ROOM13


ルール1・あるホテルの13号室
ルール2・ホテルの部屋にはロイ・マスタング及びエドワードエルリック
ルール3・そのどちらかに死が訪れる

(注・映画ルーム13のルールから御題を拝借しています)




 背後で轟く爆音には、慣れてしまったらしい。暗闇に、一瞬閃く光の向こうで何が行われているのか、エドワードはもう知ってしまったからだ。
 右足が痺れて、うまく動かない。ただ熱い。銃痕は三つ。エドワードは、銃で撃たれたら、こんな風に痛むのかといまさらのようにぼんやりと感じた。肩を抱き、エドワードを引きずる男の顔を仰いで、なぜだろう、メンドクセエ、と思う。
 ほかの国ならばいざ知らず、軍事国家であるアメストリスでのクーデターという言葉の意味、その結果は身食いするのによく似ていた。誰が誰を何のために殺しあうのかもよくわからない泥仕合に発展するのに時間は掛からなかった。国家錬金術師同士の殺し合いの様相を呈し、ロイマスタングおよびエドワードエルリックとて例外ではなかった。 
 錬金術師同士の市街戦は、熾烈を極めた。錬金術師にとって土も水も壁も砂糖も凶器になる。だから油断したのだろう。まさか震えながら隠れていた下級兵士の小さな拳銃に仕留められるなんて。エドワードの右足を打ち抜いた兵士の頭は、この男、ロイ・マスタングが吹き飛ばした。絶命した兵士の痙攣する体を踏みつけて、ロイは無言でエドワードを引きずった。
 どこにいくの、とは聞かなかった。自分がもう使い物にならないことはエドワード自身が良く知っていたからだ。機械鎧の右手はとっくの昔に効かなくなっている。なにかを選ぶ権利などないのだ。戦場で使い物にならなくなった兵士に、なんらかを問う資格などありはしないのだ。ここは地獄なのだから。地獄で「これから自分はどこへいくんですか?」なんて普通、きかない。どこいったって地獄は地獄だろ?
 廃墟と化したホテルのドアを、ロイは踵で蹴り破った。瓦礫を乗り越え、暗闇の中、一番奥の部屋へと迷いなく進む。エドワードはニヘ、と場をわきまえずに笑った。ここ、来たことある。このおっさんと。13号室。あれはまだ春だったっけ。二人でぎゃあぎゃあ言いながら初めてセックスした。おかしいな。なんだかひどく昔のことみたいだ。
 首筋をひっつかまれて、無理やり部屋に押し込まれる。夜目にも、室内に何も家具がないのがわかった。開戦と同時に略奪と暴力が横行した、その結果だろう。ルームランプ一つ残ってはいない。ベッドなんぞどうやって盗むんだろうなと、昨夜笑い話にしたばかりだった。固い床に転がされながら、すぐさま出て行こうとするロイの足に、エドワードは何かを思う間もなくすがりついた。暗闇の中、逃がすまいと必死にもがいた。
「離せ」
「・・・・や・・・・だ!!」
「・・・・・鋼の」
「いやだ!!た、大佐・・・大佐・・・っ」
 ずりずりと無様にすがり、男の軍服を握りしめる。嫌だ。おいていかれる。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。それだけは嫌だ。
「た、大佐、いやだ・・・・っ」
「エド?」
 やさしい声音で男が名を呼んだ。嫌だ。あんたはオレをおいていこうとしている、一人で戦場へ、地獄へ舞い戻ろうとしている。オレをおいて。使い物にならなくなったオレを捨てて。役立たずを殺す手間すら厭って。オレを捨てる。壊れたおもちゃみたいに。
「・・・・・・エドワード?」
「・・・・・・・テメーおいてったら大声で泣くからな、脅しじゃねえから」
「・・・・・・・・・・・・ほんとに、」
