまで」知って、わかって、考えているのか、エドワードのような人生経験の浅い小僧は、腹のそこまで見抜かれて居そうで。いたたまれなくなる。ハボックの人が良いだけになおさらだった。下手な悪態もつけやしねえ。
「大佐だよ大佐。大佐は本物だ。ホンモノの女好きだ。こないだ、きったねえ場末の娼館でクスリの売人捕まえんのに大佐と出張ったんだけどさ、」
「クスリ?」
「大将、その話で呼び出されたンだろ?」
「・・・・や、わかんねっけど」
「まーいーや。たぶんその話だと思うぜ。んでな、やっぱきれいなおねいちゃん達がよってたかって『マスタング大佐ぁん』って」
 その光景が目に浮かぶようだった。ひそかに立ち上る怒気と青筋にはハボックは気がついていないらしい。くねくねと体をよじらせシナをつくりながら、ハボックは裏声でアハンウフンと大奮闘している。今すぐ座っている椅子を蹴倒して、可能な限りの低音で、「で?」とうなりたいのをこらえ、エドワードは口の端を持ち上げて見せた。
「まあ、ここまではオレらも想定の範囲内なわけよ。大佐がすげえのはおねイちゃんたちだけじゃなくて、掃除のババアにまで色目使うっつうプロ根性だ。軍部に怯えて、事情聴取もしどろもどろのババアの手のひら捕まえて『チュッ』だよ。もうババアもポーっとなっちまうし、そらなるっつの!天性の女たらしだなありゃあ」
 なんのプロだと、突っ込みたいのをこらえる。プロがいるならばアマチュアは何だ。大会でも催されているのか。履歴書にかけるのか。年齢制限はあるのか。
「へえ、あっハスジカツオゾウムシ!」
「それはさっきもきいたっつうの!」
 胸元のタバコに手を伸ばそうとしたハボックの指を、すうと背後から伸びる手袋をした指が掴んだ。エドワードが顔を上げるのとほとんど同時に、
「ほう」
 と嫌味な声がした。
「誰がハスジカツオゾウムシだと?」
 にたりと表現するに正しい笑みで、うわさの上司がハボックの指ごとタバコを握りつぶした。「あ‘」とつぶれる悲鳴をあげるハボックは肩越しに振り返り、上司の姿を確認して、さらに「ギャア」と小さく叫んだ。
「失礼な。死んだおばあちゃんでも見たような顔をして」
「大佐!お早いお帰りで!ちなみにうちのばーちゃんはまだ生きてます!」
 ハボックの返した敬礼を一瞥して、アメストリス国軍大佐、ロイ・マスタングは背後に副官を従え、鷹揚に腕を組んで見せた。
「それは失礼。さて、今の話の続きはあとで私とゆっくりしよう、ハボック」
「あっどうぞお構いなく大佐!自分忙しいッスから!」
 つぶれたタバコをさりげなくしまいながら、ハボックは爽やかに退出していく。要領がいいのか悪いのかわからない!と少年二人に衝撃を与え、扉が閉まった。
「で、何の話をしていたんだ?どうせろくな話じゃあるまいが」
「・・・・・・べつに。つまんねえ話。それよりさ、何で急にオレら呼んだの」
 朴訥にそっぽを向いて、エドワードは問う。苦笑して、およそ三ヶ月ぶりに会う上司はエドワードとアルフォンスへ椅子を勧めた。ひさしぶりね、と笑うリザ・ホークアイへもうまく笑うことができず、エドワードは乱暴に椅子に腰掛けた。ロイも自分のデスクについて、常々いやみたらしいとエドワードが感じている、両手を組み顎を乗せるポーズをとった。
「ここ何ヶ月か、東部で起きている連続殺人事件をしっているか?」
「しらね」
 北部の山奥で今は使われない研究所にこもり、研究文書にかかりきりだった。何週間か一度、食料などの手配をするために町に降り、たまたま報告の電話をした際に呼びつけられた。世間で今、何がおこっているかなど知る由もない。連続殺人、という不穏な言葉に縁などあるはずもなかった。
「オレらに犯人を捜せとか、そういう話?」
「違うな。これを見てくれるか」
「・・・・・死体の写真とか、そういうのは」
「安心したまえ。足しか写っていない」
「・・・・・死体なんじゃねえか」
 ぼやき、エドワードは机の上に放られた写真を手にとる。アルフォンスは無言だ。これは軍の仕事、機密事項、自分が一般人であることをわきまえているがゆえだ。弟の聡さが、なぜかそのときは、妙に気に障った。
「・・・・・・・・・・練成陣?」
「やはり、そう見えるか?」
 道に、おもちゃのように投げ出された足。膝の部分から上は写っていない。人形の部品のようだなとおもう。こうして一枚の小さな紙に写された人の部品は、どうしてもリアリティに欠ける。ただそれを偽物と一線を画しているのは、膝の断面図に見える、骨や神経や筋肉組織がエドワードの記憶どおりだからだ。地面の血だまりに落ちる白い足。そしてその横に、確かに、規則的に描かれた練成陣の断片が残っていた。ほとんどの部分は、靴先だろう、かき消されている。
