破裂飛散夏の熱
突然しっかとシャツの裾を握られて、腹の底に力を込めた。
おせえんだよてめえこのジジイ、と怒鳴ろうと、人を殺せると評判の金の眼球二つ、力を込めて振り返る。が、そこには想像していた人の形はなく、代わりに遥か50センチ下方に、ありとあらゆる穴から液体を滴らせた小型生物発見。
「は?」
「おじっごぼれだあああああああああああ」
彼女の主張どおり、今日のためにあつらえたであろう、白いワンピースの裾の、美しいレースの前あたりがぐっしょりと黄色く濡れていて、夏の熱に、その臭気が立ち上る。
「・・・・・・は?」
「ビエー!!!」
「ちょ、ま・・・・・こんにゃろ、親どこだ・・・!!」
エドワードのシャツを握り締めたまま、推定5歳の女児は天を仰いで号泣している。オレはここで人と待ち合わせをしていてとか、今日は久しぶりのデートでとか、そんな言い訳が等しく通用する相手には思えない。ううむこれはホムンクルス相手の一戦の方がよほどらくちんだぜと混乱して、エドワードは近くを歩く憲兵を捕まえ、この強敵をマル投げしようと手を上げた。
あげたエドワードに、見事なほどの先制攻撃を、その若い憲兵が喰らわせる。
「これは鋼の錬金術師殿!祭の警備ですか、ご苦労さまです。いやあお若いのにさすがですな。早速迷子を発見なさったんですか。素晴らしい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まあね」
ひく。とひきつる口元にどうか気付いてくれ。
今日はデートなんだよオレは・・・・!!(といって相手はとてもじゃないが口には出せない某上司なのだが)
「いやあ今日は東部において最大の祭ですから、なにせ手がまわらなくて。ありがたい。是非よろしくお願いします」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・わざと言ってねえか・・・・!!」
唸る鋼の錬金術師。
鷹揚に笑う若い憲兵。
「よろしくおねがいしまーす」
重ねて頼まれて、イヤと言えるだろうか。なにより行きかう人々の視線が痛かった。あらまああれが鋼の錬金術師なのね、国家錬金術師なんて当てにならないと思ったけれど迷子の面倒をみるなんて案外悪くないじゃない?そうねそうね、まあでもああしていると兄妹がふたりして迷子になっているみたいあらやだ奥様おっほほほほほほほほほほほほほ
「きこえてんだコンニャロー!!」
歯をむく鋼の錬金術師。
早速嫌な予感がするのはオレだけなのか?
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なにもしないでいても、じとりと首筋に汗が滲む。日が落ちて、夜になって幾時間かたっているはずなのにいっこうに熱は引こうとしなかった。夜ともなれば、どちらかといえば田舎の東部は静まり、灯も心もとないほどだが、今日だけは違った。東部中の人間が集まっているのではないだろうか。東部で最大規模の祭の日なのだ。子供たちが仮装して往来を練り歩き、大道芸人がそこかしこで人々を笑わせて、ひしめき合う屋台からは空腹を煽るようにいい匂いが漂う。大人も子供も浮かれて、きれいな踊り子に手を叩いてはしゃいでいる。祭のメインは花火で、軍の指揮の下に盛大に打ち上げられるそれは、東部の名物だった。
もともと参加するつもりなどなかったのだ。祭が、今日あるのだということも忘れていた。
たまたま先日立ち寄った際に、上司が小さなメモを渡すまでは。
『08131900、中央広場にて待つ』
短いそれだけの手紙。というより果たし状?わたされたエドワードですら、一瞬意味がわからずに、わたした上司の顔をまじまじと眺めてしまった。上司こと、ロイマスタングは、わずかに口の端で笑い、声を出さずに『デートしよう』と恥ずかしいことを唇で伝えた。うっかり恥ずかしくて、嬉しいぞコンニャロと渾身の力で、彼のデスクを蹴飛ばしてしまったのはタダの余談である。
それなりに。
久しぶりに二人きりで会う、今日のこの日をエドワードは楽しみにしていたのだ。