 しょうがないな、と場違いなほど穏やかに、ロイが呟いた。轟音は、途切れることなく聞こえている。外は地獄だ。今も地獄であり続けている。どれほど、ロイは立ち尽くしていただろう。いくらかの逡巡の後に、ロイはゆっくりと腰を下ろした。ズボンのすそをつかむエドワードの指をそっと撫でる。逃げない、という合図だったろうか。エドワードにはそれが正確に伝わった。
「では少し休憩していくか」
「・・・・・そうしろ。労働基準法に違反してるだろ」
「違いない。・・・・・・痛むか?」
「アンタだってそんなの、きいたってしょうがねえことわかってっだろ。痛かろうがどうしようが、治療なんかできねんだから。なあそんなことよりさ、なんか違う話しようぜ」
「このしょうもない戦争以外の?」
 声が漏れた。笑うエドワードにつられたように、ロイも笑った。ほんとしょうもない。戦争なんかクソだ。
「昨日なに食った?」
「乾いたパンの端っこ」
「勝った!オレチョコ!」
 小さく拳を握ると、なおもロイは笑ったようだ。エドワードも笑った。足がひどく痛んだ。今も血が少しずつ流れていっているのがわかる。遠からずオレは死ぬんだろうなと思いながら、けれど最後のときまでロイがいてくれるならいいなと心の中で願う。このまま、せめて死ぬまで、二人で。いられたらな。
「負けた。どうして私のほうが上官なのに、君のほうがおいしいものを食べているんだ」
「アルが・・・・・・・アルが、アルがな。くれた。もう溶けてたけど、お守り代わりにずっと持ってたんだ。くっちまった。そのせいかもしんねえな。撃たれたの」
 アルの名を口に出すときだけ、声が震えた。アル。アルフォンス。結局もとの体に戻してやることはできなかった。ごめんなー。アー。もうオレはほんとしょうもねえ兄貴だな。
「さすがアルフォンスだな。今頃はリゼンブールか。いいな。私もいきたいな」
「・・・・・・くれば?」
「そうだなあ。そのうちな」
「そのうちっていつだよ。アンタはいっつもそうだ。そのうちこんどなまたいつか。そうやって約束を守ったためしがねえ」
「守るさ。失礼だな君は。鋼の、ところでもう少し君の近くに行ってもいいだろうか」
 唐突な申し出に返事をする間もなかった。ぐい、と腕を引かれて男の胸元に抱き寄せられる。鼻先に、汗と埃と男の匂いがくすぐり、エドワードは頬に熱を覚えた。
「わ・わ・・・ッ」
「いまさら恥ずかしがらなくてもいいだろうに」
「なんか恥ずかしいんだよ!なんか職場でセクハラされるOLみてえな気分・・・・」
 パチンと鼻先を弾かれて、いてえなこの!と怒鳴ろうと顔を上げたエドワードのすぐ近くに、ロイの輪郭があった。暗闇にぼんやりと浮かぶ、ロイ・マスタングの顔。はっきりと見えないのがもどかしくて、エドワードは思わず左腕を伸ばしていた。頬に触れたくて。抱きしめたくて。けれど触れるより先に、ロイがその腕を取った。動かないエドワードの右腕も押さえつけて、そのまま二人で倒れこむ。
「・・・・・ッテエな!!」
「すまん」
 何に対しての「すまん」だったのだろうか。押し倒して頭を打ったことか、それとも急な口付けにか。はあと深く息をついて、ロイはエドワードに唇をあわせた。
「んん・・・・・っ」
「ご褒美はあるか?君の願いを聞いた、私に」