「何の式だと思う」
「なんのっつったって・・・こんだけじゃオレにもわかんねえ。・・・・・・でも」
 エドワードの言葉の続きを、ロイは待つ。待つ価値があるからだった。国家錬金術師であり、若干15歳とはいえ、ある分野においては、エドワードを超えるものをロイは知らない。
「あんたさ、オレを呼んで、ここでこうやって聞いてる時点でわかってんじゃねえの?これは人体練成の式によく似てる。ほとんど推測をでないけど、この式は・・・・・・」
 かあさん。
 人体練成、という言葉を、アルフォンスはどう聴いたのだろうか。それが気になって仕方がなかった。振り向きたい衝動をこらえて、エドワードはロイをはじめて真っ直ぐ見た。ロイは視線をそらそうとはしない。顎を組んだ両手に乗せて、エドワードを見返す。
「かも、しれない。君たちの式によく似ている。だが違うかも知れない。そうかもしれない」
「連続殺人・・・・死体の、状態は」
 
 かあさん

「残念ながら、という言葉は適当ではないな。一部欠損、もしくは一部分しか発見されていない」
 ほっとした自分を悟られたくなかった。オレたちが『作った』母さんのような死体が街中でゴロゴロ発見されるなんて、どういう悪夢だと思う。そんなことが現実に起こったら、とてもではないが正気ではいられないだろう。アルフォンスを振り返りたい。
「じゃあ、違うのかも・・・・違う式なのかも」
「ふむ。まあ、では捕まえてからはかせればいい。ご苦労だった。もういいよ。北部へでも戻って仕事の続きをしたまえ」
 ロイはあっさりとエドワードの手から写真を引き取る。にこりと笑い、これで話はおしまいなのだとでもいいたげに写真を引き出しにしまった。
「捕まえるって、めぼしついてんのかよ」
「スライサーという名前を聞いたことは?」
「・・・・・・あのな、そういう喋り方やめてくんねえか。しらねエッっつってんだろ・・・!」
「まあそう怒鳴るな。からかっているわけではない。東部では有名な殺人鬼の名前だ。おそらくそいつの仕業だろうというのが軍部の見解だ。刀使いでな。数えるのもバカバカしいほどの人数が犠牲になっている。この連成陣とともに発見された足の切り口の鮮やかさから、スライサーの犠牲者のうちの一人だろうと、」
「だろう?多分?かもしれねえ?そういうのはな、めぼしついてるっていわねえんだよっ」
「・・・・・・・なかなか痛いところをつくな」
「かっこつけんじゃねえっ」
 ガン、と拳をロイの眼前で叩きつける。ぴくりとホークアイの頬が揺れた。けれどかまうものかと思った。美しいロイの副官はどちらかといえば苦手なのだが、エドワードには彼女に遠慮するほどの余裕がなかった。人体練成、残された遺体、その連鎖。人体練成を行い、弟を魂だけの存在にし、自らも手足を失ったエドワードにとって、とても見過ごせる話ではなかった。そうするにはあまりにも、偶然が過ぎる。符号が一致している。「ご苦労だった」の一言で、自分たちを追いやろうとしているロイが腹立たしい。邪魔をされているようで。
「これをやったのがスライサーとかなんとかいう奴なら、オレが捕まえてやる。オレにやらせろ」
「だめだ」
「は?何で?あんただって、オレが適材だと思ったから、」
「違うな。適材ではない。あくまで、専門家の意見を聞きたかっただけだ。この練成陣に限り。話は終わりだ。帰りたまえ」
「・・・・・あーあんた、あれだ。公私混同してねえか?後見人だか、オレら気にいってんだかしらねえけどさ、それとこれとは別だろが。そんなにオレが好きなのかよ。甘やかしてんじゃねえよ。殺人鬼?上等じゃねえか。アンタに邪魔する筋合いねーよ!」
 間違った、とエドワードも、わかっていた。けれどとまらなかったのだ。頭に血が上りやすい性格なのは自分でもわかっている。けれど、それをさらに追い討ちする要因が今はあった。とまらなかったのだ。
 気がついたときには、頬の上でパンと乾いた音が鳴り、熱く火照っていた。ロイに殴られたのだと数瞬遅れて理解する。
 ロイは無表情のままだった。エドワードを打った手のひらを、また何事もなかったかのように組み合わせ、席に着く。そうして立ち上がったまま呆然としているエドワードを見上げていった。
「公私を混同しているのはどちらだ」