これだけ人が多かったら、二人で歩いていても、誰も気付くまい。誰かに見つかったら警備だといえばいい。本当に警備をしてもいい。二人なら、それでも私は楽しいからね。待ち合わせをして、二人で祭を堪能するというのは、なかなかに心が躍る。付き合ってはくれないだろうかといけ好かない顔をしてロイマスタングがのたまった。そのときにはうるせえとかなんで今更デートなんだよばかじゃねえのとか散々だだをこねて見せたのだが、実は、楽しみにしていたのだ。
それなのに。
「おぢいじゃん、ばばはどこにいっだったの・・・」
えぐえぐと泣きじゃくる子供の手を引きながら、エドワードは人並みを器用にすりぬけていく。
「しらねえよ。いいか、よく探せよ?ママとそれからパパときたんだろ?どんな格好してんだよ」
ああいま何時だろうか。19時を過ぎてしまったことだけはわかる。たのむからジジイ動くんじゃねえぞと呪いに似た祈りを神様は聞いてくれるんだろうか。いやあのオッサンは、少々オレが遅刻しようとも待っているはずだ。何を血迷ったのか、あのロイマスタングという男はこのオレ様に骨抜きなのだから。変態め。
「とりあえず、ソレなんとかしねえとな」
はあ、とため息をついて子供の下半身をちらりと一瞥する。蒸れて酷い匂いだ。とうの本人は、お気に入りなのだろう、そのワンピースを濡らしてしまったことに酷く落ち込んでいた。
「もうおまえ、あんまなくなって。新しい服かってやるよ。こう見えても兄ちゃんは高給取りなんだ。ワンピースの一つや二つ三つや四つ五つや六つ」
「おようふくは、いちまいにまいってかぞえるんだよ・・・」
五歳児につっこまれる鋼の錬金術師。
ああもうメンドクセエ。
子供服を売る露店を見つけて、エドワードは子供の手を引いた。引き損ねた。避ける気などさらさらなく、肩をそびやかして歩いていたガラの悪い男達が、膝で子供の体にぶつかったのだ。途端にビエーと泣き叫ぶ子供の声に重ねて、男が口を開いた。
「てえな・・・・ウオ!ションベン引っ掛けてんじゃねえぞクソガキ!!」
ズボンについた黄色い染みに、大げさに怒鳴り、男は子供をつれているエドワードの手首を掴む。
「テメ、コレいくらしたと思ってんの?なあ。がきんちょに払えんのかよこれ。オニイチャン、妹の面倒はちゃんとみてやんねえとな?とりあえず親どこ?」
「おまえまたガキンチョ泣かすー。さっきもガキンチョの林檎飴取り合えげて泣かしたばっかじゃねーの」
「オチビチャン、可愛い妹攫われたくなかったら、とりあえずポケットのなかのモン全部だしな?」
にこりと微笑むエドワードにすっかり気をよくしたらしい男達は、馴れ馴れしくその肩を抱いて、ポケットに手を差し込もうとする。自分達が何を相手にしているのかも知らずに。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・出してもいいけど」
「ヒャーいくらもってんの〜」
「持ってる分だけで勘弁してくれっかなあ?」
「イイヨイイヨ、モチロンイイヨー」
「・・・・・・・・・じゃ、コレで」
男から手首を振り払い、エドワードはポケットから18センズ出して、それを地面に叩きつけるようにばら撒いた。
「慰謝料前払いな?」
にこり。
「あーもうそんなに泣くなって。ほら、新しい洋服も買ってやっただろ?」
「ビエー!」
「頭いてえな・・・悪かったよ。クソ、血の染みってとれねえな・・・」
図らずも幼い子供を危ない目にあわせてしまったことに、実は結構落ち込んでいるエドワードに追い討ちをかけるように少女が泣き叫ぶ。露店で買ったワンピースに着替えさせたものの、手元の白いワンピースの汚れは到底落ちそうにない。泣き叫ぶ少女の手を引く、返り血を浴びた機械鎧の金髪少年という有様はどうにも目立つ。じろじろと人の目も痛くて、エドワードは頭痛を覚えた。オレはいつもこうだ。
頭に血が上って、しなくていい喧嘩を買って、状況を悪くしてしまう。あの男が、いつも口うるさいほどに言うことばの意味が理解できるのはこんなときだ。うまく立ち回れよ、冷静になれ、頭を使え、いつでも私を頼れ、素直になれ。あーうるせえ。わかってんだそんなことは。泣きてえのはこっちだっつうの。ドン、と背中を押されて、頭からドギツイ着色料で鮮やかに染まった甘い飲料をぶっ掛けられる。もう少々の汚れは気にならなかった。ははは、返り血がおちて丁度いいんじゃね?