 すでに男の息が荒かった。太ももに当たる硬い感触にびくりと反応してしまう。こんなところで?という思いと、こんなまねができるのもこれが最後かもしれないという思いとがエドワードを戸惑わせた。耳元に触れる熱い吐息が恥ずかしくて逃げたいけれど、ロイはそれを許さなかった。両腕をきつく握り、圧し掛かられる。べろりと首筋をなめ上げられて、エドワードは震えながら首をすくめた。涙がでそうになる。いつも。性的な欲求は腹の奥底でもどかしくくすぶる熾火のようだ。熱で煽って、満たされるまではけしておさまらない。セックスは苦手だ。息がつまる。喉が渇く。甘い痛みに我を忘れる。快楽は苦痛と紙一重で、嬌声はバカみたいで。ロイの性器が深く押し込まれるのを想像して、エドワードは息を呑んだ。
「ちょ・・・どけ」
 顔をそむけたエドワードを誤解したのだろうか。ロイは、苦笑に紛らわせて、ため息を深くついた。荒い息を整えようとするように。ゆっくりと力が抜けて、エドワードの上から男の体が退く。エドワードははいずるように男を追った。暗闇の中、手探りで男のズボンのすそにたどり着き、そのまま手繰っていく。男のズボンは、先ほどの兵士のものだろうか。血の匂いが濃く、ぐっしょりと濡れていた。躊躇いはなかった。こんな真似はしたことがなかったのだけれど。
「・・・・エド?」
 黙ってろ、という代わりに、エドワードは男のズボンのベルトに手をかける。不器用にそれを震える手でゆっくりとはずし、チャックを下ろす。ロイが息を呑むのがわかった。舌を伸ばすと、下着の下から熱く脈打つペニスの感触があった。ぐ、と舌をそのまま押し付ける。子猫がミルクを舐めるのににて膝まづいた。目を閉じて、必死に口付ける。体の中心が甘く痺れている。ズキンズキンと甘く痛んで、辛い。
「エド・・・っは、はなれなさい・・・っ」
 狼狽したロイの声音がおかしかった。アンタはこんなのいっつもオレにしてることなのに、オレがやったらいけねえのかよ。そう言う代わりに、下着の横から性器を引きずりだす。口をつけたくてしょうがなかった。こんなの普通じゃないとわかっているのに。
「エド・・・!」
「何だよ」
 ささやくように言うと、吐息がくすぐったかったのか、ロイはびくりと腰を引いた。変なの。いつもと逆。
「本当に駄目だ!」
「だからなんで」
「だから・・・っ」
 その言葉の続きと殆ど同時に、エドワードの頭にバタバタバタと何かが滴り落ちた。
「え?・・・・あ・・・・ギャーてんめえ鼻血かよ・・・・?!!」
 後頭部に手をやり、エドワードはその正体に気がついた。
「だから言っただろう・・・・」
 ロイは息も荒く、手のひらで口を覆っている。明かりがないのが残念だ。鼻血を出すロイマスタングをみることができないなんて。
「・・・・・っ」
「・・・・・・・笑う、な」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・や、わらってまひぇ・・・ブッ・・・・ん・・・ヨ?」
「・・・・・・・・・・・・」
「だってあんた、ホントバカ・・・っ」
 そういえば、とエドワードは思い出す。初めてエドワードが自分から口付けたときも、ロイは恥ずかしがって一時間も口を利かなかった。うれしくて、なんといってよいのかわからない、とようやく一時間たって口を利いたとき、エドワードは男を愛おしいと思った。昨日の出来事みたいだ。昨日の続きの、それからその続きが、いつまでも続けばよかった。
「なんだか萎えたな」
「それはこっちの台詞だ鋼の。笑うなんてひどい」
「へえへえ。あはははははは、アンタほんとバカ」
「ひどいな。ではせめて抱き寄せてもいいか?」
「どうぞ。アンタバカだし、へんにお人よしだし、強情だし、お節介だし、かっこつけるし、かっこいい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・かっ・・・・」