「・・・・・・っ」
「君たちの体を取り戻す目的の前には、何を犠牲にしてもかまわないとでも思っているのかね?何人が死んだと思っている?確かに殺人鬼の一人や二人、捕まえられないのは軍の無能、責められたとて仕方がない。けれど、この件を指揮し、犯人を捕まえる義務が、私にはある。子供の駄々に付き合い、軍の指揮をかき回し、これ以上犠牲者を増やすわけにはいかないのだよ。・・・・・・君はこのくらいのこと、わかっていると思っていた」
 一瞬くだらない、実にくだらない言葉が頭をよぎった。アンタ、オレの体と殺人鬼捕まえるのと、どっちが、と。かあ、と頭に血が上った。恥ずかしいなんて、思いたくないのに。恥ずかしい。恥ずかしい。オレは。
「・・・・・」
 失望、されたのか。オレは。
 この男に。
「捕まえたら、君たちにも報告する。だがけして自分勝手に現場をかき回すんじゃない。わかったな?」
「あんたなんか・・っ」
 やばい。泣きそう。泣いてたまるか。クソ。
「仕事中に女ナンパしたりしてんじゃねえかよ・・・っ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
「ババアの手にキスしたりしてんだろうがっ、えらッそうに説教たれんじゃねー!!このエロジジイっ」
 最低やっちまった最悪バカかオレはと怒涛のようにほとんど同時に後悔しながら、出てしまった言葉は取り消せなかった。やけっぱちで、唖然としているその場の全員に見せ付けるように椅子を気合一発蹴り飛ばし、エドワードは走って、
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・逃げた?」
「の、ようですわね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・兄さんっ・・・・・」
 がくりと肩をおとし、アルフォンスははあああああと重いため息をついた。あきっぱなしの扉のあとを追う気には到底なれず、兄の上司へと頭を下げる。
「・・・・・大佐、本当にごめんなさい。ごめんなさいで済むようなことじゃないのは僕もわかっています」
「・・・まあ君が神妙になることはない。きつくいうべきなんだろうがね。・・・・あの子の気持ちもわからんことはない、というのは、私が甘いんだろうかね?」 
 ホークアイがじろりとロイをにらむ。こんなことを許しているようでは貴方も佐官として失格ですとでもいいたげに。
「・・・・まあでも、すみません大佐」
「どうして中尉が?」
 頭を下げたホークアイが不思議で、立ち入るまいと律していたアルフォンスも、思わず問うた。
「エドワードくんに、この連成陣のことを聞くべきだって主張したのは私なのよ」
「まあ、私だってここまでひどいことになるとは予測していなかった。誰も悪くない」
 苦笑するロイに、苦労人だなあと同情の視線を向けて、アルフォンスはもう一度ため息をつく。
「悪いのは兄さんですよね・・・すいません。人体練成のこととなるとちょっと冷静ではいられないみたいで」
 それから、とアルフォンスは端正な顔立ちをした、黒髪の後見人をちらりと見上げた。
 ロイ・マスタングという男に関しても、エドワードが冷静ではいられないということ。この人は気づいているんだろうか。
「・・・・・・・これはオフレコなんだが・・・・・」
「大佐」
 咎める声音でホークアイが、声をかける。それにそ知らぬふりをして、ロイは続けた。
「あくまで連続殺人犯がスライサーだというのは軍の見解でね。この連成陣、それからほかのいくつかの事件に関しては模倣犯、もしくは手口の類似する別物がいると私たちは考えている」
「・・・・・・べつもの?」
 ぞっとしない。この東方にバラバラ殺人者が二人もいるなんて。
「アルフォンス、おそらくエドワードは私の話をきかないだろう。どうか気をつけてくれ。ああはいったが、私が君たちを気にかけているのは本当のことなんだよ」
「ありがとうございます。あの・・・・大佐、本当にすみません」
「なに。あの子供に変なことを吹き込んだ張本人には責任を取らせよう。中尉」
「はい」
「ハボックには、今日一日空気を椅子と呼ぶように言いつけてくれたまえ」
「はい」
 うわあかわいそう少尉・・・と兄を煽った張本人への過酷な罰を思い、アルフォンスは今生身なら絶対僕は笑っているなと確信する。
 厄介なことになったなあと思いながら、ようやくアルフォンスは兄の後を追う決意をした。