オレなにやってんだ。
「ちょっと、アンタなにやってんの?!」
ドン、と肩を突かれて、今まさに頭の中で考えていたことを重ねて問われた。不意をつかれて、無様に地面にごろごろと転がってしまう。いてえー。あーもう。
「ばばああああああああ」
「うちの子、どこに連れてこうっていうの??!」
子供の発音では、どう聞いてもババアだが、まあ母親だろう。母親らしき女は、子供を抱きしめてエドワードに向かって、何事かをわめきたてている。 無言でポケットから銀時計を取り出す。口を聞く気が起きなかったからだ。子供に買ってやった洋服代でも請求してやろうかと思ったが、思いかけてやめる。金銭のやり取りをするほどの気力がない。それより、なにより。一刻も早く待ち合わせの場所に・・・・・・いくのか?この格好で?女は、エドワードの肩書きに気がついたらしい。顔を赤らめて、口の中で言い訳を呟いている。子供は母親にしがみついて、盛大に嗚咽をあげていた。まあよかった。母親が見つかって。さて。
「どーしよこれ」
エドワードは自分の有様を見下ろして、途方に暮れる。頭からべたべたしたピンク色の飲料を引っかぶり、埃と泥をトッピング。さっきの男達をのしたときに飛散った血液の染み。髪の毛は大暴れした際にほつれてしまっている。人々はエドワードを一瞥して、肩も触れないように避けて歩いている。遠くから聞こえる子供の嬌声や笑い声、陽気な音楽、すれ違う人々の笑顔。それらから決定的に浮いている自分。
どうしよう、と幾らか逡巡した後に、すれ違う男の手首を掴み、腕時計を覗き込む。男が気味悪そうに体を引くのを、押さえて、数字を確認する。キタネエな、と詰られて、礼を言って掌を開く。もう21時過ぎてんのか。流石に待ってないだろうな。いくらアイツが変態だからといって。
「・・・・・・・・・かえろ」
むいていなかったのだろうと、思う。デートだとか祭だとか、そういうものとはコレまで無縁だった。関わり方もわからない。無理したから、バチが当たったんだろう。だれが、何のために罰をオレに与えるって言うんだ。デタラメな思考だ。そうか。
やっぱりオレ、なんだかんだスゲー楽しみにしてたんだな。
「あーもかえろかえろ。やってらんねーぜ」
「どこへ帰るって?」
なんだこのいやみったらしい、絶妙のタイミング。背後からかかった声に、エドワードは眉を寄せて振り返った。
「てめえなあ」
そこにいたのは、(認めたくないが)恋人の姿で。
ふつふつと沸いた怒りは持って行き場がなかった。震える拳を握って、澄ました男の顔を見上げる。
「おせえんだよ、ジジイ!糖尿!内臓肥満!」
「・・・・・鋼の、根拠のない体内批判はやめてくれないか。それに、遅いのは君のほうだろう。待ち合わせは19時だったはずだ。それにここは待ち合わせ場所からは、距離もあるように思うが?」
「それをよくもまあ、見つけられたもんだよな?なにあんた、そんなにオレがすき?オレセンサー内蔵されてんの?じゃー待ち合わせに場所がこれから必要ねえな、電波で捕まえてくれよ。そんじゃあオレはこれで」
右の掌を見せて、せいぜい笑いながら背を向ける。
自分でも。
嫌な態度をとっているとわかっている。
甘えている。
嫌われる。
ロイに、嫌われる。こんなんじゃ。
ああもう、なんかめちゃくちゃだ。オレ。