「なにどもってんの。かっこいい。・・・・・アンタかっこいいよ。好きだよ。ありがとな。もう大丈夫だからさ。もういけよ。ごめんな」
「エド」
 知っている。オレは知っているんだ。アンタがオレを鋼のと呼ぶときがどんなときか。オレを諌めるとき、からかう時、叱るとき、鋼というその重すぎる銘を、オレに突きつけるその意味を。エドと呼ぶ、声の優しさを。今はとてもオレを甘やかしていい状況じゃないはずなのに、アンタがオレを甘やかす意味を。
「ごめんな・・・・」
 ぎゅうと抱き寄せられる。抱き寄せて、ロイは懐から何かを出した。それをエドワードの手に握らせる。それは一粒の錠剤だった。
「・・・・・・これを呑め」
 お互いに体が冷えていて、こんなに近くにいるのにちっとも温まらなかった。畜生やっぱ無理やりにでもヤっとけばよかったかなあとエドワードは苦笑して、掌でその小さな塊を握った。何、とは聞かなかった。黙って飲み込む。いいこだ、とロイは頬を撫でてくれた。
「すぐに眠くなる。どこにも行かないから、安心しろ」
「うん」
「目が覚めたら、リゼンブールに帰るんだ」
「・・・うん」
「・・・お別れだ。私もお前が好きだよ。できることなら、いつまでも一緒に居たかった」
「・・・・・・・・・うん」
 うん、うん、と耳元に囁かれる優しい言葉に子供のようにうなずきながら、エドワードは目を瞑った。ひどく寒い。意識を失う寸前に、腕ぶっこわしたらウィンリィに叱られるなと思い、笑った。ロイの笑う気配を感じながら、エドワードは体の力を抜いた。












 結論から言うと。オレは死ななかった。
 目蓋の向こうの朝日が、意識を無理やり引きずり起こす。頭痛がひどい。干からびた喉で、生きてる、と呟く。てっきりロイに渡された錠剤は毒薬だとばかり思っていた。置いていくのならば、せめて殺せと願った。その思いが通じたのだと思った。ほかのヤツに見つかって殺されるくらいならばロイの手に掛かって死にたかった。けれど目覚めて、生を認識したとたん、ぞわぞわと全身の毛が逆立った。撃たれた右足のことをすっかり忘れて跳ね起きる。跳ね起きたオレが目にしたのは、傍らで冷たくなって横たわるロイマスタングだった。
 白蝋のような面は鼻血と埃、泥にまみれていた。ばかばかしいくらい震える手で、ロイの体をひっくり返すと背中に幾つもの銃弾があった。オレの右足の比ではない。青かった軍服が黒く染みて、跡形もなかった。この銃痕という穴から男の血液がゆっくりと流れ出ていって、ロイを殺したことは明白だった。
 オレは呆然と、笑った。
「・・・・・・・・・・・え?へ?」
 なんだそれ。
 オレの右足の血は当の昔に止まっていた。
 オレは生きている。
 ロイが死んだ。
 そして昨夜のロイの挙動に、パズルのピースがぴったりはまるように得心した。
 背中に回そうとしたエドワードの両腕を押さえつける冷たい手。
 ぐっしょりと濡れた軍服。
 不自然な鼻血。
 荒い息。
 冷たい体。
「・・・・・・オレがチンコ舐めたから鼻血出したのかと思ったじゃんか」
 自分がひどく滑稽で惨めで、エドワードは笑うしかない。死に行く恋人の真横で悲壮感たっぷりにバカ丸出しでのうのうと眠っていたなんて。
 たまらず、ロイの襟首をつかんで怒鳴ろうと、けれど、なにも言葉が見つからず。
どうして看取らせてくれなかった。死に行くアンタにビビッて、オレが泣くとでも思ったのか。アンタは卑怯だ。アンタは勝手に死んで、オレが泣くことも許さないなんて。
「・・・・・あは」
 朝日に白く浮かぶ恋人の顔がかすかに笑っている。
 家具もなにもない、静寂とした廃墟の一室で、エドワードもただ笑い続けた。