「鋼の?」
「んだよ。マジでオレ帰る、」
「差し詰め、迷子を拾い、親を探してやっているうちに絡まれ、ジュースをかけられ、突き飛ばされたというところか?」
「テメ見てたな・・・・!!」
詰め寄ると、ロイは爆笑した。何がおかしいのかと、エドワードが顔を真っ赤に染めていると息も絶え絶えにネタ晴らしをしてくれた。ようするに、こういうことらしい。
「騒がしいほうへ追いかけてった?」
「道行く人々に尋ねてね。あっはっはっはっは、全く、君といると飽きない。号泣する幼女を連れた血まみれの少年か。ははははは、怪談だな。あはははははははは」
「てめえいい加減笑いすぎだぞコラ・・・」
「どうして帰るなんて」
夜色の双眸で、男が優しく問うた。雑踏のざわめきの中で、その声が妙に通る。いつもの軍服姿とは違う。きれいな仕立ての白いシャツに下は黒のスラックス。シンプルな格好なのに、それが妙に似合った。畜生。かっこいいじゃねーか。それに比べてオレの貧相でみっともないことといったらない。恥ずかしくなって、エドワードは俯きたくなるのを懸命にこらえた。あーもう。いやだ。こんな劣等感みたいなもの。不愉快で、気持悪くて仕方がない。でも、どうしようもない。黒いタンクトップの腹の部分を右手でギュウと握る。べとべとして湿っているその部分を、強く握る。
「こんな格好じゃ、デートもクソも」
「そうかね?私は嬉しかったよ?」
全くもって意味不明な発言に、エドワードは眉をさらに寄せる。傍から見れば、変な子供がガンを飛ばしているようにしか見えないのだろう。その証拠に人々が非難がましくエドワードを睨んでは、行き過ぎる。ロイが、一歩踏み出した。エドワードの傍らにたち、腰をかがめて耳元で囁いた。
「だってなんの遠慮もなくホテルに誘えるじゃないか」
「ばっ・・・てっ・・・・ホッ・・・・・エッ」
「あははははははは、バテホエ?」
「るせえ!シネ!」
「デート、恥ずかしがってきてくれないのじゃないかと思っていた。きてくれて、しかも私に会うのに汚れていて恥ずかしいなんて、これでわたしが有頂天にならないほうがどうかしているとは思わんか?」
「ほんと変態だな・・・・そんなにオレがスキなのかよ。意味わかんね」
「うん」
さらりと返されて、エドワードは掌も汗ばむ。もうなんだこの恥ずかしい男。
「君ももうすこし開放的になりたまえ。折角の夏祭りだ。少しは素直になってもいいのじゃないか?」
「生憎オレは理性がしっかりしてんの。季節ごときに左右されてたまるか」
「では、何になら左右されてもいい?」
くそー。コイツぜったいわかっていってんな・・・・!!
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あんたになら」
途端に抱きしめられた。くそ、この雑踏であの小声が聞こえるか。やっぱコイツ、オレセンサー内蔵してやがんな。
ホテルでもどこでも連れてけコンチクショーとさらに呟いたオレを、ロイが大事そうに抱えて、花火が一番よく見える部屋を実はもうとっくの昔に予約しておいたんだ、としたり顔で返してきた。もうほんとエロオヤジ。でもまあ開放的になるのも、満更じゃねえなあと正気ならば絶対に許さないはずのオヒメサマダッコをアッサリと享受して、エドワードは男の首に手を回した。
終